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私の読む「枕草子」 279段ー最終段

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 清原俊蔭は王族出の秀才で若年にして遣唐使一行に加わり渡唐の途上,波斯(はし)国に漂着,阿修羅に出会い秘曲と霊琴を授けられて帰国し,それを娘に伝授する。俊蔭の死後,家は零落,娘は藤原兼雅との間に設けた仲忠を伴って山中に入り,大樹の洞で雨露をしのぎ仲忠の孝養とそれに感じた猿の援助によって命をつなぐ。

ネットのコトバンクに記載されている。早速古本を取り寄せて読むことにした。枕草子の次はこれと決めた。
 長い物語で果たして完結できるか不安であるが、今日から投稿をすることにしました。

はし 【波斯】
 中国におけるササン朝ペルシアの呼称。

ペルシア 【Persia】
 イランの旧称。アケメネス朝を始め、セレウコス朝・パルティア帝国・ササン朝の時代を経て、7世紀にアラブの支配下に入り、イスラム化した。9世紀以降、サマン朝・セルジューク‐トルコ・イル‐ハン国・チムール帝国・サファビー朝・カジャール朝などが興亡し、1925年に成立したパフラビー朝が国号をイランと改称。ペルシャ。「波斯」とも書く。
(ネットコトバンク)

波斯国 これを南洋諸島の一とし、或は今のぺルシャと見る説もあるが、べルシャは印度の西方だから、そこまで船が漂着したとも考えられず、日本へ俊蔭が帰る時も波斯国へ渡るとあるので、日本との交易に便利な所と見なければならない。少くも印度より東であって、シナに近い国である。七人の人と琴を弾じた場所は、波斯国からはるかに西方の筈たが「仏の御国よりは東」と言っているので、波斯国が今のぺルシャでない事は確かである。

 今回原書としている岩波書店日本古典文学大系の補注にはこのように記載されている。

 おとぎ話のような不老不死の国、仏の国という当時の大衆の願いであった国の中で、俊蔭が長年苦労して、琴を得た。そこから物語が始まっている。
物語始めを少し読んでみたが面白そうなので、取り上げることにしました。


【二八】
大和の国初瀬の長谷寺観音参詣に出て、部屋に落ち着いていると、後ろに貴人の真似をした身分のいやしい男達が、下襲の裾を長く引いて居並んでいたのは実に癩だった。

殊勝な心を起してお参りしたのに、川の音が恐ろしいほど喧しく、階段のついた長廊下「呉階(くれはし)」を上るなど、いつになったら仏様が拝せるか、早く拝したいと思うそんな時に、白衣の法師、蓑虫のような汚らしい姿の者達が集まって、立ったり坐ったり礼拝したりして、全然気がねする様子もないのは、それこそ癩にさわって、押し倒してもやりたい気がしたことだ。何処でもそんなものだろう。

 高貴な方などが参拝しておられる座席の前だけは人仏いなどもするが、程々の人の場合は制し切れずに弱るらしい。そうとは知りながら、やはり現実にそういう立場になる折は、大層くやしいのだ。
やっと掃除をした櫛を垢に落し込んだのも
癩だ。

【二九】
女房が宮中に参入したり退出したりするときに他人の牛車を借りる場合もあるが、持主は大変気持よく貸してくれたのに牛をつかう牛飼童がいつもより強く声をかけて、ひどく鞭打ち走らせるのも、ああ嫌だと思うのに、その上に。供の男達が厄介そうな様子で
「とっととやれ、夜が更けぬうちに」
 など言のは、持主の心が推量されて、二度と再び借りたいと声をかけようと思わない。
高階業遠(たかしなのなりとお)朝臣の車だけは、夜中暁の別なくこのようなことはなかった。よく躾をしておられる。

くぼみに車輪を落とし込んだ女車をよく引き上げられず、牛飼いが腹を立てて、従者に命じ、牛を打って立たせまでしたので、まして平素の訓戒が察せられたことだ。


【三一九】
この草子は見たこと、心に思ったことを、
他人が見ることはないと思って、退屈しのぎに里に下りてから、書き綴ったものを、【一四三】【二七七】参照。あいにく人のために具合悪い言い過ごしもしそうな箇所箇所もあるので、よくよく隠して置いたつもりだったのに。心ならずもまあ世間にもれ出てしまった。

内大臣の藤原伊周がこの草子を中宮に差し上げたが、中宮は、
「これに何を書きましょう、主上(一条天皇)には史記という書をお書きになった」  
などと仰るのを伊周は、
「枕、あれでございましょう」
と、白氏文集「秘省後庁」の最終の句、
 白頭老監枕書眠  
(白頭(はくたう)の老監(らうかん)書を枕にして眠る)
 を思い浮かべてお答えなさったのでしょうが、中宮は、
「ではとりなさい」
 と言われて御下賜になられた。

つまらぬすさびごとを何やかやと、多くあった料紙全部に書き尽くそうとしたために、何を書いたのか覚えていないことが多い。
大体世の中の変わったこと、人が素晴らしいなど思いそうなことを選び出して、歌は、
木・草。鳥。虫のことでもいい出したとならば、思った程でもない。衒(てら)いというところさ、と悪口も言われようが実はただ自分一人の心に自然と思い浮ぶことを、戯れ半分に書きつけたので、他の作品に伍して、人並らしい批評など聞けるわけはあるものかと思ったのに、含みがある、などと読んでいただけるならば、大層不思議なことではある。
成程それも道理、人が嫌うことをよいと言い、ほめることも悪いという自分のような人間は、それで心底が見すかされるというものだ。
ただ、人に見られたことだけはくやしい。

源経房左中将が伊勢守であったときに、里の私を訪問されたので、畳を差し出したところ、その畳にこの草子が載ったままで、慌てて取ろうとしたところ経房に先に捕られてしまった。久しく経って返して貰った。それ以後流布しはじめたらしい。
 
 と、もとの本に書いてある。



白氏文集卷五十五 秘省後廳
 秘省(ひしやう)の後聴(こうちやう) 白居易

槐花雨潤新秋地 槐花(くわいくわ)雨に潤(うるほ)ふ新秋(しんしう)の地
桐葉風翻欲夜天 桐葉(とうえふ)風に翻(ひるがへ)る 夜ならんとする天
盡日後廳無一事 尽日(じんじつ)後庁(こうちやう)一事(いちじ)無く
白頭老監枕書眠 白頭(はくたう)の老監(らうかん)書を枕にして眠る

【通釈】槐(えんじゅ)の花が雨にみずみずしく湿る、早秋の地。桐の葉が風に踊り飛ぶ、暮れようとする空の下。終日、後方の政庁では忙しい仕事の一つも無く、白髪頭の老秘書監は、書物を枕にして昼寝する。
(ネットから)