私の読む「枕草子」 46段ー60段
雑色(ざふしき)は蔵人所に属して雑役に奉仕する者、一般に雑役に従事する召使・随身。
その人達は少し痩せていて細身の体の者が好い。なお、男は若いほど細身の者が好いのだ。太っているのは「い(寝)ねぶたからん」すなわち眠たかろう、みんなから見られる。
(随身の定員は弘安礼節に「太上天皇十四人、摂政関白十人、大臣大将八人、納言参議六人、中将四人、少将二人、諸衛督四人、同佐二人」
とある)
【五四】
小舎人童(こどねりわらわ)は、本来は近衛の中将・少将の召し具す童をいう。一般にこれに類する童は背が小さくて髪に癖がなくよく整っているのを「うるはし・端正である」として賞でたが、毛筋がさらっとしていて、すこし光沢のあり、声が可愛らしく、かしこまって、きちんとした態度で物を言うのが、勤めにはまっている感じだ。
【五五】
牛飼いは、なりが大きく髪の筋が太くて、
顔が赤みを帯びて、才走った感じのがよい。
【五六】
清涼殿における名対面こそ本当に可笑しい。主上のお側に侍臣が伺候している折はその座のままで点呼するのも興味ぶかい。
名対面のために侍臣が参集する時に、足音がしてそれが何かの固まりが崩れるようにどやどや出てゆく様子を、清涼殿北廂にある弘徽殿の上の御局の后妃の休息所の東表で、耳を澄まして聞いていると、知った人の名が聞こえてくるといつでもふいと胸がどきつくことだろうよ。
また、そこにいるとも聞いていなかった男の名前が名乗られた、この時耳にしたら、女はどう思うだろう。
「名のりよし」
「下手な名のり」
「聞きにくい声」
女房達が一々批評するのも面白い。
侍臣の名対面がすんだようだなと、滝口の武士の弓鳴らし、矢をつがえぬ弓の弦を手ではじいて妖気をはらう。
沓の音がざわざわとしてみんなが出て行くと、蔵人が気持ちの好い高い靴音をわざと立てながら、丑寅(東北)の隅のらんに勾欄に高膝間づきという格好で御前の方を向いて後方の滝口達に
「誰々が伺候中か」
と、問いかけるのが可笑しい。
侍する者は高く細長く答えて名のり、また、欠席の人々があると、名乗を申さぬ由を奏上するにも、蔵入が
「どうしてか」
と、たずねると、そのわけを言上すると、蔵入はそうと聞き定めて帰る。
蔵人の左馬権頭藤原時明の子方弘(まさひろ)がその理由をきかないといって殿上人達が教えると、大変に腹を立てて叱りつけ、滝口の怠慢を究明し処罰するといって、滝口の者に笑われる。
後涼殿の西廂にあり供御を調進する御厨子(みづし)所の食膳を納めておく棚に沓を置いて口々に言い騒がれるのを、不憫に思って
「誰の沓なのか、知らないか」
この場の長の主殿の司が女房達に聞くと、
「やれやれ、汚い沓を方弘がこんな所において」
と大騒ぎになる。
【名対面】なだいめん 2
(1)宮中で、宿直(とのい)の官人や滝口の武士が、夜の一定の時刻(多く亥(い)の刻)に点呼をうけて氏名を名乗ること。名謁(みようえつ)。宿直奏(とのいもうし)。問籍(もんじやく)。
【宿直】との‐い〔‐ゐ〕《「殿(との)居(い)」の意》
1 宮廷や役所に泊まって勤務し、警備守護などをすること。
「彼の宮に詣でて―に侍らむとす」〈皇極紀〉
2 夜間、貴人のそばに侍して不寝番をすること。「御前に人あまたさぶらへ。新中納言など、―にはなどさぶらはれぬ」〈夜の寝覚・四〉
1 貴人の寝所に女性が奉仕すること。夜伽(よとぎ)。「女御御息所の御―絶えたり」〈栄花・月の宴〉
【宿直衣】とのいぎぬ
「宿直装束(とのいそうぞく)」に同じ。
【宿直姿】とのいすがた
宿直装束(とのいそうぞく)をつけた姿。
【宿直装束】とのいそうぞく
宿直(とのい)1に着用した装束。略式の衣冠または直衣(のうし)。束帯(そくたい)より軽装。とのいぎぬ。→昼(ひ)の装束
【宿直所】とのいどころ
1 宮中で、官人が宿直(とのい)1をする所。
2 神社で、神官が宿直する所。とのいや。
3 江戸時代、武家屋敷などで、侍が宿直する所。
【宿直蟇目】とのいひきめ
武家の寝所仕候の宿直の際、夜間警戒のために射る、音の出る蟇目の矢。
【宿直人】とのいびと
宮中で、宿直(とのい)1をする人。また、貴人の邸宅で夜番をする人。
【宿直袋】とのいぶくろ
「宿直物(とのいもの)の袋」に同じ。
【宿直奏し】とのいもうし
宮中で宿直の官人が定刻に声をあげてその氏名を名のること。また、その声。→名対面
「名対面(なだいめん)は過ぎぬらむ、滝口の―今こそと」〈源・夕顔〉
【宿直物】とのいもの
官人が宿直をするときの衣服・夜具の類。
【宿直物の袋】とのいもののふくろ
宿直物、特に、宿直装束を入れる袋。とのいぶくろ。
(広辞苑から)
藤原時明
藤原時明(ふじわら の ときあきら、生没年不詳)は平安時代中期の貴族。藤原北家魚名流、摂津守・藤原佐忠の子。官位は正五位下・山城守。藤原顕季の曽祖父にあたる。
10世紀頃の人物で上野介、山城守、大和守などの地方官を務める。『小右記』によれば和泉守も務めていた。
妻:藤原忠君の娘
男子:藤原頼任(?-?)
(ネットから)
【五七】
若くて身分教養などが悪くはない男が、下衆(げす)女の名前を親しそうに呼ぶのは憎い。親しくても「何といったっけ」など、名の半分は思い出さぬ風に言うのはよい。
宮仕所の局によって、夜間などは悪いだろうが、宮中ならば主殿司、宮中でない一般の邸などでは、侍所(従者の詰所)などにいる者を連れて来てでも呼ばせるがよい。自分で呼んでは声が明瞭で誰かと分かって困るのだから。雑仕女や童女の場合は、まあそれでもよい。
【五八】
若い人や稚児達は少し肥えた方がいい。国司の吏務を執る者ののよう一人前になったような人にも、ふっくらとした人がいい
【五九】
稚児は、粗末な弓や笞のような物をふりあげて遊んでいるのが大層かわいい。車を止めて抱き入れてよく見てみたくなる。
またそうして車で行くうちに、薫き込めた香りが大層漂っているのこそ面白い。
【六〇】
立派な家の門を開いて、寝殿造で東と西の渡殿のそれぞれ中程を切り通して開いた中門も開いて、貴人の晴れの乗用車榔榔毛(びろうげ)の白く綺麗なのに、蘇枋色の下簾のぼかしが綺麗で。車輿を停める際、轅(ながえ)を置く台(図参照)榻(しぢ)に打ちかけてあるのが見事である。五位・六位であろう者が下襲の裾を折って石帯に挟んで、白い笏に扇を行き違い交差して置いて、また随身は、束帯姿の正装し、矢を盛って背に負う器の壺胡靫(ゆき)(当時は壺胡ぐひ)を背にして出入りしている。なかなか好い光景である。
雑仕の女の綺麗なのが出てきて、
「何々殿いらっしゃいますか」
などと言っているのも様になっている。
作品名:私の読む「枕草子」 46段ー60段 作家名:陽高慈雨