さくらいろの日々。
「はなのーいろーくものーかげーなつかーしいーあのおーもいーでー」
「キミうるさいよ、ゆかりさん」
「まったくだ、歌いたいんだったらちゃんと体育館行けばよかったのに」
「むう」
機嫌よく歌っていたゆかりんはわたしたちに一斉に非難されて、つまらなそうに唇を尖らせた。屋上へ上がる階段の踊り場は、いつもと違って校舎全体が静まり返っているだけにひどく声が響くのだから集中砲火を受けて当たり前だ。
誰もいなくなった校舎は、どこかよそよそしい。わたしたちはまだ卒業生ではないのにどこか他人の顔をされてる気分だ。
そのかわりにというわけではないだろうけれど、天井側の窓から幾筋も外の光が差し込んで階段の埃をなんだかいいものみたいにキラキラ光らせている。きれいなものみたいで勘違いしそうになるけれどやっぱりただの埃だ。
「うにー、ていうかさ歌いたいも歌いたくないもそもそもわたしら全員ちゃんと体育館へ行くべきだったんじゃないの?」
首をかしげたゆかりんは反論代わりに正論を述べた。
「うーん残念だけどわたし、長く立ってると貧血で卒倒しちゃうからなあ」
「別に部活も委員会もやってないからお世話になったセンパイもいないものですから」
わたしがきっぱりと言い切ると、ゆっきーもしれっと肩をすくめて言い訳にならない言い訳をいかにももっともらしく言う。さっきからゆっきーはお行儀悪く片膝を立て、その上に下敷き代わりのノートを置き、ピンクのルーズリーフにせっせとなにやら書き込んでいた。時々内容に詰まるのか首をひねりシャーペンが止まったり回ったりしているけれど熱心だ。
「全然そういう問題じゃないと思うんだけどー」
「一緒にここにいる段階でそういうセリフは役にたたないっしょ」
いまさら、とわたしが一蹴するとゆかりんはそれもそうかと言うようにあいまいに首をすくめた。
「まあ、いっかー。いまさら途中参加もできないもんねえ」
言いながらゆかりんは投げ出していた自分の肩掛けカバンを引き寄せて中身をごそごそかき回している。卒業式の日にわざわざそんなざわざ大きなカバンを持ってきて何を持ち帰るつもりなんだろう。
「じゃじゃーん」
どこかの四次元ポケットつきのネコ型ロボットのように得意満面な顔でゆかりんは包みを取り出した。
「ありがとう、卒業祝いとは気が早いけどありがたくいただきます」
言いながら受け取ろうと手を出したら顔をしかめられた。
「さくらちゃんの卒業祝いじゃないよー」
わかりきったことをいちいち口に出して否定されるとちょっと傷つかなくもない。
「ハイハイ、わたしにじゃないんだよね」
背中のコンクリートの壁にもたれながらわたしが手を振ると、ゆかりんはまたしても不思議そうに首をかしげた。
「卒業祝いではないけれど、さくらちゃんと雪子ちゃんへであってるよー?」
「あ、そ」
てっきり彼氏へのプレゼントの披露だとばかり思ってたのでちょっと拍子ぬけする。
「おやつにと思って」
にこっとゆかりんが愛くるしい笑みを浮かべる。包みがほどかれるのを見ると手作りマドレーヌが入っていた。卒業式しかない日におやつを持ってくるとは、口ではどういっても結局この子も卒業式に出る気は皆無だったのではないかと思ったけれど黙っておいた。
「はい、雪子ちゃんも」
「かたじけない」
「誰だよ」
ゆかりんお手製のマドレーヌを受け取りながら、とりあえずゆっきーにつっこんでおく。どうしてわたしの友達はどこか違うベクトルでずれた人ばっかりなんだろう。
「で、ほかには何が入ってんのそのカバン」
マドレーヌを出したくらいでは小さくならないカバンを横目に、わたしは何気なくたずねた。
「うーんとねえ、サイン帳とね。この後カラオケ行くからおにぎりとサンドイッチとクッキーとポテチとチョコ」
「ほぼ食べ物ばかりですな」
聞いたわたしではなくゆっきーが、手を止めないまま口を開いた。
「だっていっぱい歌うとおなかすくしー!」
何時間カラオケボックスに閉じこもるつもりなのかゆかりんは胸を張って答える。わたしは聞かなきゃ良かったと小さく息を吐いた。ゆっきーは何も気にしてない涼しい顔をしている。
「しかし、キミは我々に付き合わずにちゃんと卒業式に出たほうがよかったのではないかい? ちゃんと送ってさしあげたほうがさ」
長い髪を耳にかけてゆっきーがからかうような目をあげた。ゆかりんは少し赤くなりつつラップに包んだマドレーヌを撫でた。
「えー、べつに……この後ずっとカラオケだし」
「ふふふふ」
ゆっきーはおかしそうに笑っている。ゆかりんと彼氏が付き合いだしたのは去年の年末のことだ。受験生だというのにずいぶん呑気なその先輩は悠長に大晦日に告白をしてきたのだった。
わたしたちと同じく部活も委員会もやっていないゆかりんと先輩にどんな接点があったのかは不明である。当のゆかりんが不明だというのだから永遠に明らかになることはないだろう。
それでも一色先輩はゆかりんを見つけ出し、ゆかりんは先輩の手を取った。それだけのことだ。
「それより雪子ちゃんはさっきから何を書いてるの?」
形勢逆転を狙ったのかゆかりんはずいと膝を乗り出し手元をのぞこうとした。
「ラブレター」
「えっ!」
さらっと返った答えに、ぐいっと額を押し返されたゆかりんとおんなじ表情と別々の声で思わず叫んでしまった。こんな日にあるはずもない宿題や課題だと言われたほうがまだしも驚かなかったと思う。
「誰に?」
チャレンジャーなゆかりんはすぐさま直球で勝負を挑む。チャレンジャーなゆかりんはすぐさま直球で勝負を挑むわたしはとりあえず手元のマドレーヌに食いついた。
「プライベートな質問はちょっと……」
ゆっきーは芝居がかったしぐさで髪をかきあげながら伏し目がちに答えた。パブリックな質問なんかあるのかと突っ込みたかったけれど口の中はマドレーヌでいっぱいなのであきらめてもぐもぐしている。
「じゃあじゃあ、それはそれとして。だったらそんな紙に書いちゃだめだよ!」
なぜかゆかりんが大慌てで自分のカバンの中をまさぐりはじめる。ゆかりんはかわいいメモ帳や便箋をたいてい常備しているのだ。けれどさすがに今日は三年生の卒業式しかない日だったので、ちょうどいいものが見つからなかったのだろう。しばらく探してがっかりした顔をあげた。
「いいんだよ、紙なんてなんでも。そこに心がこもってさえいればさ」
「だから誰だって……」
相変わらずいかにも意味深げに微笑するゆっきーに、ちょうど口の中が空になったわたしは小声で突っ込んでおいた。
「心かあ。そうかもだけど、でも可愛くラッピングして見る前から楽しみにしてもらえたほうがよくない?」
ゆかりんは納得いかないように食い下がる。
「ふふふふふ」
ゆっきーは答えずただ笑った。そしてそのまま続きを書き始める。そんなに長く、そんなにたくさんの言葉が出てくるほど誰かを好きなのかと、普段のゆっきーの行動や態度を考えると意外である。
「さくらちゃんは好きな人いないの?」
「いないよ、ていうかついでまるだしで聞かないでくれないか」
「えっ、そういうわけつもりじゃなかったんだけど! でも、ごめん」
「キミうるさいよ、ゆかりさん」
「まったくだ、歌いたいんだったらちゃんと体育館行けばよかったのに」
「むう」
機嫌よく歌っていたゆかりんはわたしたちに一斉に非難されて、つまらなそうに唇を尖らせた。屋上へ上がる階段の踊り場は、いつもと違って校舎全体が静まり返っているだけにひどく声が響くのだから集中砲火を受けて当たり前だ。
誰もいなくなった校舎は、どこかよそよそしい。わたしたちはまだ卒業生ではないのにどこか他人の顔をされてる気分だ。
そのかわりにというわけではないだろうけれど、天井側の窓から幾筋も外の光が差し込んで階段の埃をなんだかいいものみたいにキラキラ光らせている。きれいなものみたいで勘違いしそうになるけれどやっぱりただの埃だ。
「うにー、ていうかさ歌いたいも歌いたくないもそもそもわたしら全員ちゃんと体育館へ行くべきだったんじゃないの?」
首をかしげたゆかりんは反論代わりに正論を述べた。
「うーん残念だけどわたし、長く立ってると貧血で卒倒しちゃうからなあ」
「別に部活も委員会もやってないからお世話になったセンパイもいないものですから」
わたしがきっぱりと言い切ると、ゆっきーもしれっと肩をすくめて言い訳にならない言い訳をいかにももっともらしく言う。さっきからゆっきーはお行儀悪く片膝を立て、その上に下敷き代わりのノートを置き、ピンクのルーズリーフにせっせとなにやら書き込んでいた。時々内容に詰まるのか首をひねりシャーペンが止まったり回ったりしているけれど熱心だ。
「全然そういう問題じゃないと思うんだけどー」
「一緒にここにいる段階でそういうセリフは役にたたないっしょ」
いまさら、とわたしが一蹴するとゆかりんはそれもそうかと言うようにあいまいに首をすくめた。
「まあ、いっかー。いまさら途中参加もできないもんねえ」
言いながらゆかりんは投げ出していた自分の肩掛けカバンを引き寄せて中身をごそごそかき回している。卒業式の日にわざわざそんなざわざ大きなカバンを持ってきて何を持ち帰るつもりなんだろう。
「じゃじゃーん」
どこかの四次元ポケットつきのネコ型ロボットのように得意満面な顔でゆかりんは包みを取り出した。
「ありがとう、卒業祝いとは気が早いけどありがたくいただきます」
言いながら受け取ろうと手を出したら顔をしかめられた。
「さくらちゃんの卒業祝いじゃないよー」
わかりきったことをいちいち口に出して否定されるとちょっと傷つかなくもない。
「ハイハイ、わたしにじゃないんだよね」
背中のコンクリートの壁にもたれながらわたしが手を振ると、ゆかりんはまたしても不思議そうに首をかしげた。
「卒業祝いではないけれど、さくらちゃんと雪子ちゃんへであってるよー?」
「あ、そ」
てっきり彼氏へのプレゼントの披露だとばかり思ってたのでちょっと拍子ぬけする。
「おやつにと思って」
にこっとゆかりんが愛くるしい笑みを浮かべる。包みがほどかれるのを見ると手作りマドレーヌが入っていた。卒業式しかない日におやつを持ってくるとは、口ではどういっても結局この子も卒業式に出る気は皆無だったのではないかと思ったけれど黙っておいた。
「はい、雪子ちゃんも」
「かたじけない」
「誰だよ」
ゆかりんお手製のマドレーヌを受け取りながら、とりあえずゆっきーにつっこんでおく。どうしてわたしの友達はどこか違うベクトルでずれた人ばっかりなんだろう。
「で、ほかには何が入ってんのそのカバン」
マドレーヌを出したくらいでは小さくならないカバンを横目に、わたしは何気なくたずねた。
「うーんとねえ、サイン帳とね。この後カラオケ行くからおにぎりとサンドイッチとクッキーとポテチとチョコ」
「ほぼ食べ物ばかりですな」
聞いたわたしではなくゆっきーが、手を止めないまま口を開いた。
「だっていっぱい歌うとおなかすくしー!」
何時間カラオケボックスに閉じこもるつもりなのかゆかりんは胸を張って答える。わたしは聞かなきゃ良かったと小さく息を吐いた。ゆっきーは何も気にしてない涼しい顔をしている。
「しかし、キミは我々に付き合わずにちゃんと卒業式に出たほうがよかったのではないかい? ちゃんと送ってさしあげたほうがさ」
長い髪を耳にかけてゆっきーがからかうような目をあげた。ゆかりんは少し赤くなりつつラップに包んだマドレーヌを撫でた。
「えー、べつに……この後ずっとカラオケだし」
「ふふふふ」
ゆっきーはおかしそうに笑っている。ゆかりんと彼氏が付き合いだしたのは去年の年末のことだ。受験生だというのにずいぶん呑気なその先輩は悠長に大晦日に告白をしてきたのだった。
わたしたちと同じく部活も委員会もやっていないゆかりんと先輩にどんな接点があったのかは不明である。当のゆかりんが不明だというのだから永遠に明らかになることはないだろう。
それでも一色先輩はゆかりんを見つけ出し、ゆかりんは先輩の手を取った。それだけのことだ。
「それより雪子ちゃんはさっきから何を書いてるの?」
形勢逆転を狙ったのかゆかりんはずいと膝を乗り出し手元をのぞこうとした。
「ラブレター」
「えっ!」
さらっと返った答えに、ぐいっと額を押し返されたゆかりんとおんなじ表情と別々の声で思わず叫んでしまった。こんな日にあるはずもない宿題や課題だと言われたほうがまだしも驚かなかったと思う。
「誰に?」
チャレンジャーなゆかりんはすぐさま直球で勝負を挑む。チャレンジャーなゆかりんはすぐさま直球で勝負を挑むわたしはとりあえず手元のマドレーヌに食いついた。
「プライベートな質問はちょっと……」
ゆっきーは芝居がかったしぐさで髪をかきあげながら伏し目がちに答えた。パブリックな質問なんかあるのかと突っ込みたかったけれど口の中はマドレーヌでいっぱいなのであきらめてもぐもぐしている。
「じゃあじゃあ、それはそれとして。だったらそんな紙に書いちゃだめだよ!」
なぜかゆかりんが大慌てで自分のカバンの中をまさぐりはじめる。ゆかりんはかわいいメモ帳や便箋をたいてい常備しているのだ。けれどさすがに今日は三年生の卒業式しかない日だったので、ちょうどいいものが見つからなかったのだろう。しばらく探してがっかりした顔をあげた。
「いいんだよ、紙なんてなんでも。そこに心がこもってさえいればさ」
「だから誰だって……」
相変わらずいかにも意味深げに微笑するゆっきーに、ちょうど口の中が空になったわたしは小声で突っ込んでおいた。
「心かあ。そうかもだけど、でも可愛くラッピングして見る前から楽しみにしてもらえたほうがよくない?」
ゆかりんは納得いかないように食い下がる。
「ふふふふふ」
ゆっきーは答えずただ笑った。そしてそのまま続きを書き始める。そんなに長く、そんなにたくさんの言葉が出てくるほど誰かを好きなのかと、普段のゆっきーの行動や態度を考えると意外である。
「さくらちゃんは好きな人いないの?」
「いないよ、ていうかついでまるだしで聞かないでくれないか」
「えっ、そういうわけつもりじゃなかったんだけど! でも、ごめん」