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父と娘、時々息子

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00・現状





 もっと悲しくて寂しくて、辛くて何もできなくなるのではないかと思っていた。
 実際は泣いて呆然とし、また理性と共に悲しみがこみあげてきて、また酷く泣く。そのくらいで済んでいる。
 それが事務作業に追われて、気が張り続けている状態だから、そう済んでいるだけなのか、父が苦しんでいる姿が一番私にも辛く、悲しいピークで過ぎ去ったものだからなのか、本当のことは自分でもわからない。
 確かに、「しんどい、辛い、もうアカンと思うねん。」と父の口から聞かされるたび、「そんなん言わんとって。うちは大丈夫やと信じて一緒におるんやから、本人のパパがそんなん言わんで。」と言うことが精一杯で、聞けば聞くほど私も苦しく辛かった。

 それでも私は父のそばで、父の望むようにしてあげたくて、お節介をして父と関わった。それが独りよがりでも、自分可愛さと言われたとしたって私が私の為、父への不器用な娘の愛情表現してそばに居続けた。
 そうすることが私自身に嘘をつくことなく、誤魔化すこともなく、一番後悔することもないと強い確信を持てていたからだ。
 実際、私は父を見送って、寂しくて辛いという思いが強いことと、父の望むことすべてを本当に代理できていたのかという疑問は残るものの、あれをしてあげれば良かったとか、もっとちゃんと話を聞いて接してあげたかったなどの後悔はまるで皆無。

 遺して逝く者の望みと我儘、遺されて見送る者の我儘。
 私たち親子はその二手に分かれ、互いが互いの望みと我儘を叶え、貫いたと胸を張って言い切れるはずだ。少なくとも私は父の望みどおりに貫いた。

 それもどうしてここまでできたのか。
 偏に私が友人達に何と言われても、父が好きで、俗に言うファザコンというやつだったが、たぶんそれだけではないと思う。
 絆はきっとどの家族よりも強く、血は口で言わずとも濃く、だからこそ酷くぶつかった次の日でも何食わぬ顔で「おはよ。」と言える親子。
 良い意味で単純、純粋でわかりやすく、良い年した大人の皮をかぶった子供が我が家には沢山いる。私も含めて・・・。
 その家族はまだこれからも歩き続ける。
 父がいなくなってしまった今ですら、「寂しい、なんで?なんで?」と泣きながらでも一歩は足が出ているのだ。
 そして、その父のおかげで静かな日常に戻ることができたのがとても早かったように思う。
 火葬するまでは、現実とも夢ともつかぬ世界で何とかやってた印象を持っているが、次の日からははっきりとした意識の中で生活をしていた。
 今日も、そのはっきりとした意識の中で生活をしている。

 ついでに言えば、こうやって書いてもいるからね。


作品名:父と娘、時々息子 作家名:SAYA.