ヤマト航海日誌
2015.9.20 ハイティーン・ブチ
「『ヤマト』は大人の見れるアニメ」というのは十九歳の出渕裕が勝手にほざいてただけで、当の大人は『ヤマト』なんかバカにしていた――それが本当の事実だが、しかしあまり論じられることがない。だから今、かつてほんとに大人が熱中して見ていたと世間は思っているものらしい。
だがしかし、出渕裕はもちろんのこと、岡田斗司夫や庵野秀明といった〈十九歳〉でヤマトブームを牽引していた者達の話をよく聞き直してみるといい。自分達よりちょい上世代の話になると途端に不機嫌な顔になり、「あいつら嘘をついていた」と言い出すのがわかるはずだ。
「あいつら、意地を張ってたんだ。ほんとはみんな『ヤマト』に夢中だったくせに、認めようとしなかった。自分らだって喜んで『ターゲットスコープ・オープン!』なんて言いながら、オレらが『リアルでしょ』と言うと『へっ』と笑って『どこがだよ。子供が見るにはいいだろうがね』なんて言う……嘘だ! 嘘だ! 後輩のオレ達に対して優位を保とうとして、そんな嘘をついていたに違いない! あいつらどうしてああいう態度だったんだ……」
岡田斗司夫も『ヤマト』となると冷静ではいられずに、痩せた今でもこんな調子だ。彼ら1958年前後生まれの〈ちょい上〉に対する憎悪は根深い。一方、彼らをバカにした当の〈53年組〉の方はそんなのケロリと忘れているから、事実が闇に埋もれちまってるんだろう。で、すっかり、『ヤマト』は大人も本気で見ていたというガセがホントになってしまっているわけだ。
「来年にはお前も成人式だろうに、そんな〈マンガ〉に夢中になってるんじゃねえよ」
当時に〈十九歳〉だった者らはほんのいくつか上の者からあざけてそう言われていた。昭和二十年代生まれは『ヤマト』をそこそこたのしんで見つつも冷たかった。それはビールをグビグビやりつつ「エネルギー充填120パーセント!」なんて言うこともあった。けれどもそれは〈童心に返っていた〉のであって、〈これは大人の鑑賞に耐える〉と思ったんじゃぜんぜんないね。
コンプレックスで曇った目で『ヤマト』をひがんで見ていたのは出渕裕や岡田斗司夫。『ヤマト』をマジメに見ているようでちゃんと見てはいなかったのは出渕裕や岡田斗司夫。そして未だにこいつらは自分自身の若さゆえの過ちを決して認めようとしない。ああ『ヤマト』は十代が決してひとりでは見ないでください。お父さんお母さんと一緒に見ましょう。
おれが昔の劇場版を母親に連れられ見たのは前に書いたが、おれの親父もまた『ヤマト』が好きだった――話が違うじゃねえかよお、と言ってはいけない。『ヤマト』に冷たかったのは〈ぶっちゃん世代〉のちょい上だけで、それより上の世代となるとまた話が別だったのだ。おれの親父は昭和十九の1944年生まれで、上に兄貴がふたりいて、みんな『ヤマト』をこりゃおもしれえと言って見た。別にリアルと思ったんじゃない。小学生の息子や甥っ子達と共にガキ向けアニメの冒険ロマンをたのしんだのだ。昭和十年代生まれは次の世代と違って『ヤマト』に暖かく、1968年生まれのおれは誰にもバカにされなかった。『ヤマト』をもっとも冷笑した〈53年組〉の者らも、子供が見るにはいいものと認めていたから何も言わない。柳田理科雄や山崎貴ら〈63年組〉は彼らのちょい上〈58年組〉からモロにリアル幻想を押し付けられていたのだろうが、おれの世代が『ヤマト』を見るのになんで〈リアル〉を言い訳にする必要があるか。
おれの親父や伯父貴達昭和十年代生まれが『ヤマト』に理解を示したのは西崎義展や松本零士と同世代で、作った者らの心情に共感したのが理由だろうが、それだけじゃあるまい。『ヤマト』というのはそもそもが小学生の子供が見るにはいいもので、ティーンエイジのサナギ虫には毒物で、二十代の若造には良さがわからず、三十五歳くらいになって初めて底にあるものが見えてくるようになるもんなんだよ、きっとな。うん。ハイティーンの出渕裕みたいな見方がいちばんダメダメで、真似をしたらバカになるのだ。
おれが中学生のとき、親父が家で再放送していた『ヤマト』の〈バラノドン〉の回か何かを見てたので、何を今更と思いつつ一緒に見たことがあった。おれが苦笑するたびに親父は寂しげな顔をしたが、その気持ちが今はわかる。〈バラノドン〉は……〈バラノドン〉は、ええとその……さすがにちょっと、あれはリメイクは難しいかな?