私の読む「枕草子」 258段ー277段
【二五八】
言葉が無礼に聞こえるもの。
神前に読む祭詞。巫女(みこ)などが読むものは詞も整わず訛りなど多い。
舟の船頭達。
雷の陣の近衛府の下級の舎人。雷鳴が三度すると、近衛の大将次将は弓箭を帯して清涼殿の孫廂に伺候し、将監以下蓑笠を着て南殿に詰めた。これを雷鳴の陣と称する。
毎年七月相撲を天覧に供する。地方から来相撲取りの話す方言。
【二五九】
賢い、またはこざかしい。
今時の子供。
子宝を願うための祈祷をする、腹を揉みさする産婆。
祓のための材料に必要な紙を多く請い求めて、重ねて、刃の鈍った刀で切る様子は一枚だって切れそうにもないのに、そうしたものの道具となっているので。自分の口までゆがめて押し切り、鋸を使って御幣をかける竹を
割りなどして、神々しく立てて、左右に振り祈ることはこざかしい。
その一方では、
「何々の宮、どこそこのお邸の若君がひどくお患いでしたが、拭いとったようにお直し申しましたので、御褒美を沢山頂きました。あの人この人とお召しになったのですが、霊験がありませんでしたので、今でもこの婆をお召しになります。おかげを蒙りました」
と、語る顔が卑しい。
下衆の家の女主人。愚か者。それに限ってこざかしく、真実賢い人に教えるようなことをいうものだ。
【二六〇】
ただもう過ぎる一方のもの。
帆をかけた舟。
人の年齢。
春、夏、秋、冬。
【二六一】
格別人から注意されないもの。
暦の上で最凶とする日。月のうち三日から
十四日に及ぶ。多すぎて却って注意されない。
【二六二】
手紙の用語の無礼な人は大層いやなものだ。
世間をいい加減に見て書きなぐった文句が
憎いのである。
それ程でもなくてよい人の所にあまり畏まって書いた手紙も成程よくないことではある。
それでも、無礼な手紙は自分が得た場合は当然で、他人の所へ来たのでさえ憎らしいものだ。
一般に対談の揚合でも、言葉が無礼なのは、
なぜこんないい方をするのかと苦々しい。
まして、自分より身分の上の人を敬語抜きにして話す者はひどく腹立たしくさえ思う。
但し田舎じみた人などがそうなのは、馬鹿げていてまことによい。
夫や主人などについて礼に合わぬいい方をするのは甚だよくない。自分の召使などがその夫などについて、「何々でいらっしゃる」とか「おっしゃる」とか言うのは、憎い。この辺に「侍り」などの語をつかわせたいと思って聞くことが多い。そうと注意してもやれる者には
「まあ不似合な、気にくわない。なぜおまえは言葉使いが悪いんだ」
と、注意すると。聞く人も、言う人も笑う。
私が"こう思うせいか、「あまり世話を焼き
すぎます」などいうのも。人聞きが悪いからだろう。
ちょううんぼう【朝雲暮雨】
〔中国,楚の懐王が夢の中で巫山(ふざん)の神女と契ったという故事をうたった宋玉の「高唐賦」による〕
楚の懐王が高唐(建物の名)に遊び、疲れて昼寝をした時、夢に神女と交わった。去るに臨んで神女は、自分は巫山に住む者で、旦(あした)には朝雲となり、暮には通り雨となって、朝な夕なここに参りましょうと言ったが、果してそのとおりであったという。
たったこれだけの話である。どこがエロチックだって?
昔者先王嘗遊高唐,怠而昼寝,夢見一婦人。(昔者、先王嘗て高唐に遊び、怠りて昼寝ね、夢に一婦人を見る)
何か起こりそうな予感がしませんか。まだ高校生の頃、漢文で読んで、けっこう胸をときめかしたものです。
曰,妾巫山之女也。為高唐客。聞君遊高唐,願薦枕席。(曰く、妾は巫山の女なり。高唐の客となる。君高唐に遊ぶと聞き、願わくは枕席を薦めんと)
願わくは枕席を薦めん。想像力を働かせてください。女中さんがふとんを敷きにきたのではありません。
肝心のところは、「王因幸之」(王因りて之を幸す)のたった四文字である。
去るに臨んで、「妾(わたし)は巫山の陽(みなみ)の険しい峰に住む者、旦には雲となり、暮には雨となり、朝朝暮暮、陽台の下……」と続く。
朝な夕なにここ「陽台の下」に参りましょう、というのである。「陽台」は台(うてな)の名。転じて、男女あいびきの場所の代名詞として使われるようになった。現代中国語でバルコニー、物干し台を称して「陽台」というのとは、直接のつながりはなさそうだ。
「朝雲暮雨」はまた「巫山之夢」「巫山之雨」「巫山雲雨」「雲雨之夢」などとも称され、いずれも男女の情事をいうのに使われる。本文解釈
「旦爲朝雲 暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下。旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲」
「旦(あした)には朝雲(てううん)と為(な)り、暮(ゆふべ)には行雨(かうう)と為(な)りて、朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)、陽台(やうだい)の下(もと)にあり。
旦朝(たんてう)之(これ)を視(み)るに言(げん)の如し。故(ゆゑ)に為に廟(べう)を立て、号して朝雲(てううん)と曰(い)ふ」と。
『 夜が明ければ朝雲となり、日が沈めば通り雨となって、毎朝毎夕、あなた様の楼台のもとに参りましょう』と。翌朝、巫山の方を御覧になると、言葉通り雲が湧いておりました。そこでこの神女を祭る廟を建てられ、朝雲と名付けられたのです」。 (ネットから)
殿上人・宰相と言われる参議などを、ただその官名をすこしも遠慮なしにいうのは至極聞き苦しいものだが、きれいさっぱり名をいわずに、女房の局に仕える人のことまで「あのおもと」とか「君」とかいうと、いわれた当人は珍らしく嬉しいことに思って、その人をほめることほ大変なものだ。
殿上人とか貴族の子弟達には、主上の御前
以外では官名だけをいう。また、主上の前ではお互同志ものをいう場合も、主上が聞いておられる時は、何として「まろが」などとはいおう。そういう人が偉くて、いわない人がわるいわけが何であろうか。
【二六三】
大変汚いもの。
なめくじ。
いい加減な板敷を掃く箒木の先。
清涼殿の殿上の間に備えつけてある蓋つきの朱塗椀。五年に一度新調する。
【二六四】
極めて恐ろしいもの。
雷鳴は神が鳴り轟かすもの、特に夜中の雷鳴。
近接した隣家に盗人が入った場合。
自分の住み家に来た時は無我夢中だから、
恐ろしいとも何とも意識しない。
近くの火事、これも恐ろしい。
【二六五】
信頼できるもの。頼みになるもの。
気分が悪い時、伴僧を大勢連れて祈祷してくれる。伴僧は法会その他で導師に従う僧。
気分などすぐれない時分、真実な心の愛人が言葉をかけて慰めてくれた。
【二六六】
立派に支度をして娘の夫を迎えたのに、間もなく通って来なく(住まなく)なったその婿が、舅に出あった時、気の毒に思うだろうか。
ある男が、非常に時めいている人の婿になって、たった一月程もろくろく通って来ずに、全く通わなくなってしまったので、一同ひどく騒ぎたて、乳母やそれに纏わる雇い人達といった人が、相手を呪うようなことなどいう者もあるのに、翌年正月にその婿は蔵人に任官した。
人々は
「『意外だ、舅とあんな間柄なのにどうしてだろう』と誰でもが思っています」
言葉が無礼に聞こえるもの。
神前に読む祭詞。巫女(みこ)などが読むものは詞も整わず訛りなど多い。
舟の船頭達。
雷の陣の近衛府の下級の舎人。雷鳴が三度すると、近衛の大将次将は弓箭を帯して清涼殿の孫廂に伺候し、将監以下蓑笠を着て南殿に詰めた。これを雷鳴の陣と称する。
毎年七月相撲を天覧に供する。地方から来相撲取りの話す方言。
【二五九】
賢い、またはこざかしい。
今時の子供。
子宝を願うための祈祷をする、腹を揉みさする産婆。
祓のための材料に必要な紙を多く請い求めて、重ねて、刃の鈍った刀で切る様子は一枚だって切れそうにもないのに、そうしたものの道具となっているので。自分の口までゆがめて押し切り、鋸を使って御幣をかける竹を
割りなどして、神々しく立てて、左右に振り祈ることはこざかしい。
その一方では、
「何々の宮、どこそこのお邸の若君がひどくお患いでしたが、拭いとったようにお直し申しましたので、御褒美を沢山頂きました。あの人この人とお召しになったのですが、霊験がありませんでしたので、今でもこの婆をお召しになります。おかげを蒙りました」
と、語る顔が卑しい。
下衆の家の女主人。愚か者。それに限ってこざかしく、真実賢い人に教えるようなことをいうものだ。
【二六〇】
ただもう過ぎる一方のもの。
帆をかけた舟。
人の年齢。
春、夏、秋、冬。
【二六一】
格別人から注意されないもの。
暦の上で最凶とする日。月のうち三日から
十四日に及ぶ。多すぎて却って注意されない。
【二六二】
手紙の用語の無礼な人は大層いやなものだ。
世間をいい加減に見て書きなぐった文句が
憎いのである。
それ程でもなくてよい人の所にあまり畏まって書いた手紙も成程よくないことではある。
それでも、無礼な手紙は自分が得た場合は当然で、他人の所へ来たのでさえ憎らしいものだ。
一般に対談の揚合でも、言葉が無礼なのは、
なぜこんないい方をするのかと苦々しい。
まして、自分より身分の上の人を敬語抜きにして話す者はひどく腹立たしくさえ思う。
但し田舎じみた人などがそうなのは、馬鹿げていてまことによい。
夫や主人などについて礼に合わぬいい方をするのは甚だよくない。自分の召使などがその夫などについて、「何々でいらっしゃる」とか「おっしゃる」とか言うのは、憎い。この辺に「侍り」などの語をつかわせたいと思って聞くことが多い。そうと注意してもやれる者には
「まあ不似合な、気にくわない。なぜおまえは言葉使いが悪いんだ」
と、注意すると。聞く人も、言う人も笑う。
私が"こう思うせいか、「あまり世話を焼き
すぎます」などいうのも。人聞きが悪いからだろう。
ちょううんぼう【朝雲暮雨】
〔中国,楚の懐王が夢の中で巫山(ふざん)の神女と契ったという故事をうたった宋玉の「高唐賦」による〕
楚の懐王が高唐(建物の名)に遊び、疲れて昼寝をした時、夢に神女と交わった。去るに臨んで神女は、自分は巫山に住む者で、旦(あした)には朝雲となり、暮には通り雨となって、朝な夕なここに参りましょうと言ったが、果してそのとおりであったという。
たったこれだけの話である。どこがエロチックだって?
昔者先王嘗遊高唐,怠而昼寝,夢見一婦人。(昔者、先王嘗て高唐に遊び、怠りて昼寝ね、夢に一婦人を見る)
何か起こりそうな予感がしませんか。まだ高校生の頃、漢文で読んで、けっこう胸をときめかしたものです。
曰,妾巫山之女也。為高唐客。聞君遊高唐,願薦枕席。(曰く、妾は巫山の女なり。高唐の客となる。君高唐に遊ぶと聞き、願わくは枕席を薦めんと)
願わくは枕席を薦めん。想像力を働かせてください。女中さんがふとんを敷きにきたのではありません。
肝心のところは、「王因幸之」(王因りて之を幸す)のたった四文字である。
去るに臨んで、「妾(わたし)は巫山の陽(みなみ)の険しい峰に住む者、旦には雲となり、暮には雨となり、朝朝暮暮、陽台の下……」と続く。
朝な夕なにここ「陽台の下」に参りましょう、というのである。「陽台」は台(うてな)の名。転じて、男女あいびきの場所の代名詞として使われるようになった。現代中国語でバルコニー、物干し台を称して「陽台」というのとは、直接のつながりはなさそうだ。
「朝雲暮雨」はまた「巫山之夢」「巫山之雨」「巫山雲雨」「雲雨之夢」などとも称され、いずれも男女の情事をいうのに使われる。本文解釈
「旦爲朝雲 暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下。旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲」
「旦(あした)には朝雲(てううん)と為(な)り、暮(ゆふべ)には行雨(かうう)と為(な)りて、朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)、陽台(やうだい)の下(もと)にあり。
旦朝(たんてう)之(これ)を視(み)るに言(げん)の如し。故(ゆゑ)に為に廟(べう)を立て、号して朝雲(てううん)と曰(い)ふ」と。
『 夜が明ければ朝雲となり、日が沈めば通り雨となって、毎朝毎夕、あなた様の楼台のもとに参りましょう』と。翌朝、巫山の方を御覧になると、言葉通り雲が湧いておりました。そこでこの神女を祭る廟を建てられ、朝雲と名付けられたのです」。 (ネットから)
殿上人・宰相と言われる参議などを、ただその官名をすこしも遠慮なしにいうのは至極聞き苦しいものだが、きれいさっぱり名をいわずに、女房の局に仕える人のことまで「あのおもと」とか「君」とかいうと、いわれた当人は珍らしく嬉しいことに思って、その人をほめることほ大変なものだ。
殿上人とか貴族の子弟達には、主上の御前
以外では官名だけをいう。また、主上の前ではお互同志ものをいう場合も、主上が聞いておられる時は、何として「まろが」などとはいおう。そういう人が偉くて、いわない人がわるいわけが何であろうか。
【二六三】
大変汚いもの。
なめくじ。
いい加減な板敷を掃く箒木の先。
清涼殿の殿上の間に備えつけてある蓋つきの朱塗椀。五年に一度新調する。
【二六四】
極めて恐ろしいもの。
雷鳴は神が鳴り轟かすもの、特に夜中の雷鳴。
近接した隣家に盗人が入った場合。
自分の住み家に来た時は無我夢中だから、
恐ろしいとも何とも意識しない。
近くの火事、これも恐ろしい。
【二六五】
信頼できるもの。頼みになるもの。
気分が悪い時、伴僧を大勢連れて祈祷してくれる。伴僧は法会その他で導師に従う僧。
気分などすぐれない時分、真実な心の愛人が言葉をかけて慰めてくれた。
【二六六】
立派に支度をして娘の夫を迎えたのに、間もなく通って来なく(住まなく)なったその婿が、舅に出あった時、気の毒に思うだろうか。
ある男が、非常に時めいている人の婿になって、たった一月程もろくろく通って来ずに、全く通わなくなってしまったので、一同ひどく騒ぎたて、乳母やそれに纏わる雇い人達といった人が、相手を呪うようなことなどいう者もあるのに、翌年正月にその婿は蔵人に任官した。
人々は
「『意外だ、舅とあんな間柄なのにどうしてだろう』と誰でもが思っています」
作品名:私の読む「枕草子」 258段ー277段 作家名:陽高慈雨