小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

姉妹

INDEX|3ページ/3ページ|

前のページ
 

 三日目、最終日になった。朝、目を覚ました時、すでに時刻は六時を過ぎていた。いつもより一時間以上も寝過ごしたことになる。ベッドの中で、今日は自習室に出かけていくべきかどうか、しばらく考えた。まだ身体にはだるさが残っている。しかも、今日やることと言えば、仕上げのチェックしかない。作った文書を最初から最後まで丁寧に読み、大きな見落としや思い違いがないかどうかを再度確認する。そして、細かいアラを消し、最終的な「製品」にする。うまく運べば数時間、手こずったとしても半日程度で終えることができる。
 少し悩んだが、結局は行くことに決めて、ベッドから跳ね起きた。
 あの凡庸・稚拙な駄文を自宅の書斎で読んだら、自己嫌悪と怒りで気分が滅入ってしまうだろう。自習室なら、もっと機械的に作業できるかもしれない。そう考えたからだ。
 
 家を出たとき、すでに太陽があちこちの屋根を照らしていた。昨日とはうってかわった穏やかな朝である。冷気が張りつめてはいるが、光の穏やかさは、どこか春を予感させる。今は、まさに季節の変わり目に差し掛かっているのだ。あと一ヶ月もすれば、さらに春めき、生命が生まれ育つ美しい時間に立ち会うことができるのだ。
 歩きながら、今回の仕事のことをぼんやりと考えた。独立してもう二十年近い時間が経つ。この間、様々な仕事を手掛けてきたが、これほど大きな失敗を経験したことはない。自分の仕事に満足がいかないまま納品してしまったことは何度もあるが、今回ほど強いフラストレーションを感じたことはない。
 これは何かのアナロジーではないのか?
 何かを示唆しているのではないか?
 そんな疑問が浮かんでくる。真理をついた指摘のようでもあり、バカバカしい妄想のようでもある。
 私は、再び呼吸に集中した。足の運びと同期を取りながら、ゆっくりと息を吸い、そして吐く。吐き終えた時、数をかぞえる。それを繰り返しながら、身体の隅々まで吸う息、吐く息のリズムの中に収斂してくるのを感じる。静かな住宅街のお決まりのコースを歩きながら、私の集中力は次第に上がっていく……
 道は緩やかなカーブになっている。そこを曲がり終えたとたん、私は驚愕した。私の前を、一昨日と同じ姉妹が歩いているのだ。いつどのようにして私のコースに割り込んできたのか、わからない。本当に同じ人間なのか、後ろ姿を凝視したが、それは間違いようがなかった。低い背丈、小太り、長いマフラーを巻き付けた頭、肩にかけた大きなバッグ、セーター、カラージーンズ。全て同じだった。歩き方も、そして、ときどき私の耳に届いてくる、不思議な抑揚の言葉も。
 私は、一昨日とは異なる時間帯に異なる地点を歩いている。なのに、彼女たちは、私に合わせたかのように再び私の前に現れた。これは偶然なのか?
 私は、十分に信じうる仮説を立ててみようとした。おそらく、姉妹は毎日出勤時間が異なるのだ。曜日毎に別の場所に派遣されている。掃除とか洗濯とかゴミ出しといった単純作業なら、そんな勤務形態もありうるかもしれない。彼女たちが肩から提げているバッグがそれを裏付けているように思えた。つまり、あの中には仕事の制服が詰め込まれているのだ。しかも、出稼ぎで働いているのなら、電車賃を節約するため、二駅や三駅くらい歩いてしまおうと考えても不思議ではない。
 だが、その仮説では説明できない部分も残る。なぜ彼女たちが、私と全く同じルートを歩いていくのか、という点だ。
 一昨日と同様に、姉妹は、絶えず会話を続け、悠然と歩いている。しかし、私は追い抜こうとしない。彼女たちが歩いていくコースに圧倒されていたからだ。それは、私の道順とぴったり同じなのである。私は、人とすれ違うことさえ珍しいくらいの細い目立たない路地を、あえて選んで歩いている。偶然の一致にしては、できすぎていないだろうか? 本当に彼女たちが働いており、この私鉄沿線のあちこちに派遣されているのなら、こんなことは起こりようがないではないか。
 姉妹が歩き進むにつれ、そして、彼女たちの行程が私と全く同じであることが明らかになっていくにつれ、私はますます驚き、ますます彼女たちから目が離せなくなる。一昨日と同じで、私は彼女たちの数メートル後ろを歩き、その距離は縮まることもなければ離れることもない。まるで魂を吸い取られてしまったかのように、完全に彼女たちと歩調を合わせてしまっている。
 それは、何か非常に危険な行為のように思えた。
 なぜなのか、理由はわからない。ともかく、彼女たちを追い抜いてしまわなければならないと考えた。
 私は、再び呼吸に集中した。意識を足の動きに向け、呼吸のたびに足裏がしっかりと地面をとらえているのを感じ取った。
 いくつまで数えたのか、覚えていない。彼女たちが、新しい、やや広めの道に入った瞬間、私は猛烈に足を動かした。最初は、地団駄を踏むように足が空回りしたが、すぐに歩幅が伸びるようになった。必死で速度を上げ、小走りで姉妹を抜き去った。
 抜き去った後も、十秒くらいは必死に足を動かしていたと思う。
 数秒間息を整えた後、もう一度ダッシュを試みた。
 もう十メートル以上は彼女たちより先を行っているはずだった。
 おそるおそる、後ろを振り向くと、彼女たちの姿はなかった。
 
 自習室に到着し、いつものデスクでノートパソコンを開く。もう読み飽きるくらい、何度も反芻した冒頭の文章が表示される。読み始めると、思わず(あれっ)という声が口から漏れた。文章から受ける印象が、昨日までと全く異なっているように思えたのだ。
 読み進むにつれ、その印象はさらに強化された。私は、画面をスクロールしながら、むさぼるように文章を読んでいった。どのくらい時間が経過したのか、覚えていない。それくらい熱中した。気が付いた時には、全ての文書を読み終えていた。
 私の前にあるのは、句読点一つ付け加える必要のない、完璧にまとめられた技術文書である。ネイティブほど語彙・表現が豊かではないにしろ、説明は簡潔で要領を得ており、必要な情報量が適切な順序で段階的に提供されている。読む人を飽きさせない程度の修辞も加えてある。パラグラフ分けも、正確で秩序立っている。
 文章が別のものと入れ替わったわけではない。しかし、どこをどう読んでも、正真正銘、これはプロの仕事であった。昨日まで抱いていた強い不満、激しい自己嫌悪はいったい何だったのか? 何が変化したのか? 変わったとすれば、私自身以外にない。
 
 私は、あの姉妹の後ろ姿を思い浮かべていた。(了)
作品名:姉妹 作家名:鬼火