電話の中
5 上野毛久乃、囹朿
キャッチホンが入る。室崎は保留にすることなく、電話を切り替えた。
「室崎君」
「やあ。今丁度、本番公演のアンコールが終わったところなんだよ」
「またいたずら電話なの?」
「そういう言い方は、各所に誤解を招くので…」
「どこが違うの?」
「ここは田舎で近所付き合いの無い一衛生都市兼、観光地だけどね。予期せぬ出会いというのは、間違い電話か、勧誘電話にしかないんだよ」
「友人の結婚式ってのも、候補に入るんじゃ――」
キャッチホンが入る。
「あ、キャッチが入った」
そう告げると、受話器越しに、久乃の緊張が伝わってきた。理由はよく分からないが、彼女のそういう姿はすぐに頭に浮かんだ。体は震え、表情が凍りついている。
「じゃ、保留にするから、待ちきれなかったら切っちゃって」
「う、うん。ううん」
「もし、そっちの関係者なら、いないっていっとくから」
「う、うん。ううん」
「(笑)それじゃ、どっちか分かんないよ(笑)」
返事を待たずに、久乃を保留にする。
「もしもし?」
「あ、室崎君。ちゃんといたんだ」
「足折って、松葉杖が無いんです。どこへもいけませんよ。で、何ですか?」
「疑り深い所長のチェックが入ったの」
「僕一人いないからって、会社になんの問題があるっていうんです」
「子供だな。問題なんてあるはずないでしょ。ただ、従わない人間が嫌いなだけよ。何年勤めてるのよ」
「そうですね。確か天保八年からだから…」
保留にしている久乃が気になった。だが、室崎にとってはこちらの電話の方が重要だった。そしてそういう判断基準自体が、室崎の気分を重くした。
「ふふん。誰かいるな? 完全看護なんだ。へえ」
「まさか。お願いしますよ。所長には上手に言っといて下さいね」
「どうしようかな… あれ。玉春藻って君の家の方でしょ?」
「それが何か?」
「テレビつけて。あ終わっちゃったか」
「何です?」
「火事よ。火事。結婚式場でね。二十組が式を挙げてて、千人近くいたそうだけど、全員絶望だって」
「どういう事件ですか。たかが火事で、千人も焼け死ぬって…」
「何か、退路を断つ、みたいな感じで、灯油か何かを撒いて? って、こっちが聞きたいわよ。近いんでしょそっちのほうが。音とか煙とか見えないの?」
「全く。静かなもんですよ」
「取材してきてくれるかな。現場写真と。病院にいったついでにさ」
「病院? 誰が?」
「あなたよ。松葉杖もらいにいくんでしょう。頼むわよ。会社の為にもなるし、あなたの骨折のリアリティーも増す上に、怪我をおして、ってことで君の点数もあがるのよ。誰も損しない事なんて、そうは無いんだから」
「私の努力で」
「努力? そんなの努力とはいわないわよ。通り道でしょ」
「囹朿さんも地理には疎いですね」
「うちよりも近い。だから、近い。何か問題ある? いい? じゃ、たのんだわよ。そうじゃないと愛が、憎しみに変わるわよ」
「そういうところが好きなんですが、たいした写真は撮れませんよ」
「なんでもいいのよ。いわばアリバイ」
「なるほど、任せてください。火事の原因についても、実は心当たりありますよ」
「何? はやくそれをいいなさいよ」
「多分、霊の仕業だと…」
「は? ああそう。写真。メールしてくれればいいから。で、あと一週間ぐらい休んじゃって」
「ごっつあんです」
こうして、休暇がお墨付きで伸びた。一週間の休みとなると、いろいろと計画も立てられる。
久乃につなぎなおすと、電話は切れていた。必要ならまたかけてくるだろうと、室崎は受話器を置いた。