筆者クーデター
部活、友達、趣味、受験。水希の頭の中で、こんな事がループしているのか。にんまり。と、山吹琴夜。
今、いま、水希と琴夜の間に、壁を感じるのは何故だろう。
そして水希は、じめじめとした加速度を持って、琴夜から、延々と離れてゆくのだ。
大脳で笑って。
手を振って。
スカートのポケットの中で、冷えてしまったイヤホーン。みみに着ければ、反射に身を委ね。
ふるふる。
と震える。こともつかの間。
アイポッドの、さんかくスイッチを押す。八時間前に時間を奪われ、メモリの隅で三角座りしていた音が、再び電気を与えられ、はち。とはじける。
一瞬、花火を想像した。でも、それではまだまだ色が足りない。
もっと素直な、赤、青、黄。
もっとたくさん、赤、青、黄。
他の人から見れば、みみの周りで、色がはじけて、細く、細く、か弱い軌跡を引いて、潔く、消えてゆくのが見えるでしょう。
目の前にいる、丸刈り生徒にスマイルを。
目が出会ったら、すぐにそらせて・・・。
横を向いて。
目を閉じて。
顔を紅に染めたらば。
肩への感触が、琴夜の意識を正しい位置に戻した。
水希との壁は、電車の扉。
彼女は、先ほど発車した電車に乗って帰った。
色は壊れて、ビートを刻む、無機質な音波に。
向かいのホームにいる男子生徒は、タイプではない。
後ろを振り向くと、いきなり暖かい音波が顔に降り掛かってきた。思わず目を閉じる。瞬きである。
「やあ。山吹君」
琴夜はすぐにイヤホーンを指で引っ張って外し、鞄の中へ突っ込んだ。わわわ。
頭を下げて琴夜は云った。
こんばんは。新太先生。
紺色コート、その襟のエッジから、3/2πくらい趣向が傾いたモーメントの、ステルス白衣が覗いている。
彼は、琴夜が通う、私立高校の数学兼科学教諭、筒井新太であり、琴夜が密かに□■△●■思●い○○を☆●□◆寄せ△る●□□・・・男性である。
「こんばんは」
新太先生は、薄くて柔らかい、きっと甘い、臆測でしかないくちびるの隙間から、完璧にエナメルコーティングされた歯を、じらさず見せて。
「予備校かい?」
先生は、右の手首に巻かれた、ウェラブル小型時間計測表示装置の文字盤を盗み見ておっしゃった。
はい!もう・・・疲れちゃいましたよ。
肩をすくめ、左斜め下に目線を外し、くちびるを、とがらせて。温かいため息まじりに琴夜は云った。
上記のため息は、白く曇り、琴夜の顔を覆い、ヴェールと化した。琴夜はまぶたを閉じた。新太先生は、そのヴェールをゆっくりと外し、顔を近づけっ!きゃっ!
「どうしたの?」
と云った。
琴夜はさらにくちびるをとがらせ、新太先生に向き直った。
べつになんでもないですよ〜。
手を後ろに組んで、少し伸びて、つま先立ち、足元をすり抜けて行った鳩を目で追い、細く、鋭い口笛を吹く。スターウォーズのテーマ。
「そう」
新太先生は、一瞬何かの思考に飛んだが、すぐに帰ってきて、すすすっと微笑み、こういうのであった。
「勉強は順調かい?」
琴夜は、もう一段階、妄想から現実に、下らねばならなくなった。これが、生徒と先生の関係。教え、教わる事でしか、関わる事は出来ない。それ以上の関係は、あってはならない。深い、虚無と、失望とが、琴夜の意識を襲った。表情には出ていないだろうか。表情の感情不一致技術には、自信はあったが。
新太先生の右手が、琴夜の背中に回った。ラリアットだと一瞬でも考えた私の思考が恨めしい。
それどころではない。
大事件。
混乱。
わわわ。
腕全体が琴夜を包んだかと思うと、ぐっと引き寄せられた。新太先生の腕時計の角が、琴夜の背中を強く押した。琴夜は、またも、反射に身を委ねる結果となった。ちょっとだけ、背中がそったのだ。
反動。目の前には、新太先生のコートの襟。鎖骨のあたり。
わっわ!
混乱。
こんなとこで?
わっわ!
たいへん!
ちょうど、新太先生の口元には、琴夜の頭のてっぺんがあるはずだ。
昨日ちゃんと頭洗ったっけ?
3回くらいシャンプしておけば良かった。
汗でにおいしてないかな?
ああ、今すぐ家で頭洗ってきますから、明日もう一度最初からお願いしますっ!
知り合いに見られていないかな?
うううぅ・・・。
「危ないよ。電車が来た」
琴夜の妄想は、またも破られてしまった。いや、破られた方が良かったかもしれない。あのままだと・・・危なかった。意味深。
電車が止まり、別れを意味する扉が開いた。
新太先生の腕からは、既に解放され、背中にはじんわりとした、ぼやけてにじんだ温かさと、真っ赤な余韻と、恥ずかしさ、こーいー牛乳の予感だけが残っていた。
「じゃあね。僕は次の急行に乗るからね」
新太先生は笑顔を崩さず、右上の電光掲示板を見てから云った。
はい!また、明日!
琴夜は、ふかぶかぁ〜と頭を下げて、そんでもって頭を上げて、渾身の無料スマイルをお届けしてから、乗りたくもない電車に飛び乗った。
駆け込み乗車は大変危険ですので、おやめください。
電車の中での琴夜は、いつにも増して、にこにこだった。にこにこ。
何度も何度も、あのシーン例のシーン
を再生し、巻き戻し、再生し、巻き戻し・・・。カセットテープなら、もうすり切れて、聞けなくなっているだろうね。これはね、新太先生が云うセリフなの。
気づけば既に『みのり駅』。扉は自身の職務を全うしようと、その鉄の身体を動かし始めていた。
とっさに右足を前にだし、踏みしめて、ふくらはぎにも力を入れて、緑のリノリウムを思い切り蹴り出した。
扉は3分の1ほど閉まり始めていた。
それを予想して、あらかじめ右への回転運動を加えておいた。自然とからだが横を向き、すれすで、電車から脱出した。十点。遅れて鞄がついてくる。閉まりか けた扉は、琴夜に驚き、も一度全開に。
ごめんなさい。の意を籠めて、レヴェル3のサービスウィンク。勘違いして乗客の誰かが受け取ってしまったらごめんあそばせ。あなたの心をもてあそんだなんてとんでもございませんわ。
それが電車に届いたかどうかは、確認しないで、気分だけがしゃしゃしゃと階段を下っていった。
電車の加速音が聞こえたと同時に、琴夜の鼻孔に、軽やかな甘い空気が、彼女を誘惑した。
深呼吸をして、体全体を甘みせいぶんでいっぱいにする。
階段をエスカレータのように駆け下りて、左に折れると、奥にあったのは。
カステラだっ。
大好きなの!
甘いから!
定期券を入れ損なった、青色の板が、意味不明な速度で琴夜の前に飛び出した。事故。再び挑戦。
カステラを買うか買うまいか。この議題で、琴夜の頭の中は、大論争が繰り広げられていた。
買おうよ!
そうだね!カステラなんて、久しぶりっ!
良いね!
新太先生と食べれたならばら・・・。
きゃっ!
このように、ほとんどの琴夜は賛成派だったが、一人だけ、異論を唱えるものがいた。
今日、お財布忘れてきたんだよ?
あ・・・。うん。
そうでした。
せめて、においだけでも・・・。