即興小説集2
(1時間/お題:絶望的なデザイナー/天才と凡人)
そいつはとても絵が上手い。
初めてそいつの絵を見たのは確か中学一年の時だった。夏休みの課題で出されたポスターが各クラスの廊下に飾られているのを通り際に何となく眺めていると、ふいにそれが目に入った。
まだ幼稚さが残っていたり、やる気のなさが全面的に表れている作品の中に混ざっている一つの作品。
飛びぬけてデッサンが上手いわけでもなく、仕上がりが細かいわけでもない。
しかし色使いが独創的で画面構成に迫力が溢れている、不思議なポスターだった。
思わず足を止めてそれを眺めていると、その教室から出てきた一人の生徒に声をかけられた。
「どうしたの?俺の絵に見とれちゃった?」
それがそのポスターの製作者である。
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「駄目だ、全然駄目だ……」
作業用の机に肘をついて頭を抱える。
座っているイスの周りにはごちゃごちゃとラフが描かれた紙が散らばっている。くちゃくちゃに丸められたり破られていたりと無造作に散らばっているそれを片付ける余裕などない。ゴミ箱なんてあってないようなものだ。
頭を抱えながら卓上カレンダーに目を向ける。赤丸でグリグリと囲まれた30という文字を見て、はぁ~、と深いため息をつく。
刻一刻と迫る締切日は待ってはくれない。もうそろそろ描かないとやばい。マジでやばい。
深くうな垂れながら「どうしよう……」と嘆いていると、俺の斜め後ろであぐらをかきながらポリポリとお菓子を食べているそいつが「頑張れ~」とのんきに声援を送ってきた。
「頑張れじゃねぇよ。お前も手伝えよ」
「お前の仕事なのに手伝うわけねーだろ。頑張れ~」
頭をもたげたまま振り返ってそいつを睨むが、俺の気持ちなんてつゆ知らずな様子ですっかりお菓子に夢中だ。
自分ばっかり食べていて俺にはくれないあたり、意地の悪さが窺える。
しかし今の俺にはこんな生意気なやつにかまっている余裕などない。
パソコンの脇の棚に置いてある新しい紙を引っ張り出して新しい案を捻り出す。とりあえず描くしかない。描きながら考えよう。
そうしてうんうんと唸りながら四苦八苦していると、俺の足元に散らばる紙を適当に一枚手にしたそいつが口を開いた。
「やっぱお前絵上手いよな。作業工程も見てて楽しいし」
「嫌味か」
紙にペンを走らせながら、一言言い返す。あっ、ちょっといい案が浮かんだかも。
「お前は見てるだけだから楽しいかもしれないけど、俺は全然楽しくない」と続けて言うと、「そうかもな」と笑い声が返ってきた。やっぱり嫌味なのかもしれない。
「それに俺はお前が羨ましいよ。勉強もしてないのにあんな絵が描けるとか、ずるすぎだろ。この天才肌め」
「だからそれ褒めすぎだってば」
足元で無残に散らばっている紙を一枚一枚拾い集めながらそいつは軽い調子で笑った。
度々俺はこいつの絵を褒めるが、その度に過剰評価しすぎだとケラケラ笑われる。
それが余計に腹が立った。
最初にこいつの絵を見たのは中学一年の時だ。廊下に飾られているのを目にしたあのポスターがきっかけで俺の人生が決まったといっても過言ではない。
それほどあの絵を見た時の衝撃は強かった。俺と同年代にこんな絵が描けるやつがいるなんて、と驚いたのを今でもよく覚えている。
それから俺は本格的に絵の勉強をし始めた。中学、高校は美術部に所属し、専門学校を卒業して今は絵で生計を立てようと頑張っている。
でも全然追いつけない。あの時のあの絵にちっとも近づけやしない。
それでいてポスターの製作者……俺の横でゴロゴロとお菓子を食べているそいつは絵を描くことがあまり好きではないらしい。
「紙にペンを走らせるとか、勉強してるみたいでなんか嫌だ」と俺の前で言ってのけた。
てめぇ、俺がお前に追いつこうとどれだけ努力していると思ってんだ!なんで絵が好きじゃないのにそんなに上手く描けるんだよ!ふざけんじゃねぇ!と何とも自分勝手な怒りがこみ上げたが、面と向かって言うのは恥ずかしかったのでとりあえず無言で一発殴ってやった。
思い返せば、俺は中学一年のあの時からこいつに嫉妬しているのかもしれない。いや、かもしれないじゃなくて絶対そうなんだろうけど、認めるのは癪なのであくまでも多分ということにしておこう。
そんな回想を長々としながら構成を練っていると、無造作に放り投げられていた没案をすべて拾い終えて綺麗に片付けたそいつが、くちゃくちゃに丸められた用紙を広げながらぽつりと漏らした。
「つーかお前って何故かよく俺の絵を褒めてくれるけど、俺だってお前の絵大好きだよ。中学一年の時、廊下に飾られてたあの絵を見たときから」
「……は?」
とても覚えのある言葉がそいつの口から飛び出したことに驚いて、思わず絵を描く手が止まった。
俺の口からは何度か漏らしたことはあるが、こいつの口からこの言葉を聞くのは初めてかもしれない。というか、見てくれてたんだ……。
「中一の時、廊下にポスター飾られてたじゃん。あれでさ、お前の絵を見つけてこいつ上手いなーって思ったんだ。そしてその後美術室に用事があるから行ってみたら、お前が真剣な様子で絵描いてんの。あれ見た時、あーこいつ絵描くの好きなんだなーって思ってさ。それであのポスターの上手さにも納得したし、あの時からずっとお前のこと気になってる」
足元から見上げるようにしてじっとこちらを見つめられ、気恥ずかしさから思わず顔ごと逸らしてしまう。
褒められたのは嬉しいが、真面目な雰囲気にすっかり飲み込まれてしまいなんて反応すればいいのか分からない。
しかし黙り込むのもおかしいので、とりあえず「……あ、ありがと」とお礼だけは言っておく。わりと恥ずかしい。
「あれからお前が絵描いてるの見るのにはまってさ。めっちゃ美術室通ったし、今日だって忙しいのに家にあげてくれたの、すっげぇ嬉しいよ。ありがとな」
「……見てるっつーより、茶化してるって感じだけどな」
俺の作業工程を見るために美術室に通ったというよりは、「今なに描いてんの?」だの「これ終わったら俺がリクエストしたやつ描いてよ!」だのと作業をしている俺のそばではしゃぎまくっていただけのように思う。こいつが大人しく見ていたことなんて一度もなかった気がする。
……とはいえ、その言葉は素直に嬉しかった。むしろ嬉しいを通り越して恥ずかしい。さっきから全く作業が進んでいない。ペンを握る手に軽く汗がにじむ。
「なんだよ、全然できてないじゃん。早く描けよ。間に合わなくなるぞ」
「うっ、うるせぇな。お前が邪魔するからだろ……!」
ひょいっと体を伸ばして机の上を覗いたそいつに指摘され、ぎくりと軽く肩が跳ねた。
「ちゃんと描かないと駄目だぞ~」と間延びした調子で言われ、「誰のせいだと思ってんだよ!」と八つ当たりしながら机を覗き込むそいつをしっしっと追い払う。
そうしてから改めて紙と向かい合うが、どうにも先ほど言われた言葉が頭から離れなくていまいち集中できない。
気を抜くとにやけてしまいそうになる自分の頬を恨めしく思いながらくしゃくしゃと手元の紙を丸め、斜め後ろの定位置に戻ったそいつの頭にぶつけてやる。