漢字一文字の旅 紫式部市民文化特別賞受賞作品
7―4 【岬】
【岬】、元々の意味は山と山の間、山あいだとか。
それが日本国語では、なぜか海中に突き出た陸地の端となり、「みさき」となる。
そんな【岬】、旅情一杯で、いろいろな伝説がある。
その一つがグアムにある『恋人岬』。
グアムをスペインが統治していた時代、父はスペインの貴族、母はチャモロ族の首長の娘。
そんな両親から生まれた美しく心清らかな一人の娘がいた。
年頃となり、父はスペイン人の男を婿に迎え入れようとした。しかし娘は嫌で、町から逃げ出し、海岸へと辿り着いた。
そこでチャモロ族の貧しい兵士と出会い、恋に落ちてしまった。
二人は人目を忍び、浜辺で逢瀬を繰り返した。
しかし、それを知った父は怒り、二人をタモン湾の崖まで追い詰めた。
もう逃げられないと悟った二人は、互いの長い黒髪を固く結び合い、崖の上から身を投げてしまった。
そして、その後、その悲恋の岬は「恋人岬」と呼ばれるようになったとか。
だが、このような伝説は日本にもある。それは新潟の柏崎にある『恋人岬』。
昔、佐渡にお弁という美しい娘がいた。佐渡に船大工の仕事で来ていた籐吉と恋に落ちた。
しかし、籐吉は仕事が終わり、柏崎へと帰ってしまった。
お弁は恋しく、柏崎の岬の常夜灯(じょうやとう)を目指し船を漕いで行った。そして毎夜船で漕ぎ行き、籐吉との逢瀬を繰り返した。
しかし、籐吉はお弁の深情けが鬱陶(うっとう)しくなってきた。そのため、ある夜、常夜灯を消してしまった。
その翌日、お弁の水死体が岸に漂着した。それを見た籐吉は悔い、後を追って海に飛び込み死んだ。
人たちはお弁を葬り、そして、その岬を『恋人岬』と呼ぶようになったとか。
古今東西、【岬】には、微妙に異なってはいるが、悲しい物語があるようだ。
作品名:漢字一文字の旅 紫式部市民文化特別賞受賞作品 作家名:鮎風 遊