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ブラックデザイナーの独り言

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フォントについて



フォント、というものがある。

文字の種類のことだ。ヒラギノとかMS明朝とかが世間様では知られているのではないだろうか。もっともよく使われる日本語のフォントは新ゴで、これは交通表示に使われているものである。現在私が使用中のマッキントッシュのデフォルトフォントはヒラギノ角ゴで、ウィンドウズのデフォルトフォントはメイリオだろうか。

フォントにはファミリーがいる。いるというより、ある、と言うべきだろうか。ファミリーはいわゆる太さや長さのことで、太いやつだとヘヴィーとかボイドとかいろいろある。場合によってはライトだったりミドルだったり、デミボールドだったりいろいろだ。
信じられないほどのファミリーを持つフォントもあれば、まったくファミリーのないフォントも存在する。個人的には子だくさんよりもマジぼっち、というフォントのほうが好感が持てるのだが、ぼっちフォントはデザイナー的には使い勝手がよろしくなくて、あまり頻繁には使用できない。フリーフォントは大概がぼっちだ。フリーがぼっちとか本当に世の中よくできている。

英字フォントにはセリフがある。文字が角張っていない、ふちが広がったりラインで飾ってあったりするものだ。セリフのあるフォントは、名の通り実におしゃべりで、見た目としても妙にオシャレだ。タイムズやセンチュリー、ガラモンドなんかが有名。コッパーもセリフフォントに入るだろう。セリフにもいろいろ種類があって、形が異なる。
セリフのないものはサンセリフという。代表がヘルベチカ。ヘルベチカを知らないヤツはデザイナーをするな、と言いたいほど使い勝手のよい、いわゆるフォント界のアイドルである。オプティマがオシャレガールだとするなら、フーツラがスマートなOLさんだ。気が向いたら探してみてるといいと思う。

日本語フォントにはセリフの代わりにウロコがあるものとないものがある。ウロコがあるものは一般的に明朝体と呼ばれている。文字を構成するラインの端っこに、ちょこんと乗っている三角形がウロコだ。これがないものがゴシック体と呼ばれている。
エヴァで有名なフォントはマティスと呼ばれているもので、フォントワークスが発売している。フォントワークスのフォントにはロダンとかセザンヌとか画家の名前が使われているものがあり、このセンスには出会った時に脱帽した。名付け親はフォントが文字でありながら絵画であることを知っていたに違いない。

さて、ざっくりフォントのことをつらつら書いていたが、デザイナーはこれらのフォントを組み合わせながら紙面を作る。その気になれば駅ばりに使われているフォントが何なのか、一目でわかってしまうくらいにはこれに特化する。フォント名を知らなければならない、という鉄則はない。要は、紙面上にフォントを使用する場合、そのフォントを使った場合の文字の形や特製を見て、「よく見えるように」かつ「効果的に見えるように」文字の間や行間をコントロールできればいいのだ。フォント名なんてラベルにすぎないのである。

ウェブ上の友人の本名を知っている人はどれくらいいるだろうか。知らない人の方が多いのではないだろうか。けれどリアルなお友達よりもそっちの子のほうをよく知っている、ということはないだろうか。あるいは、リアルなお友達よりもそっちの子のほうが、自分のことを知っている、と思うことはないだろうか。
りんごの銘柄なんぞ知らなくても、おいしいりんごの見分け方を知っていたほうが幸せだ。店の名前を覚えられなくても、デパートの何階の端っこにあるお店がお気に入り、という事実のほうが大事だ。世の中ってそんなものなのである。本質を見抜ければ名前やらタイトルなんかどうでもいいのだ。
どうでもいいけれど、それを差して一つに伝える時には、やはり名前が必要である。……魔法使いが本名を知られてはならないのは、それが時として己の本質さえ言い当ててしまうから、とも言えるのではないだろうか。小説のタイトルもそういう、魔法使いの名前のようなものでありたいね。

話はもどるが、このフォントというもの。
デザイナーにおいては、写真の質やイラスト等よりも、実は重要視されているものだ。きっと同業さんは概ね頷いてくれていると思う。
デザインするにおいて構成材料となるものを素材、と呼び、写真やイラストはその一つであるが、当然ここにフォントも入る。ぶっちゃけ写真もイラストも提供されない場合があるから、デザイナーにとって最後の武器は、フォントだと言っても差し支えないだろう。色も入れていいかもしれない。

日本語はひらがなとカタカナと漢字とが入り乱れるから、文字組みと呼ばれるフォントの整理、あるいは構成、配置がとても難しい。

例えば、「し」「り」「す」といった、タテに長いフォントは文字間を詰めなければ隙間ができる。す、なんてどんなに詰めても左下にアキが出てしまう。こういう場合は無理にでも周囲の空間を同じくらいに取って開けてみたり、無理矢理埋めたりして対応する。
分かりやすいのはカタカナの「ト」だ。こいつは左側に嫌いなヤツが常にいる、といわんばかりに、ぽっかりと隙間を作りやがるので、チョイチョイと隣と仲を取り持たないと、総合して見た時に、ぶっつり文字が切れて見えるのである。個人的には明朝ひらがなの「こ」が苦手だ。なんで腹のところに空間があるのか。「た」とか「に」も同じ理由で嫌いだ。みんなぽっこり腹に空間があるからだ。どうあがいたってうめられない。(ちなみに隙間が埋められないことに何故か焦りを感じ、紙面上の空間をとりあえず何かの要素で埋めたがる現象を、「隙間症候群」と私は呼んでいる)
句読点も全角半角、あるいは詰め方でまったく異なる印象を生み出す。この印象が読みやすさに直結するので、読みにくいデザインの紙面は手抜きだと思ってもらって大正解だ。

画数の多い漢字は詰めると見た目が重くなる。だから暖色で軽くしたり、文字間や行間に隙間を作って風通しをよくしたりする。数字はもともと日本語ではないので、英語フォントを使ったほうがきれいに見える。これもまた兼ね合いが難しい。最近では合成フォント、と言って、日本語フォントと英語フォントを組み合わせる機能がイラストレーターについているが、重宝している。

いろいろとフォントについて語ってきたが、文字を打っている時に、これをよく思うのだ。

デザインというのは、和訳して「設計する」という意味を持つ。語源としてはデッサンと同じで、計画を記号に表す、という意味らしい。計画し、設計することがデザインであって、そのために使用される素材がグラフィティ的な要素であるなら、グラフィックデザイン、と、こうなるわけだ。
デザイナーにはセンスが必要だが、それは見た目を美しく整えるための美的センスではない。
何故計画するのかを理解し、何を要素として、どのように整理し、より広くにアプローチしていくのかを論理的に見抜くセンスのほうが大事なのだろうと思う。結果的にダサくなろうがどうなろうが、何のために計画したのか、その目的が達成できていれば、デザイナーとしては成功なのだ。
絵がうまくなくたって、それができればデザイナーにはなれるのだ。他に絵のうまい人間はいっぱいいる。