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背中越しのラヴソング

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【 2・氏森アンナ ‐NIGHT 一日目‐ 】 〈 1 〉


 きゅうぅぅぅぅぅん――と、やけに耳障りな音が聞こえた。
 同時に、鈍く光る電飾がゆらゆらと私の頭上で揺れているのが見えた。そしてそれに一歩遅れて、静かに流れるジャズ系のBGM。気が付けば私は、全く見覚えのないどこかのバーの片隅にいた。
 ――なんなの、これ。私は身を起こす。
 微かに鈍く感じる頭痛を振り払うようにして顔を上げると、目の前には飲み掛けのビールと手の付いていない殻付きピーナッツ。そしてまだ煙が立ち昇っている煙草が一本、灰皿の上に転がっていた。
 店内を見渡す。僅かに四つ程のスツールが置いてあるだけの、やけに狭いバーだった。
 人はいない。客はおろか、店主の姿さえもない。一体私はこんな場所で何をしていたんだろうと考えながら、静かに立ち上がった。
 まず、状況を確認した。――怪我は無い。痛みを感じる箇所も無い。但し、肝心なる記憶も無い。
 ――私は誰だ? 単純かつ最大かつ非常に重要な壁にぶつかった後、私は頭を振り、今はそれを考えるのはやめようと決心した。
 早足でカウンターテーブルの向こう側へと移動すると、そこにある物をざっと見渡し、目ぼしいものを物色し始める。
 並べたのは、氷を砕く為のアイスピックと、鞘付きの果物ナイフ。そして一振りの包丁。
 私はまず、果物ナイフを靴下の中にしまい込む。そして包丁にはタオルを巻き、背中側のベルトの間に挟んだ。アイスピックは逆さまにして、リストバンドで留めるようにして服の袖へ。これで後は小型の拳銃でもあればいいなと思いながら棚の中を覗いてみたが、そこまでは置いてはいないようだった。
 代わりにレジスターの中から紙幣と小銭の一切合財を抜き取ると、アーミーパンツのサイドポケットの中に無造作に放り込んだ。
 ついでに冷蔵庫の中から手付かずのハムとミネラルウォーターのボトルを取り出せば、後はもう用はないなと、私はカウンターの向こう側へと戻った。
 ――そう言えばと、私は先程まで眠っていたであろう場所に視線を戻す。
 私が起きる直前まで、その横に誰かがいたのだろうか? 私は飲まない筈のビールが置かれ、その横には嫌いな筈のシガレット。間違いなくこれは私ではないと思いながら、ふと笑みがこぼれた。
 ――私ではない? 私自身の記憶が無いのにか?
 思いながら灰皿の横にあるオイルライターを拝借すると、それもまたポケットの中にしまった。
 そっと足音を立てずに店の入り口へと向かう。かぶったキャップの唾を後ろへと回すようにかぶり直せば、静かに店のドアを開け、外の様子を伺った。
 細く長い、暗い階段が地上へと繋がっている。どうやら誰もいなさそうだが、結局私はそこから出るのをやめた。急いでドアを閉め、内側から施錠する。そして今度は再びカウンターの向こうへと急ぎ、勝手口のドアのノブへと飛び付く。
 外は、闇だった。だが、ほんの僅かな時間で目は暗闇に慣れる。幾何かの時間を置き、私は闇へと紛れ込む。
 どうやらそこは雑居ビルの地下らしく、雑然とした荷物置き場と化している。
 咄嗟に隠れ場所を探すが、万が一ここで見付かった場合には分が悪い事を把握し、私は地上へと向かう階段を探す事にした。
 やがてそれは、資材搬出用貨物エレベーターの横に見付かった。
 頭上には、細かい点滅を繰り返す切れ掛かった蛍光灯。そしてその灯りの下、エレベーターのステンレス製のドアに映る自分の姿。
 白いタンクトップに、迷彩柄のアーミーパンツ。紐で編み上げた革のブーツに、両手には黒のグローブ。ストレートな長い黒髪を隠すようにしてキャップをかぶる、“私の姿”がそこにある。
 ――正直、違和感しかなかった。
 私自身が一体誰なのかはまるで思い出せないが、それでもこれだけははっきりと言える。「この姿は私ではない」と。
(でも、そんなに悪くはないわ)
 切れ長の目で自分自身にウインクすると、私はその場を後にした。

 耳を澄まし、人の気配を探った後、私は足音を殺しながら階段を登った。
 出た場所は、車の一台も通れないだろう狭く細い裏路地。背の高いビルの壁が両側に立ち塞がり、闇と共に圧倒的な威圧感を与えて来る。
 ――もしもここで両側から挟まれたら? そんな最悪なケースも考慮に入れつつ、私は覚悟を決めて歩き出す。その時だった。
 ふと、背中側から強烈な光を浴びせられた。私は咄嗟に背を壁に付け、アイスピックと包丁を両手に握り、身構えた。
 しかし、その咄嗟の行動は無駄に終わった。私を照らしたライトはそのまま宙へと向かい、私の頭上を通り過ぎた。
 どこかの巡回パトロールだろうか。鈍いローター音を響かせて、一台のヘリが私のいる裏路地の真上を通り抜けて行く。
 ふと、そのライトの灯りを目で追った。向こうの通りに見えるビルの屋上の看板をライトが照らし、ほんの一瞬だけ、“Beginning of a Game(ゲームスタート)”の文字を暗闇に浮かび上がらせていた。

作品名:背中越しのラヴソング 作家名:多嶋ハル