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ヤマト航海日誌

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2016.6.7 二十五過ぎたら



第二部を前後編に分けるのは単純にデータ分量の問題だ。第六章〈長い一日〉のぶんだけで、書いたもんだね、テキストデータが600キロバイトを超えていやがんの。文庫本ならそのまんま600ページくらいかなあ。たかが600キロバイト。されど600キロバイト。このサイトにひとつの〈本〉として投稿できる上限は1メガバイトらしいので、〈一冊〉におさめようと思ったらあと三百何十キロで話を終わらせなきゃならん。

それ、無理やん。第五章タイタン戦のぶんだって200キロバイト近くあるんだもの。おれの〈白い山脈越え〉は絶対あの三倍かそれ以上に〈紙〉を必要とするはずだもん。途中で必ず千キロを超えちまうに決まっとるわ。

つーわけで、キリのいいところで分けて前後編とするのが適当と判断したわけなんですよ、ユー・アンダスタンド? いやはや、思えばタイタンまでを第一部、冥王星は第二部と分けておいてよかったね。だってここまで六章分の合計が、すでに1メガ超えてるもんね。まんまやってりゃ変なところでターミネート(ちょん切り)しなきゃいけなくなってたとこですよ。

一体なんであんなに長くなったんだろう。タッタ一日の話なのに……と、ここでまたまた昔話をさせてもらうが、『うしおととら』だ。おれが毎週早起きして〈サンデー〉買うほどだったのに途中で読むのをやめた話を前に書いた。読むのをやめたというよりも〈サンデー〉買わなくなったので必然的に読まなくなったのであるが、それがあれだよ。『うしとら』が〈西の国・妖(バケモノ)大戦〉のエピソードをやってたときだよ。

あれがなんてんだろうねえ。あれもやたらと長い一日の話だよね。今度のテレビアニメ化では全部バッサリ切られてたけど。

ははは、いやもう、今でいう『24(トゥエンティーフォー)』的とでも言いますか。やたら長くて、エンエンと、続く続くよどこまでも。うん、やっぱり、あの続きがどうでもよくて〈サンデー〉買わなくなったのかもな。よく憶えてはないのだが。

それが二十五歳のときだ。いいトシしてもうマンガでもないだろと考えたのが本当のところだったようにも思うのだが、やはり記憶は定かでない。

けれどもさて『24』。ブームの頃にドレドレと思ってビデオをレンタルし、見たときのことは憶えているぞ。なんだありゃあ。

〈シーズン1〉をとりあえず最初の二巻借りて見たんだ、二巻! なんでどうして一巻だけにしとかなかったか、思い出しても悔やまれるよ。

たかが二巻で六百円。されど二巻で六百円よ。カネを払って借りたんだから、元を取るため見るじゃないすか、しょうがない。次から次にわけのわからんことが五時間。一体全体、このお話は、どこに向かっているんだが。大統領の暗殺と娘の家出が関係ないのに関係していくこのデタラメの続きがまだまだあと十九時間あるだって?

全部借りたら四、五千円かよくもまあ。こんなもんの続きが見れるかコンチクショーッ! いやはや、おそらく皆さんも、どこかで似たような経験をされたことがあるでしょう。それとも、ねえかな。『24』。あんなものを二十五過ぎてもワクワクしながら見てられる程度の低い人間が世の中多いもんなのか。

かもなあ。ネットの投稿小説なんて、脈絡もなく次から次にドドンということが起きて、ズガガガガンのグーリンダイのポンポコピーと話が続いていくようなのが〈いいね〉とされるわけでしょう。〈ゴジラ対おっぱい星人〉のログに追記したけれど、『ゴジラ対渡辺謙』がやっぱりそういう話やんけ。カネを払って劇場で見る者達が求めているのは怪獣ゴジラが日本のゴジラそのまんまであることだけ。後はひたすらギャオーンのゴーンドテチンヒネモグラしてりゃ満足なんだろうから。

けれどなあ、おれに言わせりゃあの映画は主人公が良くねえよ。まるっきり『2199』の〈ぶっちゃん古代〉と一緒じゃねえか(ああよかった、やっと『ヤマト』の話を出せた)。

親を怪獣に殺されてもケロリ忘れて生きていて、ただ自分がエリート軍人だからというだけの理由で行動する。もしもおれがあの映画を監修できる立場だったら、ギャオス・ナントヤラにこう変えろと言うところかな。主人公が途中で子供を助けてもその親のうち片方が死んでいて、もう片方から感謝されるが複雑な思いを味わうことになる。そして周りはそこらじゅう、瓦礫の中に家族を呼ぶ人の群れ。

主人公はここで思う。父さん! 母さん! おれは今まで何をしていた! こんなことを二度と許してはならないと誰より知っていたはずなのに! で、最後の戦いの前に、『これを妻子に渡してくれ』と、手紙とともに父の遺品の写真を人に預けるのだ。

ちょっとこれだけ加えるだけで、スジがデタラメなことなんか見ていてどうでもよくなるくらいおもしろくもなるだろうに。子供の心をグッと掴むものになりもするだろうに。

これができんから出渕裕や山崎貴はダメであり、〈庵野ゴジラ〉もどうせダメだとおれは言うのだ。コケ脅しの映像だけでものを作るんじゃねえよと言うのだ。

で、さて、話を『うしとら』に戻すが、〈妖大戦〉がねえ……まあさすがにほんとの天才が作るものは違うもんで、後からまとめて読んでみるとおもしろいのはおもしろいんだよな。話がどこに向かっているかわからないまま状況がめまぐるしく変わっていくがひとつひとつの展開は工夫が凝らされていて、危機また危機をくぐっていくと最後にラスボスがドデスカデン。ウームこういう話であったのかすげえなあと思いはする。

だが〈凄い〉と〈おもしろい〉は違う。ストーリーというものがないからやっぱりほんとにおもしろいものになってると言えない。『マトリックス 二浪デッド』に『ダブリ留年』みたいだ。主人公であるはずのうしおが戦いに飛び込みながらも『妖怪同士の諍事(いさかいごと)に人間の自分が横から入るのはスジが違うのでは』だとか悩んじゃってるようでは話が盛り上がるわけないじゃありませんか。

ここんとこが〈風が吹いて〉からの話と違うところで、藤田和日郎もこのエピソードばっかりは『マトリックス』や『エヴァンゲリオン』と同じ過ちを犯したと言えるんじゃありませんかね。いや、もちろん、『2199』や『24』みてえなもんはそれ以前の問題で、慄然レベルの蒼然クラスなんですから、キミらは無理せずバカ田大学かクロマティ高を受験しなさいとおれは言うわけですが。

ただねえ、なんで、こんな話をここに書いているかと言えば、おれがこれからやろうとしている〈ミッドナイト・サン〉なんだよな。ストーリーは別になくってただ戦いがエンエンと続き、状況がアレヨアレヨと変わっていって危機また危機をくぐり抜け、最後にラスボスがドデスカデン……そんなもんになると知ってて書いてどうするとやる前から思い悩まずいられないというわけで、大丈夫なんかなおれ。

どうなんだろ。そもそも書けるのか最後まで……まあどうせ、誰も読みやしないんだからどうでもいいようなものだけれどさ。
作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之