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ヤマト航海日誌

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2018.12.4 真面目な顔したギャグのお話



今年の室屋は全然振るわなかったねえ……それでも5位だったっけ。なんで5位? あれで5位? それ以下の9人は何をやっとるちゅーことなんや。

毎回見ちゃあいるんだけどさ、レースそのものは解説の能勢雄一(のせゆういち)と言う人が「アッ、今のはインコレクトレベルですね」なんて言うのを聞いても『えっそうなの? よくそんなの見てわかるな』と言う感じだから、室屋がとにかくR14は勝ってくれんとおもしろくない。

それをなんだよ。なんだか一度、エンジンの回転数オーバーでDNKなんて言うのがありやがったな。ヘタ! ドジ! ピッと行けピッと! いつか千葉で初優勝したときほどの興奮は二度と得られないのであろうか。

あのときその場でその瞬間を見届けたかったものである。

おれの『ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ』を毎日読んでくれてる人も、古代が全然ピッとしないのでおもしろくないでしょう。ごめんなさいねえ。でも大丈夫。今年中に、ちゃんとエースになりますから。DNKなんてことは致しません。実は予約投稿は章の最後まで終えていて、おれがいま死んだとしても自動的に毎日正午、冥王星で〈ヤマト〉が勝って外宇宙に旅立つところまで更新されます。

もしそうならないとしたら、〈DLマーケット〉が今なんだかトラブッているみたいなあれと同じことが起きた場合だけですな。ま、あれも、どうせ今買う人間はいないだろうから、おれにとってはなんの不都合もないわけである。

で、その後に航海編、〈南アラブの羊〉の話をどうすると言うと……。

これがねえ、どうしたもんだろ。このあいだ向こうのサイトで、笛吹き男さんて人に『イスカンダルまで連載が続くように、応援しています!』とのコメントをいただいて、そりゃ続けたいんだけどさあ。おれも今や50歳だよ。なのにまあ、こんなことをやってるおかげで痩せて痩せて、下っ腹が出るどころか、身の脂肪が抜け切ってるの。身長が180センチあると言うのに体重が今57キロ。ほんとだよ。今こいつを書きながらもゲッソリしてるんだよね。

「イスカンダルはエウスカレリア、イエスズ会のある場所だ」とか、「野菜がダメに」なんてなことを書きはしたけどどうしよう。で、『ミッション』て映画見て、なんかヒントは得られんかなと思ったりしたんだけどサッパリわからん。しかしやっぱりビーメラ星はやらんわけにいかんだろうし、でも『キャシャーン無用の街』をやりたいと言うわけでもないし……などと悩んで体重を減らすばかりの日々なのであります。

しかし、おれにも若い頃があったのだ。思い出すのは1990年、『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』と『ダイ・ハード2』を観たときのことである。

以前、この日誌に書いたし笛吹き男さんへの返信にも書いたが、おれはその年、誕生日を間に挟んだ21と22歳でこの二作を先行オールナイトで観ている。いや、あの時は凄かった。幕が開いてユニバーサルや20世紀フォックスのマークが出た途端に場内が拍手喝采。その後マイケル・J・フォックスやクリストファー・ロイド、リー・トンプソンやタネン役のなんてったっけ、ブルース・ウィリスやリポーターの辻よしなり、じゃなくてナントカなどが出るたび拍手の嵐。ギャグが飛ぶたび爆笑の渦にまた拍手。どちらの映画も二時間のあいだ、拍手が鳴りっぱなしと言う盛り上がりを見せたのである。

その後に何度か先行オールナイトを観たが、この二作のときのような〈フェノミナン〉は一度もない。『ターミネーター2』のときすら拍手は起きなかったんじゃないかな。

で、そりゃいいんだが、ひとつだけ。例の返信に追記した〈真面目な顔したギャグ〉の話だ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』でブラウン博士が「元の名前は〈フォン・ブラウン〉だが戦後〈エメット〉に改名した」と言う、このセリフが出たところでおれは拍手し大笑いしたのだが、それがおれひとりだけ。立ち見を含めて千人以上の観客がおれ以外にクスリともせず、マリオンビルの日本劇場がそのときシンと静まっていた。

それが苦い思い出だと言う話をこれから解説しようと言うわけなのですよ、よろしいですか、実況の野瀬(のせ)さん。

能勢雄一って人、凄いよねえ。あんな解説ができる人、たぶん日本にひとりしかいないだろうと思うんだけど、でも正直、おれは名前を覚えらんない。特に能勢雄一と野瀬正夫じゃ、どっちがどっちかわかんない。覚えようとしたこともないのでこれを書くにもハードディスクの録画を確かめていますけど、きっと明日に聞かれてももう思い出せないでしょう。

でもフォン・ブラウンの名は、ガキの時分に繰り返し読んだ学研のマンガで知って覚えていた。『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』で、聞いた途端に笑って拍手してしまった。

でもそんな人間て、日本にひとりと言わないまでも一万人にひとりくらいのものなんだろうか。

天才は孤独なものである。いや、おれが天才だと自分で言うわけではなくて、フォン・ブラウンの話であるが、彼はロケット学者だった。ドイツに生まれ、ナチに入り、ヒトラーにV1ロケットを提案する。なんとそのとき19歳。

で、戦後アメリカに渡り、トルーマンに話すのだ。「おれがロケットを造ったのは月に行くためだ。着陸し、石を拾って帰ってくる。ただそのために月に行くんだ」と。

しかし彼に待っていたのはただ軟禁の日々だった。トルーマンにもアイゼンハワーにも彼にロケットを造らす気など毛頭なかった。ナチの弾道ミサイル学者を他の国には渡さずただ飼い殺す。そのためだけに迎えたのだ。

1950年代、アメリカ人はみな言っていた。「フォン・ブラウンがこの国にいる? 『月に行き、石を拾って帰ってくる。ただそのために一兆ドル』と言ってるだって? ふざけるな!」と。

アインシュタインまでも言った。「大統領、ブラウンに『二度とロケットを造りません』と誓わせそれを守らすべきです。それが当たり前でしょう。私は当たり前のことを当たり前にせよと言っているだけなのです」と。

1950年代、アメリカ人はそう言っていた。フォン・ブラウンを穀潰しと呼んでいた……そんな話をおれが知るのは後になってのことであるが、今は知ってる。知ってみるとあのギャグが涙が出るほど笑えるのだが、けどそんな人間て、ひょっとすると日本でおれひとりくらいなのかもしれんな。

ただもうひとつ、〈ロードショー〉と言う雑誌で戸田奈津子の連載を読んでいたものだから「グレイト・スコット」「ヘビーだろ?」と言う場面でやっぱりおれは手を叩いて笑ったのだが、そのときそうしたのはおれの他にほんの数人がチラホラだった。あの数人はきっと英語がわかるやつらに違いない。

(付記:辻よしなりのツジの字が違うのは正しい変換ができないため。たとえできてもアップロードすれば《?よしなり》になると思う)


作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之