君と見た空
Episode.1 夏休みの始まり
「……退屈だなぁ」
自分の部屋の窓から見える青い空を眺めながら、少女は呟く。
高校に入ってからの初めての夏休み。
休みに入る前はあれもやりたい、これもやりたいといろいろと考えていたはずなのに。
彼女は学校の寮の自室で暇を持て余していた。
同室の悠(ゆう)も今は出かけているし、普段親しくしている友人は家に帰ってしまった。
本当は彼女も家に帰るつもりだったのだけれど。
家に帰るのは何となく嫌で、寮にずるずるといるのだ。
でも、親しい人がいない寮に残っても退屈で、小鳥は夏休みになってから、もう何度目になるかわからないため息を吐く。
そして、ふと幼馴染の事を思い出す。
今年受験生だという彼は今頃、勉強しているのだろうか、などと考える。
何をするにも一緒だった幼馴染に会えないのは寂しい。
やっぱり家に帰ろうかなぁ、と考えて、小鳥はぶんぶんと首を横に振った。
そのたびにふわりと彼女の色の薄い長い髪が揺れる。
・・・…家には帰れない。
家に帰っても気まずいだけだ。
それに自分はこの寮生活を気に入っている。
そう心の中で繰り返して、彼女がぎゅっと握り拳を作った、その時。
ぐきゅるるる。
お腹が鳴って、彼女は頬を赤らめる。
ふと部屋の中の時計に目をやれば、針は十二時を指していて。
とりあえず、お昼ご飯の準備をしよう、と小鳥は思った。
もうすぐ同室の悠も帰ってくるだろう。
彼女の分も用意しようと思いながら、小鳥は立ち上がる。
何がいいかなぁ、と考え込む小鳥の背後でどさりと音がして、彼女はびくりと身体を震わせる。
そういえば窓を開けたままだったという事を思い出し、彼女は青ざめた。
「夏だからって、窓を開けたままにするのはやめなよね」
ここは一階なんだから、と自分に忠告したルームメイトの言葉を思い出し、小鳥はその場に立ち尽くすが。
早く窓を閉めなければ、と勇気を振り絞って、窓へと駆け寄る。
だが、窓の外に見えた人影に彼女あは悲鳴を上げそうになった。
「……っ、っきゃ……っ」
「……馬鹿」
自分の口を塞ぐ手に小鳥は抵抗するが、自分から手が離れる気配がない事にますます彼女は慌てた。
「落ち着け、小鳥。俺だ」
聞き覚えのある声に恐る恐る目を開けて、小鳥は漸く相手を見る。
その視線に気づいたのか、小鳥を拘束していた手も相手もゆっくりと離れていく。
少し大人っぽくなった少年の顔を彼女が見忘れるはずもなかった。
望月葵。
彼は小鳥の大切な幼馴染なのだから。
「あーちゃん!?」
大声で叫ぶ雛森の声にあーちゃんと呼ばれた少年は再び彼女の口を塞ぐ。
「……大声を出すなよ」
彼に注意されて、雛森はここがどこであるかを思い出し、こくこく頷いた。
ここは女子寮なのだ。
彼が見つかるのはまずい。
とりあえず彼を部屋の中へと入れる。
彼が部屋の中へと入るのを確認してから、小鳥は部屋の温度が上がる事を覚悟しながらも窓を閉めた。
そして、部屋の中で寛ぐ彼の傍に小鳥は座り込む。
「ど、どうしたの?? あーちゃん」
何でここに、と問う彼女に葵はビニール袋を差し出す。
「昼、まだだろ。弁当買ってきた」
食うだろ、と言われて、小鳥は素直に頷く。
「う、うん。ありがとう……じゃなくて!!」
あーちゃん、と小鳥が彼を睨みつければ、葵は肩を竦めてみせた。
そんな彼に小鳥は同じ質問を繰り返す。
「どうしたの?」
何でここに来たの、と問えば、彼はあっさりと答えた。
「家出してきた」
ふーん、そうだったの、と思いながら、はたと小鳥は考え込む。
「……家出!?」
家出って、どういうこと、と叫ぶ小鳥を遮って、葵は告げる。
「だから、しばらくここに泊めてくれ」
さらりと吐き出された言葉に、小鳥は眩暈を覚えたが、それはきっと暑さのせいだけではなかった。
「……へ?」
自分でも間の抜けた声を出しているなぁ、と小鳥は思う。
でも、それぐらい彼の言葉は衝動的だったのだ。
「あーちゃん、今、何て……」
呆然と呟く小鳥に葵は根気よく繰り返す。
「家出してきた。だから、ここに泊めてくれ」
その言葉の意味を漸く理解して、彼女は葵の肩を掴んだ。
「あーちゃん、泊めてくれって、ここ、女子寮だよ?」
「知ってる」
「それにどうして家出なんて……っ」
「……落ち着け、小鳥」
あくまでも冷静な葵とは反対に小鳥は焦るばかりで。
そんな彼女の様子に葵はため息を吐いてから、そっと小鳥の頬に触れる。
「小鳥」
名を呼んで、彼女の瞳を覗き込めば、漸く小鳥は落ち着いたようだった。
昔からこうやると、彼女は泣いていても怒っていても、落着きを取り戻す。
それは幼馴染である葵だけができる事だった。
ゆっくりと息を吐き出してから、ぽつりと小鳥は呟く。
「…………は?」
「小鳥?」
「……家出した理由は?」
そう小鳥が葵に問えば、彼はきつく唇を噛み締める。
それを見た彼女はは自分の頬に触れたままの葵の手に自分のそれを重ねた。
そして、もう一度彼に問う。
「家出した理由は何?」
小鳥の問いに葵はしばらく黙り込んだ後、呟く。
「……言いたくない」
「あーちゃん!!」
咎める小鳥から顔を逸らし、彼は彼女から、そっと手を離した。
そのままいつまでも黙り込んでいそうな彼の様子に小鳥はため息を吐く。
彼が家出してきたというのなら、余程の事があったのだろうと思う。
けれど。
「……理由がわからないと、ここには泊められないよ?」
あーちゃん、と言えば、漸く葵は小鳥と視線を合わせた。
「……今は言いたくない」
言えない、と言って顔を逸らす彼の言葉に小鳥は首を傾げる。
今は、という事はいつかは話してくれるのだろうか。
「……いつか話してくれる?」
「……あぁ」
頷く葵を確認して、小鳥はそっと息を吐いて、彼を安心させるように微笑んだ。
「仕方ないなぁ」
「……いいのか?」
「うん」
確認する葵に彼女がこくりと頷く。
「いいよ。だけど、夏休みの間だけだからね?」
「あぁ」
ありがとう、と呟く彼に小鳥は笑みを深めたが。
とりあえず、今、ここにいるのは自分だけではないのだから、気をつけなければならない。
彼の事が学校にバレれば、きっと自分は寮から追い出されてしまうから。
それに同室の悠になんて説明しよう、と思いながら、彼女はそっと息を吐く。
だけど。
今は彼と一緒に過ごせる事が嬉しくて仕方がない。
「小鳥?」
黙り込んだ自分を怪訝そうに見つめる葵を安心させるように小鳥は微笑むが。
「ふーん、僕がいない間に男を連れ込むなんて」
どうなるかわかってるの、三浦、と低く唸るような声に彼女は身を竦ませた。
びくりと身体を震わせる小鳥をきつく睨みつけ、少女が一歩近づく。
一歩前に進み出たおかげで、漸く葵はその人影の顔を見る事ができた。
細見の背の高い少女が意志の強そうな瞳で真っすぐに葵を捉えている。
少女が葵を見下ろすと、さらさらとした髪が揺れた。
まじまじと葵が少女を見れば、呆れたような視線が返ってくる。
「まだ子供じゃない」