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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 *  *  *

 ソフィアは、自らに迫り来る気配を感じ取っていた。
「何かくる」
 ほぼ同時に、姿無き声も警告を発する。
 敵意を含んだ気配は、見物客の足音に紛れてゆっくりと近づいていた。明らかに人の発することができる類のものではない。
 振り向いたソフィアの目に、教師に引率された小学生の列が映る。
 ―― ここでは戦えない
 湧き起こる負のイメージに、ソフィアは身を震わせて走り出した。
 いつの間にか増えていた見物客は、ソフィアが進もうとする反対方向へと流れていて、いちいち進行を阻害する。
 それでも、その人波の合間を縫って、ソフィアは走った。走り続けた。
 だが、どれだけ走ろうとも、その気配はぴったりと付いてきた。しかも、その距離は確実に縮んでいる。
 ようやく正面玄関に辿り着き、表通りへと飛び出したソフィアは、周囲の様子に自分の目を疑った。
「霧が……」
 ロンドンは霧の都と呼ばれている。
 酷いときは、伸ばした手の指先が見えないほどの霧が立ち込めるため、その霧を初めてを経験した者は驚きを超えた恐怖を覚える。
 霧の中に足を踏み入れることを恐れたソフィアは、入口のすぐ脇にある柱の影に身を屈めると、自身の持つ最高の結界を張って姿と気配とを消して息を潜めた。

 *  *  *

 佐佑がCMUの本部に戻ると、既にソフィアの捜索が開始されていた。
 西洋諸国に大きな影響力を持つリンダ・クロウの依頼とあって、多くのエージェントがその任務にあたっていた。
 佐佑には、自分の力が捜索向きではないという自覚がある。そのため、餅は餅屋、捜索は捜索を得意とする者に任せることにしている。
 CMUのエージェントには、その能力の特異性から極めて限定的な任務にのみ従事する者が存在する。その代表的なものが捜索班だ。
 捜索班は、その名の通り目標の捜索と監視を行っている。
 佐佑が英国にやってきたばかりの頃に、とある目標の捜索を依頼したことがあったのだが、その際には驚くほどあっさりと目標を発見していた。
 佐佑にはその捜索方法の想像さえもできず、思わずどうやって捜しているのかを訊ねたのだが、余所者に手の内を明かすはずもなく、自分を受け入れた理由は技術協力ではなかったか、と苦笑った経験がある。
 その後、ある程度の信用を得た頃に、捜索班の一人が条件付きで佐佑に捜索方法の一部を明かした。実は、そのエージェントは佐佑を監視する役割を与えられていたのだが、佐佑がすぐに監視を逃れて見失ってしまうために、どうやって監視から逃れているのか、と反対に質問されたのだ。
 捜索班の捜索方法とは、いわゆる万物の声を聞くことだった。
 昆虫や小鳥などの小動物から、浮遊霊や地縛霊などの人霊・動物霊、花や植物の精、風の精などの大自然の声を聞いている。木々のざわめきと小鳥のさえずりから目標の場所を探り当てることができる、というわけだ。
 その方法で佐佑が監視できてない理由は、いわゆる霊的な気配というものを佐佑が常に消しているせいであって、見えていないのではなく、把握できていない、認識できていない、ということだ。

 佐佑は、ソフィアが発見されるまでの時間を、地下室の掃除をして過ごすことにした。これは今回に限ったことではなく、何かしらの待ち時間や待機命令が発生した際は、必ずと言っていいほどやっていることだ。
 掃除は己自身を磨く行為でもあり、修行の一環であり、佐佑にとって精神集中の儀式でもあった。しかし、にやけ顔で鼻唄なんかを刻みながらやっているためか、周囲の者たちはそう思っていない。
 さあ始めるぞ、というその瞬間に、佐佑は室長からの呼び出しを受けた。
「大英博物館ですか?」
 佐佑は確認の意味でその単語を口にした。
 大英博物館に展示されている品々が持つ骨董価値は計り知れず、金銭という概念では釣り合いを取ることは不可能に近い。当然、それらを狙う不届きな輩が数多く存在している。人間であったり、それ以外であったりもする。
 新たな叡智を集めるため、また、それらを外敵から守る為に、大英博物館調査部という名の博物館独自の組織も存在している。
 彼らの多くは常に世界中を飛びまわっているため、博物館には常駐しておらず、有事の際には佐佑が所属している特殊工作部が出動することもある。
 その見返りとして、古代の叡智のお裾分けを頂いている。
「日本ブース付近で異常を感知したらしい。常駐の者が正体を調べようとして使い魔を出したら、一目散に逃げ出したらしくてね」
 室長はそう言ったあとに、チェスの相手が見つからない不満を続けた。
「なぜ私が?」
「あちらさんからご指名を受けてね」
「いつから出張サービスに指名制の導入を?」
「昨日からかな?」
 昼行灯を遺憾なく発揮するその声は、相手の神経を逆撫でる充分な効力を持っている。
「ソフィア・クロウの件はどうするんです? 私を探しているそうですが」
 室長はディスプレイから目玉だけを動かして佐佑を見る。
「リンダ・クロウがそう言ったのかね?」
 佐佑は、えぇ、と頷いた。
 ふむ、と一言だけ唸った室長は、しばらく考え込んだあと、何事もなかったようにディスプレイに視線を戻した。
「それが本当なら、嫌でも関わることになるんだ。慌てるこたぁないさ。んじゃまぁ、博物館のことは頼むよ」
「室長」
「もう『すぐ派遣する』って言っちゃった」
「……室長」