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ヤマト航海日誌

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どうもだんだん、書いてるうちに話がおかしくなってきたぞ。『シン・ゴジラ』は――うーん何しろ、見ていないから、おれはこれを評す言葉をまだそもそも持たないのだが、主役がね。そうだ。宣伝で見る限り、まるで辻政信じゃん。『この自分が偉くなって日本を世界に誇れる国に!』なんてなことを最初から言っちゃっている〈ニシザキ古代〉に〈ぶっちゃん古代〉、福井晴敏の古代じゃん。そうなんでしょう。違うんですか。もう、おれってこの段階で、あまり見たくないんだよね。福井晴敏って本人がだいたいそういう人みたいだし。地上波でやるというからまあ見るけどさ。

『2202』はたとえタダでも絶対に見ないだろうがね。宣伝をちょっと見ただけで最低とわかる。けれど『シン・ゴジラ』ってのは、まだあれよりは上なのかねえ。どうも宣伝を見る限り、何から何までまるきり『エヴァ』と同じじゃんという感じだが……。

おれ、そもそも『エヴァ』なんか嫌いだし。パチンコの〈エヴァ〉の台でよく打ったのは、〈セカンドインパクト〉のなんてんだっけ、百分の一の甘いやつ。あれだけだな。他は打ってもおもしろいと思わねえよ。ただリーチが長いばかりで……なんでパチンコの話になるんだ。

とにかく勝負というものは、アツくならずに手堅く攻めて、貯玉カードを活用し、たとえ勝っても現金化せず、そして敗けても貯玉が減っただけさと言って、収支をノートに付けながら大連チャンの日を待つのだ。ツキというのはやっぱり月に左右されるものだということが頭より胃とか肌とか骨で感じるようにならなきゃダメで、今月はどうもいけないと思ったときはしばらくやめるようにする。だから『下妻物語』。あのように『カクヘン課長』の奥さんみたいな勝ち方のものはおれは認め……いや、ええと……。

そうだ、『シン・ゴジラ』もね。見る前から宝くじ全財産すべてを賭けた大勝負、敗ければ富永一朗が描いた鈴木義司の土管生活、これが一度はハズレるけれど、そこでドクンとまさか奇跡の再抽選とあいなって、ズガガガガンなことがドドンとバッカンボッカン発生し、登場人物みんながみんな、ウオオ、ドリャアと雄叫び上げて、そしてドーンと大当たり。やった、勝ったぞ! 我らは勝った! これでセカイは救われたのだ。大奇跡の四倍勝利! 札ビラのシャワーだーっ!

『新幹線大爆破』ってのがやっぱりそうなんだよな。見たことあるか? 君ね。ひでーぞ。映画全体の四分の三は、新幹線に爆弾仕掛けた犯人グループの仲間割れ話なんだ。それがつまらん。とにかくつまらん。これはやっぱり〈1968〉後の〈よど号ジャック〉だの〈あさま山荘〉だのといったウダウダ事件のウダウダ犯に映画を作っているやつらが共鳴してんのかなとも思うが、そんなもん、どうでもいいもんからしたらどうでもいいことじゃないですか。おれの眼で見て、成田を発った新婚旅行カップルの破局に向けてのカウントダウンみたいでしかないウダウダが無意味にエンエンダラダラ続く。そのふたりと同じツアーで最後までずっと一緒になってしまうようなものなのだ。

まったく、今に思い出しても拷問のような時間だった。パニックシーンだけ切り取って見れば『スピード』になりもするんだけどさ。

な。わかるだろ。ひとりの高ビぶー子を巡ってミツグ君とアッシー君とメッシー君がウダつくような――庵野に脚本書かせたってどうせそんなようなもんしか出来ねえんじゃねえかとおれには思えるんだがな。

そういうのは〈お話〉とは言わないんだよ。『トップをねらえ!』は五と六捨てて全体を四話構成のものとしたなら、一から三話はたのしく見れるドラマ仕立てになっているじゃん。庵野は最後の四分の一を盛り上げたものと考えていい。だからあれでも、まあ良かったと言っていいと思うんだ。

『エヴァ』の場合は十八話までの〈通常演出〉に実はなんの意味もないため十九話目の〈男の戦い〉が単発で終わってしまい、二十話以降が確変とならない。玉がだんだんとなくなっていき、二十五、六話で呑まれておしまい。パチンコで言うとね。しかし『シン・ゴジラ』の場合は、同じギャンブルでも一発ドカンと特大当たりの競馬や宝くじ方式なんだろ? 〈男の戦い〉の後を続ける必要がないため、一攫千金が好きな人間のあいだで受けてる。そういうことちゃいますのんという感じが、噂に聞く限りではどうも伝わってくるもんでさ。

たぶんやっぱりおれが見て『いい』と思うことはないね。だって、おれって『あしたのジョー』の矢吹を見て、『これだよ、パチンコはこれでなきゃあ』と思うタイプの人間だもん。無理ですよ。待ちに待った大連チャンがやってきて、「続け続けーっ!」っていうのが好きなの。普段は貯玉が増えたり減ったりをたのしんでるの。おれは今の自分のスタイルがクールでスマートと信じてるので、断じて変える気はないの。

そんなわけでおれの『ヤマト』の冥王星での戦いも、そういうスタイルでいくことになります。まだまだまだまだ〈通常演出〉が続きますが、庵野と違って確変のための伏線を張りながらの勝負だから、森雪を高ビぶー子で終わらせはしない。もちろん出渕裕のように、「キミが実は地球の女ではなくて、おっぱい星人なのではないかという噂が艦内に広まっているのだが……」なんてなことも意味なくやらない。

「アナライザーはロボットだから心がないとでも言うの?」なんてほざく女も決して出すことはありません。アナライザーには心があるに決まってんだろ。ひと目でわかんねえのか、ボケが。フィリップ・ディックの寝言小説みたいなもんはおれはだいたい嫌いなんだよ。

だからおれの『スタンレーの魔女』ではちゃんと、アナライザーには連チャンのとき活躍してもらいます。最後の最後になるだろうがね。〈蓮の台(はすのうてな)〉の言葉の意味がわかるときを待っててください。今のペースじゃいつになるやらわからんが……。

フィリップ・ディックは『ブレードランナー』の完成版を見ずして死んだ。ルーズベルトは〈大和〉が沈んだ後のところで死んでくれた。辻政信はシンガポールの手前くらいで誰かが背中を撃つべきだった。笹本祐一は『ARIEL』なんか書く前で、福井晴敏は『ローズダスト』の〈ファイナル・フェイズ〉ってやつの前だな。そこで死にゃあ良かったのに。

出渕裕はいつ死のうと生きようと別にどうでもいいとして、庵野の場合は『エヴァ』の〈旧劇場版〉が、いったん、「たまっし〜のルフラン〜」と歌って、「完成版にご期待ください」なんてことを言いやがるじゃん。でもそいつを待ちに待って見に行ってみると、連チャンでもなんでもないじゃん。

『おい、これで終わりかよ! 確変が続かねえのかよ!』と、思ったでしょう、皆さん。おれは思った。奇跡は起こるよ何度でも。『起こってねえだろうがよ、バーロー!』と、思ったでしょう、皆さん。おれも、もちろんそう思いましたよ。だから、庵野みてえな野郎は、あの〈魂のルフラン〉のところでポックリあの世に行ってりゃ良かったんだ。
作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之