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ベイクド・ワールド (上)

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第八章 朝焼けと夕焼けは永遠に分かり合うことができない、なぜなら、一生かけてもめぐり会うことができないから



 夕刻近くの静岡駅北口は人々が行き交い、喧騒に包まれていた。これから呑みに行くのであろうサラリーマンの集団は騒ぎながら街へと吸い込まれていった。一方で、北口にある円形状のバスターミナルに点々と立ち並ぶバス停の前には、家路を急ぐ学生やサラリーマンが列をつくっていた。そこに並ぶほとんどの人は疲れ果てた顔をしていた。学校や仕事から解放されたことに安堵し、早く休息が欲しいと言っているような表情だ。
 僕は街へ向かうことも、家に帰ることもできなった。なぜなら、僕は人が並ぶことのない9番乗り場に並んでいるからだ。ここに来るバスは中部運転免許センター入口へと向かう。駅から北方約六キロにある静岡の山奥へと向かうバスなのだ。もちろん、こんな時間にそんなバスに乗る人間などいない。しかし、僕は不条理にもそのバスに乗らなければならなかった。その理由はもちろん僕に付与されたアルビナの役割を果たすためだ。つまり、僕は第四しんぼるである『首なし狐像』がある白髭神社に向かうために、一人孤独に誰も乗ることのないバスを待ち続けているのだ。
 今日は沙希とは一緒ではなかった。用があるから一緒に行くことはできない、と彼女は言った。彼女の抱える用とはいったい何なのだろう、と僕は不思議に思った。彼女について想像すると、彼女がゲバルトの古書店のフリー・スペースに座って物語を書いているところしか想像できなかったのだ。家族との用事なのだろうか、それとも不登校である学校での用事なのだろうか。だが、彼女が家族と一緒にいるところや、学校で何かをしているところはまったく想像できなかった。結局、僕は彼女に何の用があるのか、とは聞かなかった。だからそれは分からないままだ。
 そんなとりとめもない思案にくれていると、バスが停留所に流れるように入ってきた。停車し、バスの扉が開かれると、僕はそのバスへと乗り込んだ。僕以外にそのバスに乗るものはいなかった。バスのなかにも運転手以外、誰もいなかった。

 バスはバスターミナルをぐるっと一周し、喧騒に包まれた駅前を離れていった。そしてさまざまな人々が行き交う商店街地帯を抜けていき、セノバ前を抜けていき、駿府城跡を抜けていき、何もない郊外へと出た。郊外にでた頃には、日はすでに落ち、あたりは薄暗くなっていた。郊外にはもはや人の姿はほとんど見られず、そこには街のまぶし過ぎる光もない。バスはその道をただひたすらに走り続ける、決められたルートにしたがって。エンジンはうなりを上げていた。それはまるで死にかけた哀れな兵士のように苦しみに満ちた音だった。バス運転手は僕しか乗っていないバスをただひたすら前へ前へと進めた。気がつけば、あたりは暗闇に満ちていた。車窓から景色を眺めると、規則正しく等間隔に並んだ街灯が近づいては離れていった。外の景色はもはやそれだけしか見えない。黒い夜のなかにある光といえば、その街灯だけだった。
 中部運転免許センターに到着したとき、辺りは真っ暗だった。降りたバス停の裏側には山が広がり一切の光は奪われていた。街灯はその付近には立っておらず、近くにあった自動販売機の光だけが辺りを照らしていた。僕は暗闇に目をならしたあと、白髭神社へと向かう細い道に入った。道には人や自動車も一切通ることがなく、閑散としていた。家々は見えるのだが、多くの家は電気がついていなかった。この地域の人たちは眠るのが早いのだろうか。光を奪われれば、きっと眠ることしかできないのだ。僕はiPhoneのGPS機能を起動し、それを頼りにして白髭神社に向かうことにした。
 道をまっすぐ進んでいくと、右手に白い壁の建物がみえた。中部運転免許許センターだ。建物自体は小さかったが、その後方にある教習コースは実に広大だった。長距離の直線コース、ぐにゃりと曲がりくねったS字カーブ、直角クランク、中央には小高い坂道が見えた。その誰もいないがらんとした広大なコースはどことなく不気味だった。
 僕はコースを眺めながら、まっすぐ歩を進めた。近くに街灯が見えた。それはいかにもすぐに消えてしまいそうなほの暗い光だった。しかし、その光の周りにはいろんな種類の羽虫が飛び交っていた。もしその光にその身が届けば、熱によって死んでしまうというのに、彼らはその光に必死に向かって行った。いったい何のためにそんな意味のないことをするのだろうか、と僕は思った。果てしなく続くかと思うような道を進みきったあと、道は右へとカーブした。さらに少し進むと下方に小さな神社が見下ろせた。
 僕は下へとくだる坂道を降りていき、その小さな神社の前へと出た。神社の近くには古い造りの民家が立ち並んでいた。僕は神社を眺めた。鳥居には『白髭神社』という文字が見えた。これが沙希の言っていた神社に間違いないだろう。鳥居をくぐると、社殿と石碑と地蔵が目に入った。僕は首なし狐像を探した。そこには明かりと呼べるものがほとんどなかったので、僕はiPhoneを取り出し、その画面の光を頼りにした。社殿の前には二対の木が立っているだけで狐の姿は見えなかった。さらに地蔵と石碑の付近を探してみたが、やはり狐はいなかった。
 ふと、僕は社殿とその隣にある倉庫のような建物の間に細い通路があることに気がついた。僕はその通路を通り、社殿の裏側に回ってみることにした。すると、そこには木でつくられた小さな祠のようなものがあった。しかし、狐はおらず、祠の左右には狛犬が座っているだけだった。右が阿で、左が吽。僕はその祠のまわりを念入りにチェックした。iPhoneの光で照らしながら、くまなく探した。まずは祠のなかを覗き込み、続いて祠の左右、さらには祠の裏側を確認した。その時、僕の目に苔が生えてごつごつとした岩のようなものが映った。それを手にとり、まんじりと眺めるとそれはまさに狐の形をしていた。前足を揃え、凛として立っている姿。しかし、その狐はあるはずの首がそこにはなかった。おそらく首を失った狐は神社を守る役割を失い、二対の狛犬にその役割が移行されたのだろう。僕は苔の生えた首なし狐を手にもち、社殿の前まで戻った。鼓動は僕の手を伝わって感じることができた。