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深夜二時のことである。私は煙草とライターと少しのお金を持ち、近くにある別所沼公園へと足を運んだ。理由は二つ。一つは家では煙草を吸わないようにしているので、煙草を吸いに外へ出たかった。もう一つは、私は創作活動が行き詰ったときに、深夜徘徊する癖がある。まさにこれがそうであった。ここ何ヶ月間か何も書けていない。頭に情景や構成が何も浮かんでこず、雑念や、自分の言葉ではない他者の言葉だけが走馬灯のように現れては消え、現れては消えを繰り返していた。生活の糧であった貯金も底をつきかけていて、何もかもが煮詰まっていた。何でも良かった。きっかけが欲しかった。藁にもすがる思いでやっとのこと思いついた案が煙草を吸うことだった。その、本当に少量のきっかけが私の背中を「ポン」と押せば、後はすらすらと書ける。よし、何でも良いからきっかけだ。
 
 私は道すがら冷たいココアを自販機で購入した。自販機に入れる硬貨の音が「チャリン・・・」と響き渡る静かな夜であった。購入したココアを飲みながら別所沼公園の入り口へと向かった。この公園は、別所沼という沼の周りをぐるりと囲う形で形成されており、平日休日関わらず大勢の人でにぎわう、かなり大きな公園だ。沼のほかにも花壇、桜並木、小川、噴水とあり、幼稚園生からお年寄りまで楽しめるつくりになっている。ある人は周囲一キロのコースのランニングに精を出し、、ある人は沼で釣りをしながら談笑している。遊具ではいつも子供達が遊んできゃあきゃあとはしゃいでいる。いつ何時行っても、公園の表情はその度に変わっていて、飽きることが無い。公園だけでなく、利用する人たちがその表情を作っているのだ。私の、いや、皆の思い出や日常を形作るために欠かせない場所であった。私はこの場所が大好きであった。いつも、優しく出迎えてくれる。
 
 私は沼のすぐ目の前にあるベンチに腰を下ろし、大きく深呼吸した。夜と木々の出す匂いが混ざり胸をかきたてる。何か。何かきっかけをつかめそうな、そんな雰囲気がした。そのまま煙草に火をつけボーっと沼を見つめていた。
 
 何分経っただろうか、二、三本の煙草を吸い終えそろそろきっかけが自分のうちに見当たるかもしれないと思いかけていたときである。
突如として、半狂乱かのような奇声を発した男が右側のほうから駆けてきて、一瞬にして私の隣のベンチに座った。さっきまでの半狂乱が嘘かのように静かにじっと沼を見つめている。半そで半ズボンでメガネをかけている。身長は私と同じくらいだろうか。私は、その男の一連の光景に驚く暇もなく唖然とし硬直してしまった。半狂乱からの静寂への見事な動きに圧倒されてしまったのだ。私は無心で男を見つめていた。すると男がいきなりつぶやき始めた。
 
 「ああ、ごめんなさい、ごめんさい。私は嘘をつきました。偽りを申し上げました。ただ、悪気があったのではないのです。私は嘘をつくことを求められていまし た。嘘をつかなければいけないのでした。何より、自分でさえ、その嘘にだまされていたのです。私は初めて自分を恐ろしく思います。皆さんには迷惑をかけま す。しかし、一番の被害者が私だということをどうぞお忘れないようお願いします。ああ、どうして。
そうです。包み隠さず全てお話いたします。
 私はこの春から入社した二十二歳の男です。私はこの会社にいてはいけない人間なのです。何を突然言うんだと思われるかもしれません。まあ、最後まで聞い てください。私もこの二十二年間何もせずに生きてきた訳ではありません。私は、昔から、自分との相性の良し悪しを嗅ぎ分ける術に長けている人間です。好き 嫌いもはっきりとしている人間です。だからこそ、よく分かるんです。雰囲気が、環境が、何より気質があっていない。綺麗な花束の中に一輪だけある枯れた花 のような、そんな気がしてならないのです。
 私は今出版社に勤めております。大きくは無いですが、歴史のあるしっかりとした企業です。社長も、社員も良識があり、はつらつとしています。いやらしいところの無い会社です。
なのに、ああ、どうして、私が入社してしまったのでしょう。いやらしい、惨めで怠け者のこの私が。はい。もちろんこの会社へは自分から志願して入りまし た。勤労に対して、希望や野心が無かったといえば、嘘になります。ただ、希望や野心、働く理由なんて所詮嘘っぱちです。就職活動の時に必死で考え出した紛 い物です。今の私には絶望しか残っておりません。しかし、忘れてはいけません。私は被害者です。自分のついた嘘の被害者です。
 思えば就職活動の始まりがいけなかったように思います。正直に申し上げます。いつまでも、学生としてのんびりと遊んでいたかったのです。しかし、社会 が、環境が、周囲がそれを認めてはくれません。ですが、私は働きたくなどありませんでした。やりたい仕事などございませんでした。私がいけないのでしょう か?いつまでも楽に生きたいと思う事は悪でしょうか?
 十二月になって就職活動が始まり、私にはただ恐怖しかありませんでした。あの時の私は狂っていたのです。いいえ。私だけではありません。皆狂っていまし た。周囲の人たちのやる気あふれる姿を見て私は焦りました。私は勤労意欲に繋がるものならどんなものでも良いと自分の中を探しました。私は昔から本を読む 事が好きです。大学では哲学科で学び、一人でボーっと歩きながら思索することが好きです。私は漠然と、本に携わるお仕事がしたいと思うようになりました。 人間の考える手助けをして、後世の者へ知識を残す本。その本の製作や普及に努める。なんて素晴らしいお仕事でしょう。
ああ。しかし、今に思えばこれすらも嘘だったのかもしれません。働く理由を見つけるために、私は自分の本好きを利用したのかもしれません。本当の私は働き たくないので、逃げ口に本を利用したのかもしれません。そうだとしたら、私は、自分を許せません。今となっては私にも分からないのです。
 私は出版社への意欲を無理に奮い立たせながら、志望書をたくさん書きました。友達との情報交換も積極的にしました。ある友達は入社試験での自分の成績を 得意げに話します。また、ある友達は企業の人事部との人脈を作ろうと奔走しています。説明会に行けば、学生達が一様に「赤べこ」のように首を縦に振り、な にやら必死にメモを取っています。質疑応答になれば、笑顔を貼り付けた学生が元気に質問を投げかけて、さも嬉しそうです。
 駄目です。私はこの時点から駄目でした。皆洗脳でもされてしまったのでしょうか。学生達の目が、顔が、動作が、人間味を感じられません。説明会で、私 は、いつも孤独でした。あれは、あの雰囲気は、行った人にしか分かりません。こんなことを考えているのは私だけでしょうか?ただ、人として、職を探す姿勢 として、何か間違っている気がしてなりません。
作品名: 作家名:たけ