ブラックデザイナーの独り言
残業について
裁量労働制、というのを知らない人は多いと思う。
簡単に言ってしまえば「規定労働時間イコール成果イコールお金」にならない職業の人に適応される労働制で、いわゆる「みなし労働時間性」の一つだ。
わかりやすいのは編集者かもしれない。どうだろう。やってみようか。
例えば、ものすごくおいしいイタリアンのお店があった場合、そこの特集記事を組むとして、店長に取材を申し込む。十七時に開店するお店で、仕込みやらなんやらで十四時の出勤だとする。当然十四時から十七時の間は仕込みで忙しいから、取材を受けられるなら十七時以降の、他スタッフが店を切り盛りでき始める時間になってしまう。
仕込みは以外と飲食業では重要で、現場タイプのシェフ、店長がいる場合は必ず参戦する場合が多いのだ。あと社員が一人であとアルバイター、という構造の飲食店では、コスト削減のために店長が出てくるケースが多いと思う。これは実体験を伴っているので、わりと信憑性が高いことなんじゃないかと思うけどどうなんだろう。
さて、編集者のスケジュールをコントロールしてみよう。幸い午前中にやるべき仕事はない。十四時あたりで一度後輩の仕事を見てやりたいから、十三時には出勤しようと思う。他に仕事もないから、雑務を住ませたら、十七時に向かおう。こんな感じだ。
ネットで調べれば、労働裁量制というのは「業務の遂行方法が大幅に労働者の裁量に委ねられる一定の業務に携わる労働者」に適応されるもの。
「時間は労働者に任せるから、どの時間帯でもいいから効率よく働いてね」スタンスだ。
研究所に勤める人が、「十六時には全員退社」とか言われたら、十六時以降、夜という時間帯に何らかの変化がある実験には携われないのである。これを可能にするのが労働裁量制だ。
これだけ聞くととても自由制に富んだメリットだと思われるかもしれないが、はっきり言ってきちんと機能している会社はどこにもないだろう。
ちなみに裁量制とフレックスタイム制度は別物。裁量制は遅刻や早退、八時間労働というものが存在しない。例え一時間しか働いておらずとも、一時間で仕事が終われば業務は終了だ。対してフレックスはだいたい一ヶ月の労働時間が満たされることが条件だ。仕事がなくとも、八時間働かなければならない。
例えば、一つのボウルがある。これにたまご十個分の仕事量を入れ終わるのが一日の業務完了だとする。
一般企業で普通の固定時間制度を採用している会社は、始業から開始され、このたまごを全部入れるまでは業務完了にならない。時間内に終わらせて、時間が余ったとしても、契約上の終業までは会社にいなければならない。時間外までかかったら、残業に対して時間外労働手当が提出される。(サービス残業、というのは、会社を慮るあまり、給与が発生しなくとも仕事をする現象のことだ。笑える話だ、社愛の深いことである)全部入れられなかったとしても、給与は払われる。サビ残でない限り、労働者の時間は消費されたからだ。
フレックスタイム制のところは、たまごを入れる時間を問わない。「私は朝が弱くて、昼過ぎのほうがたまご割るの効率いいから、十二時から出勤して八時間働くわ」が通用する制度である。
フレックスタイムにはコアタイムとフレキシブルタイムがあって、コアタイムは「みんなでたまご割らなきゃいけないからみんないなきゃいけない時間」で、フレキシブルタイムは「みんなでたまご割る必要はないけど割れる人は割ってください時間」だ。なんでたとえ話たまご割る話にしちゃったんだろうわかりにくいな……。このコアタイムやらフレキシブルやらは定められるかどうかは会社の任意で、大概が存在する。結局のところ、取引業者や一般社会が活発に動いている昼間あたりは、みんないなければ会社の利益に関わるのだ。
さて、裁量制である。
裁量制には時間の概念がほとんどない。結果が全ての世界である。遅刻も早退も自由にやれ、なのだ。ただし仕事はしろ、という点で、合理的な出勤時間と退社時間が求められる。非効率的な時間で仕事を行おうものなら、即刻減給だ、あるいは賞与なし、だ。
「たまご? なぁに五分もあれば割れるさ!」な人は、たまご割ったら帰っていいのである。
「ふぃぃ、終わらないよおぉぉ」な人は、終電までやらなければならないのである。
能力者ほどトクをする専門の特権が、この裁量制である。デザイン制作所の大半はこれを採用している。会社のメリットはもちろん、時間外労働手当というものが一切発生しないからである。
ちなみに、深夜残業や健康管理の概念から、裁量制にもタイムカードを切るところは多い。労働時間の記録は会社の義務だ。
能力者なら早く帰れるんでしょ? すごいいい制度じゃん!
そう思った方。知っているか、仕事に終わりがないのがデザイナーなのだ。
無論、自分の技術やセンスを突き詰めていくために、会社に居残るなら問題も文句もない。自由にやってくれ私は帰る。
だがこのご時世、デザインの単価は「無料でやってくれるのが技術者の懐の深さだ」みたいなことをいう某政治家がいたりして、めったくそに価値が下がるわ、数で押さなけりゃ売り上げ上がらないわ、数ばかりはデザインの敵なのだ。日中ひっきりなしに急ぎの仕事が舞いこみ、ただでさえ他案件もやっかいなのに、ほとんどパンク状態で動いている制作会社が大半ではないだろうか。
これが一本通ったゲームのプロジェクトなどだった場合は悲惨である。ゲームを作り出したら、その完成と売り上げ、アフターケアなどまでが一連の仕事なので、それをずっと続けるとなれば事実、一、二年、それ以上も休みなんかない。死ななけりゃ寝る時間だって削いでもいいのが、この裁量制の落とし穴なのである。
やらなければならないと言うわけではないが、やらなければ食っていけないので、やるのだ。結局。
人を雇えば解決する? その人件費はどこから捻出するのだ。働いて会社に利益をもたらさなければ、人だって雇えないのだ。みなさんは人事採用にかかるお金がどれくらいの規模なのか、ご存知だろうか?
能力者であろうがなかろうが、その日一日の業務が区切られない場所では、ほとんど帰宅自体が困難だと言っていい。まして、デザイナーはプロジェクトで動くことが稀の単品依頼が多いので、その納期もある。納期の前に校了という確認作業がある。校了が終われば二次、三次と繰り返され、ようやっと入稿、と思ったら色校で修正依頼が舞い込む。
正直世の中のクライアントさんは、デザイナーを軽んじすぎていて、置き換えの効く何かだと思っているんじゃないか、とすら疑いが生まれる。
あ、この次はクライアントさんの話をしよう。きっと身に覚えのある人が多いから。あとどこかで単価の話もしよう。デザインって安いんだぜ?
とにもかくにも、裁量制のあるデザイン制作会社に勤め始めたら、残業なんかない。あったらいいな、と思うほど、残業がない。それは存在の有無ではなく概念の有無だ。終電が定時と思え、は、正しくその通りなのである。
作品名:ブラックデザイナーの独り言 作家名:りめ