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私の読む「枕草子」 258段ー277段

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やかましく言いたてる、それは婿当人も聞くであろうよ。

六月にある人が法華八講を催された。人々大勢集まって説教を聞く所に、蔵人に任官した例の婿が、法会のための表袴、黒の半臂などひどく目立つ風をして、捨ててしまった女の牛車の轅が車の後に出た部分、鴟(とみ)の尾という部分に、半臂の緒を引き掛けんばかりにして寄っていたのを、女はどんな気持だろうと、車の供人達でも事情を知っている人は皆気の毒に思ったのに、また他の人々も
「よくも平気で寄っていたものだなあ」
 など、後になってもいい合った。

やはり男というものは、ものごとの痛わしさとか、女の心中とかは分らないのだろう。

【二六七】
世の中で、何といってもひどく辛いものは、人に憎まれるそのことであろう。いったいどんな変り者が、自分は人に憎まれたいと思うわけがあろう。

そうであっても、自然と勤務先でも親兄弟の間でも、愛される愛されないがあるのは実に情ないものだ。

貴人にあってはいうまでもない、召使などの程度でも、親などが可愛がっている子は他人も自然注目して(目立て耳立て)大事に思うものである。そういう子供が世話のしがいのあるのは当然で、どうして愛さぬわけがあろうと思う。
格別のこともない子は、それはそれでかわ
いいと思うのは、親なればこそと身にしみる。

 親にも、主君にも、総てちょつと親しくする人にでも、人に愛されるくらい素晴らしいことはあるまい

【二六八】
男というものは何といっても実に類もなく不思議な気持を持ったものではある。大層美しい女を捨てて、醜い女を妻に持っているのも妙なことだ。

朝廷に出入りするほどの男子とかその一族などは,数多い女の中でも特に美しい女を選んで愛しなさるがよい。
及びもつきそうにない身分の女でも、素晴らしいと思うほどの女を、死を賭しても懸想するがよい。
どこかの令嬢とか、まだ見たことがない人。などでも、美人と聞く程の女を、何とかしてわがものにしょうと思うものだ。
 
一方、女同志の目にもよくないと思うような女を愛するとは、いったいどうしたわけであろう。
顔かたちが大層よく気だでもけっこうな女で、字もきれいに書き、歌も情趣深く詠んで、うらみ言をいってよこしなどするのを、男が返事だけはうまい具合にちょっとするものの、一向寄りつかなくて、女がいじらしい様子で嘆いているのを見捨てて出かけなどするのは、呆れて、ひとごとならず腹が立ち、第三者の気持としてもわびしく見えるわけなのだが、男は自分のやりかたについては、てんで相手の気の毒さなど察しもしないことだ。


【二六九】
人は色々な感情を持っているが、情け心の深いことが、男は当然のことで、女でも大事なことと思われる。
 ちょっとした言葉であっても、また真実心
にしみなくても、気の毒なことに対しては、「お気の毒です」といい、あわれなことには「全くどんなお気持でしょう」などを、人づてに聞いた時は、面と向って言ってくれるよりも嬉しい。何とかしてその人に、御同情が身にしみましたとでも知らせたい、そういつも思うことだ。

自分のことを必ず心配してくれるはずの人とか、見舞ってくれるはずの人は、それが当然だから、とり分けて喜ぶこともない。
そんなはずもなさそうな人が、ちょっとした返事でも気安くしてくれたのは、嬉しいものである。
こんなことは至極たやすい事なのだが、実際にはほとんどあり得ないことである。

大体気だての良い人で真に才があるというのは、男でも女でも滅多にないことらしい。
しかしまた、そういう人も大勢いるはずだ。

【二七〇】
人の噂をするのを怒る人は甚だ訳が分らないものだ。どうしてそれを言わずにいられよう。自分のことは棚に上げて、それほど悪口を言いたいことが他にあろうか。
しかしそれはけしからんようでもあるし、
また本人がいつとなく耳にして恨んだりもする、それが困りものだ。
 
また、ほうってはおけない間柄では、気の毒だからと許しているので、我慢して言わないだけなのに、もしそうでもないなら、口に出して笑いもしたいところだ。

【二七一】
人の顔で、特にいいと見える所は、顔を合せる度毎に見ても、ああいい、立派だと思われることだ。絵なんかは何度も見ていると目にもつかなくなる。近くに立てた屏風の絵などはたいそう立派な絵であるが、しばらくすると見向きもされなくなる。
 人の容貌というものは面白いものだ。不恰好な道具の中でも、どこか一つくらいいい点が目にとまるものだ。みにくい点も同様だろうと思う、それは情ないものだ。

【二七二】
古風な人が指貫をはいている様子は実に「たいだいしい」(まだるこしい)ものだ。
指貫を前に当てて、はじめにまず着物の裾を全部まくりこんで、指貫の腰の部分はそのままに、着物の前をすっかり整えてから、及び腰で腰の部分をとる時に、後の方へ手をやって、猿が両手を縛られたような恰好で立っている様子は、急な外出に間に合いそうにも見えない。
 
【二七三】
十月十日過ぎの日、月がとても明るくて、女房十五六人、みんな濃い紅の衣を上に着て裾を返していたが、中宮側近の中納言の君、紅の糊で張って艶出しした衣を着て、表着を頚の上方に引き上げて着た姿が、可哀想に、卒塔婆みたいに見えた。その姿を若い女房達が、
「人形の典侍(すけ)」
 と、言っていた。後ろに立って笑うのであるが、当人は一向に知らない顔。

【二七四】
源成信中将こそ、人の声を非常によく聞き分けなされた。(【一二】)で、木を切り倒して扇にしたら、と言った人)
おなじ場所にいて話をしている声などはいつも聞いていない人だと一向区別がつかない。
特に男性は人の声でも筆蹟でも判別できないものを中将はどんなにひそめた声でも、うまく聞き分けなされたものだった。

【二七五】
大蔵卿藤原正光ほどの耳の鋭い人はない。
ほんとうに、蚊のまつげが落ちるのも聞きつけなされそうであった。

職曹司、中宮の住まいの西の廂の間にいたころ、大殿道長の養子であった源成信中将が宿直で、自分が中将と話などしていたところ、自分のそばにいた女房が、
「この中将に絵のことを言いなさいよ」
と囁いたので、
「おっつけあの方がお立ちになってからね」
と、至極内密に耳に入れたのを当の女房さえ聞きとれずに、「何ですって、何ですって」と耳を寄せてくるのに、大蔵卿中将は遠くに坐っていて
「けしからん。そういわれるなら今日は立つまい」
 と言われた。いったいどうして聞きつけられたのかと、呆れた次第だった。


源成信。村上天皇皇子致平親王の男。後に
道長の養子となる。長徳四年(九九八)十二月右近権中将、長保三年(一〇〇一)二月出家。

大蔵卿。藤原正光。関白兼通の六男。長徳二年(九九六)四月蔵人頭。同四年十月大蔵卿。のち参議となり、長和三年(一〇一四)薨。五十八歳。


【二七六】
嬉しいこと。
 まだ読んでいない物語の第一巻を読んで続きをすごく読みたいと思う、その残りの巻が見つかった。心が躍るように嬉しかったが読んでみてがっかりすることもあるようだ。