連載小説「六連星(むつらぼし)」 第6話~第10話
桐生の市街地から草木ダムまでは、赤城山の東端を流れている
渡良瀬川の流にそって、山の間を北上することになる。
途中の宿場町、大間々町(おおまままち)を経由して、30キロ余りの
道のりになる。
左右からせり出してくる山の麓を伝いながら、ひたすら川の流に寄り添い、
谷底を這うようにしながら山奥を目指す。
この路には、「銅山街道(あかがねかいどう)」という別名がついている。
最奥地にある足尾銅山から、銅を搬出する牛馬のためにつくられたという
古事に由来している。
緩やかな起伏を何度か繰り返した後、道路が突然、渡良瀬の
渓谷から離れていく。
川から離れた道路は、左の山の斜面をひたすら駆けあがっていく。
長い直線の急坂路が終りをつげると、最後の最後に急ヘアピンカーブが
待っている。
今来た方向を無理やり振り返るほどの急角度で、道路は急旋回をする。
急カーブを抜けると、周辺の山々が瞬時に消える。
目の前に青空が広がり、切り取られた巨大な空間が車の行き先に広がる。
草木ダムは、湾曲した巨大なコンクリートの壁を持っている。
川底からそそり立った壁の高さは、140m。
利根川水系につくられた8つのダムの一つで、川治ダム(鬼怒川)と並び、
奈良俣ダム(楢俣川)の158.0mに次ぐ壁の高さを誇っている。
ダムによって形成された人造湖を、草木湖(くさきこ)と呼んでいる。
財団法人ダム水源地環境整備センターの選定する、ダム湖百選にも
選ばれている。
このあたり一帯は、狭隘山間地にしては珍しいほど、比較的開けた山村だった。
足尾町と桐生市のちょうど中間点に位置している。
交通の便も良く、居住者たちもたくさんいた。
そのために当時のダム建設反対運動には、きわめて激しいものがあった。
漁業権の補償などもあり、2度にわたって着工が遅れたという
経緯を持っている。
最終的にこの草木ダムの建設により、東村神戸(あずまむら・ごうど)と
沢入(そうり)地区の住民、230戸が湖底に水没をしている。
ダム湖を見下ろしながら、1キロほど走った先に湖を横切る
真っ赤な橋が現れる。
草木のシンボルともいえる湖上橋だ。
俊彦の運転する車が赤い橋へ乗り入れ、その中間部で停車をする。
「だいぶ水も少なくなっているなぁ。
ほらご覧。高台にあった昔の小路の跡が、むきだしになって良く見える」
響が、真っ赤な橋の欄干から身を乗り出す。
真っ青な湖面から突き出るように、枯渇した木々や、堆積した土で白く
光る家の屋根などが、点々と目の前に見えている。
足元の水面に、昔の街道がそのままの姿をあらわしている。
高台を巻き込むような形で丘を迂回したあと、再びゆるやか弧を描いて
青い水の中へと没していく。
「ここが、お母さんが生まれたほんとうの故郷。
人が住んでいたままの家が、リアルに水の底へそっくり沈んでいるなんて。
うわぁ・・・・なんなのかな、この気持ち。
なんだか見ていて、無性に寂しくなるような光景だなぁ。
胸が痛むというか、切なくて、涙がなんだか出てきてしまいそう」
(へぇ、こいつ。結構いい感性をもっているんだな・・・)
俊彦がそんな風につぶやいたとき、胸のポケットで携帯電話が鳴りはじめる。
着信表示を確かめた俊彦が、響からは少し離れる。
くるりと響に背中を向けてから、応対のための電話に出る
(誰からなんだろう・・・・もしかしたら、私には聞かせたくない話かな・・・)
響は欄干に両肘を乗せたまま、そんな俊彦を横目で
こっそりと観察をしている。
俊彦の、長めの電話はさらに続いていく。
再び足元の光景に眼を戻した響が、泥が乾いて鈍く銀色に光る街道の様子を、
ぼんやりと、時間をかけながら見つめていく。
(あそこに見えているのは、たぶん、集落のもとの道だろう。
ということはあそこを、小さいころのお母さんが歩いていたということになる。
ということは・・・・いまから、40年くらい前のことになるはずだ。
40年前までここには人々が居て、母が居て、
普通に暮らしていた集落が有った。
ダムになる前までは、人々が普通に暮らしていた場所だ。
それを、こんな風に水没をさせてしまうなんて、ひどい話だ。
いったい誰がなんのために、こんな巨大なダム湖を作ったんだろう。
何故230戸もの人たちの故郷が、冷たい水の底に沈む羽目になったんだろう。
お母さんはどんな思いで、ここから桐生に移っていったのだろう。
なんだか見てるだけで、切ない気分になってきちゃったなぁ・・・・)
「響、温泉は好きかい?」
俊彦が携帯を胸に戻しながら戻ってきた。
「それって・・・・もしかして、
温泉で落ちあう約束の人が、突然現れたからという意味かしら。
今日は一日、私と遊んでくれるって約束をしてくれたのに、
意外と浮気性なんだね。トシさんは」
「そう言うな。実は久々に行き会う、懐かしい人からのお誘いだ。
そう言わずに、つき合ってくれないか。
この先の日光の温泉で落ちあうと、たった今、約束をした。
ここから、目と鼻の先の温泉だ。
いいだろう、行っても」
「その人が私よりも、美人だったら絶対に嫌です。私は行きません。
温泉は大好きだけど、そういうことなら、
あたしはひとりで、此処から帰ります」
「う~ん、君より美人かどうかは、難しい問題だな。
たぶん2人とも、甲乙つけがたい。
響も美人だが、相手のご婦人もまた、まちがいなく美人の部類に入るだろう。
あれ、・・・・行き会う相手が女性だと、よくわかったね。
女の直感かい?。それとも君の野生の感かな?」
「恋する乙女は、常に敏感です。
だいいち携帯の着信を見た瞬間、にんまりと自分で喜んでいたくせに。
トシさんは、嘘がつけないタイプです。
そうか、『ご婦人』と呼ぶということは、相手は妙齢の女性ですね。
よし、年齢で比べれば私が勝ってることになる。
わかりました。温泉へ行きましょう。
妙齢のご婦人が待っているという、日光の温泉とやらへ」
「お前。見かけはすこぶるチャーミングなのに、妙に棘のある
その『やっかみ』だけはよくないぜ。
誰に似たんだ。お母さんはおしとやかだというのに、君はちょっと別物だね」
「じゃあきっと、まだ見たことのないお父さんの影響です。たぶん」
「へぇ。君のお父さんと言う人は、あまのじゃくの性格の持ち主かい?。
ところで君は、今でもお父さんに、会いたいと思っているのかい」
「自分でも、今のところは半信半疑の状態です。
逢いたいような、逢いたくないような、まだ私自身が揺れています」
「そうだろうね。期待もあるし、失望も有る複雑な親子の再会だ。
お互いの心中も、たぶん複雑なことになるだろう・・・・
じゃあ行こうか。悪いが、シートベルトを絞めてくれ。
ここから先は信号がほとんど無い、快適な渓流沿いのドライブだ。
春の新芽にはすこし早いが、それでも車窓の景色は充分なまでに美しい。
久々に美人を乗せてのドライブだ。
俺の胸も、腕もいまからたっぷりと高鳴る」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」 第6話~第10話 作家名:落合順平