コトサキク
どういう意味なのかわからないような気がして、でもやっぱりわかるような気もして僕は何も言えない。
ターコイズブルーのコートと制服のミニスカートの実乃里は、喬の台詞じゃないがどこから見ても可愛い女の子だった。
口数が少なくて、女子の集団からはちょっと浮き気味で苦労はしてるんだろうけれどそれでもやっぱり女の子以外の何者でもなかった。
「でもさ」
急いで言葉を探したけれど、どれもしっくり来ない。まとまらないまま僕は喋り出した。
「やっぱお前は女の子で良かったよ。うん」
言ってからありきたりの台詞だなあ、と我ながら後悔した。そのままの君がスキってやつか。嘘じゃないけど、本心だけどもっとマシな言い方はできなかったんだろうか。
ダメだなあ僕は。つまらんヤツだ。
「そうだね」
喬はそんな僕の悩める胸中など全く意に介した風もなくあっさりと同意をして、そしてつけくわえた。
「まあでも、たとえ実乃里が男でも今と同じく俺ら三人で友達だったのは間違いないけどね」
実乃里は少し目を上げて苦笑してみせた。僕は腕を伸ばしてさっき喬がしたように、実乃里の頭をそっと叩いた。
「央は――――」
僕の方をちらりと見て、喬はそのまま語尾を笑いに溶かした。
「なんだよ」
睨みつけて続きを強要した。
「央はいいヤツだ。うん」
「なんじゃそりゃ」
「褒めたんだよ」
「確かにおーくんはいい奴だ。そう思う」
実乃里が真意をつかみ取りにくい声音で同意したが、ちっとも褒められたように思えない。
ごまかされたとしか思えないからちっとも嬉しい気がしない。僕は憮然としながら肩の鞄のひもをかけ直す。
ふと気がつくとちらちらと小雪が舞い落ちはじめていた。寒いはずだ。
けれど天を仰ぐとさっきまでびっちりと一面に敷き詰められていた厚い雲は、凍える風が流してくれていったのか、うっすらと日の光が差し込み始めている。
雪に気がついたのだろう、喬が古い懐メロを鼻歌で口ずさんでいる。僕らの母親世代の曲だろうけれど、この季節の定番曲で耳になじみのある歌だった。
この状況でこのシーンで、どうして喬からその曲が出てきたのか手に取るようにわかってしまって僕は小さく笑った。
(いま、はるがきてきみは)
フレーズが耳の中で弾む。
僕ら、去年よりなにか変わってるかな。
足下の小石を、僕はローファーの爪先で蹴飛ばす。
幼稚園の卒園式もやっぱりこうして3人で並んで園に行ったなあ。もう十二年も前のことになるのか。あの時は三人だけじゃなくてそれぞれの親も一緒だったけど。
三月の終わり頃だっただろうか。頭上に開いた少し早い桜はたぶんソメイヨシノではなかったはずだ。
僕は今よりまだ落ち着きのない子供で、通園カバンを振り回して実乃里に睨まれたり歩道をジグザグに歩いてうちの母親に叩かれたりしてたな。
喬はぼんやり歩いていて、手を引いてたおばさんに注意されたりなんかしてた覚えがある。
去年どころかその当時からなんにも変わってないような気もするし、かなり変わったような気もする。背が伸びたとか声変わりしたとか、そんなことじゃなくて。
少なくとも、喬の母親はもうどこにもいなくなってしまった。
あの頃と一番違うのは。やっぱり間違いなく違うのは。僕は足下に視線を落とす。
今の僕たちはもう知っているんだ。
昨日まであたりまえに続いてきた道が曲がり角に来てること。これまでは並んで歩いてきたけれど、寄り添いあってきた道だったけれど、これからはもう違ってきてしまうこと。
ずっとずっと違っていってしまうことを。
僕らは僕らの道を行くしかない。生まれてきた時と同じく、自分ひとりきりで。
くるしくてもかなしくても。
そしてその道のどっかでまた、誰かを好きになって、できればその相手から好きになってもらって。
膨らみ続ける宇宙みたいに、僕らは世界に飲み込まれもみくちゃにされ放り出されて、そしてその全てを愛し続けるんだ。僕も、喬も、そして実乃里もだ。
学校の正門が見えてきた。運動会のようなピンクの花飾りのついたアーチが、僕ら生徒を迎えるように待っていた。
ちらほらと生徒たちが歩いている。在校生はめんどうくさそうに、卒業生もやっぱりめんどくさそうにしてる。
まだ僕らは今日までは――書類上は今月末までは――この学校の生徒なのになぜか不思議ともう他人になりかかってるようなよそよそしさを感じた。
今はまだ、手を伸ばせば届くところにいる僕の幼馴染みたちも。
ほんとずいぶん感傷的になってるなあ。やっぱり卒業式って特別なのかなあ?
僕がこの先どこへゆくのか。どうなっていくのか。まったくわからないのは十二年前と一緒だけれど。
それでも、今の僕は知っている。だいじなことを。
どこへ行っても、この先どうなっても……ありえないけど、たとえ今日を限りにこいつらに二度と会うことがなかったとしても、だ。
事(コト)幸(サキ)く。
これは祈りに似ている。愛している君たちが、ただただ、この先もずっと幸せであるようにとそう願うように。
でもどうそれを二人に伝えればいいのか、あらためて口に出そうとすると気恥ずかしくて面はゆくて僕はきっかけを探して迷う。
実乃里も喬もそれぞれの考えに沈んでいるのかおとなしい。
えーと。
早く言わなくては、学校についてしまう。どうしようかなあ。どう言ってもなんだかクサくて、言葉にすると本当じゃなくなってしまう気がするんだけれど。
「おはよー」
クラスメートが自転車で後ろから僕らの脇を軽快に通り越して行った。喬がその背中にひらひらと手を振っている。
ああ、もう学校についてしまった。急がなくては。いや焦っていうようなことでもないのか?
けど家に帰って、しきり直してこいつらを前にあらたまって話し出すのも変か。あ、そういや晩飯はうちの母ちゃんが焼肉するからお前らに来いってさ。
焼肉食いながらでいいか?
いや、待て。やっぱうちの母ちゃんに聞かれる可能性が高いな。そんなことになったら永遠に何を言われ続けるもんだかわかりゃしない。やっぱり今だ。
僕は意を決して、花飾りのアーチと校門をくぐったところで立ち止まった。
「どうした?」
喬が首をかしげ、実乃里がきょとんと目をみはっている。
あー、もうしょうがないな!
よーし、言うぞ。お前たちも笑いたければ笑うがいい。
僕はめまぐるしく思考し言うべき言葉をまとめ、それからもったいぶるわけじゃないけれど重々しく口を開いた。
「はっくしゅん!」
【完】