プリズンマンション
「あのー、すいません」
遠山金吾と名乗ったこの男は所轄の刑事だった。
「この先で事件がありまして、その犯人がこちらのマンションの前を通って逃走しまして」
「事件の協力依頼ですか、このマンションにですか」
このマンションの事情を知っているのかと疑った。
「はい、マンションの防犯カメラに犯人が写ってないかと思いまして」
外壁にある防犯カメラに、逃走する犯人が撮影されている可能性があるのでと協力を求めて来たのだ。
「理事長さんに確認しますので」
マンションの防犯カメラは組合の所有物。録画画像も理事長の許可なければ見せる事は出来ない。相手が警察でも例外はない。
神戸長次は「えっ」と言ってしばらく黙っていた。
「・・・(どうしたの)それが・・・)」
妻の三枝子の声がした。またしばらく沈黙した。
「取りあえず降りて行きます」
神戸夫婦がやって来た。
管理室に入った遠山刑事はモニターを見て一瞬動揺した。
「す、すばらしいですね」
「そうですか」
「○○○署の遠山です。捜査にご協力いただき有難うございます」
「理事長の神戸です」
お互いの事情を知っているだけに、ちょっと妙な感じがした。
ヤクザと刑事が並んで、防犯モニターを見ている。
「事件が起きたのはいつ頃ですか」
「昨夜の二時頃です」
操作する電子音が響いた。神戸長次は防犯モニターの再生ボタンを押して日時をセッティングした。
「それじゃスタートします」
「お願いします」
妻の三枝子が二人の後ろに立っている。何だか二人の行動を監視している様に見えた。
南側の歩道を小走りに歩いている男が映っている。
「こいつか?」
男は足を速めてマンションの角を曲がり、正面玄関の歩道に消えた。
「二番カメラに切り替えます」
角に消えた男がモニターまたに表れた。
「そのまま追って下さい」
「この男ですか」
「被害者の話の男と特徴が似てますね」
そのまま犯人とおぼしき男を次々にカメラが追いかける。
「間違いないですね」
「ロムに焼きますか、よかったら使って下さい」
後ろで見ていた妻の三枝子が、部屋から持って来ていた空のロムを夫に手渡した。
「ありがとうございます。助かります」
「これも市民の義務ですから、そうですよね理事長」
神戸長次は思いがけない妻の言葉に、一瞬驚いた様な顔をしたが大きく頷いた。
「ええ、そうですよ義務ですから」
捜査協力を神戸に決断させたのは三枝子だった。尻込みしていた旦那の尻を叩いて勧めたのだ。
三枝子はこれで警察に貸しを付ける事が出来るかもしれないと考えたのだ。
あの元理事長が断行したマンション改革に、旦那を参加させたのも三枝子だった。あの時は改革でマンションの付加価値が上が不動産価格も跳ね上がると読んだのだった。
これをアドバイスしたのは、丹波屋伝三の妻の友子だ。
三枝子も亭主を組長につかせた丹波屋友子が目標だった。その為に三枝子は夫に内緒で何かとアドバイスを受けていた。
神戸理事長の協力で作った手配写真で強盗事件の犯人が逮捕された。捜査協力て所轄から感謝状の話があったが、そこまではと神戸長次も丁重に辞退した。
「また来ます」
意味深ないつもの言葉を残して長谷川刑事はやっと帰った。
マンション内で収まってくれるクレームならよいのだが、簡単に済まらないクレームもあった。
「どうしてくれるんだよ」
「今、管理会社の担当営業に連絡しましたのでお待ちください」
「これじゃー使い物にならねな」
前夜から気にはなっていた。台風の大雨でマンション敷地内の三段式機械立体駐車場で事故が発生。地下部分の駐車スペースに駐車してあった車一台が流れ込んだ雨水に浸かり車が動かなくなったのだ。被害のあった住人が怒鳴り込んで来た。
車の持ち主で、○○会○○組現役組員の飯岡助二、三十歳。二○八号室の住人だ。
森岩松の前任者。
このクレーム、いやクレームと言う範囲を越えた事故は管理員が対応出来る問題ではない。直ぐに管理会社の担当営業に連絡。一時間後に事後処理のため担当営業が駆け付けて来た。
普通の雨水なら設置してある排水モーター設備で、強制的に排水口から雨水タンクに流して車が雨水に浸かる事故になる事はない。それに、事前に駐車場を利用している居住者が他の場所に移動したり、地上部分に駐車テーブルを上げたりして冠水事故から避難させている。
「貼り紙、そんなもの一度も見た事ねー」
「注意書きを貼り出してあったのですが」
「知らねーな、貼り紙なんか見た事ねよ」
大雨が予想される前日に貼り紙が掲示している。
「確かに掲示したのですが」
「だけどそんな紙なんかどこにも無いじゃねーかよ」
貼り紙が掲示してあった事は他の居住者が認めている。
この日、冠水被害にあったのは飯岡の車だけだった。
「前の日か、残念だが俺はマンションに居なかった。留守してたからな」
留守だったので貼り紙も見てないし、他の住人が車を移動したのも知らないと言い出した。
「だからよ駄目になった車を弁償しろっ言ってんだよ」
「しかし、私どもの過失では」
「何だと、それじゃ俺が悪いって言うのか、えーおい。俺を誰だと思ってるんだ」
飯岡は大声を出して威嚇する。
「そう言われましても」
「出るところに出ようじゃねーか。俺はいいよ、上の方がさ」
組の関わりを臭わせて脅しを掛けて来た。通常ならば裁判に持ち込めば勝てるケースだが、相手が相手だ。飯岡個人ならば問題はないのだが、もしも組が絡んでいたら面倒な事に発展する危険性がある。
そこで管理会社は、蛇の道は蛇とマンション管理組合にトラブルの仲裁を依頼。
すぐに理事長の神戸は動いた。組合としても裁判沙汰となればマンションの評判にも影響すると考え協力したのだ。
幸いにも騒ぎは組とは関係ない事が分かった。それに水没した車は飯岡が組から管理を命じられていた車ではなく、飯岡個人の中古の車だった判明。飯岡も組の高級車を使う度胸は無かった。
組合が間に入って交渉の末、管理会社として要求された金額の一部を見舞金として飯岡に支払う事で決着した。
それから数日後、飯岡助二は二○八号室から居なくなった。
後から聞いた話だが飯岡助二の破門状が組から出された。
「関東一円雨降る中を~♪さして行こうよ蛇の目傘ぁぁ~♪」
今日も聞こえて来た。あの人の歌が、いやあの人が唄うあの曲。
「おはようございまーす」
あの人の仕事に出掛ける時の勝負服ならぬ勝負歌だ。
真っ白い上下のスーツでさっそうと唄いながら階段を降りて来た。
「いつもご苦労様」
二○二号室の住人。江戸時代から続いている○○組の組長山本長子。バリバリ現役業界人。このマンションではちょっとしたアイドル的存在の女親分だ。マンションの理事でもある。
「よっお嬢、今からかい」
そこに彼女の唄を聞き付けて丹波屋伝三がやって来て来た。
「叔父気、おはようございます」
「いつもながら、見とれちまうねー」
背が高く宝塚の男役かと誰もが思う程のスタイルの良さと、鼻筋のとおった美貌のアラフォーだ。
それに武勇伝も彼女の魅力のひとつだ。