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ガガーリン
ガガーリン
novelistID. 50570
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Korean Flower

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ある夕暮れのことだった。私は、ビジネスマンが多くいる繁華街を歩いていた。年は20歳すぎの色白の、顔つきの引き締まった、女性が、私に声をかけてきたのであった。私はもう45歳を超えるオッサンである。このようなうら若い乙女が、私のようなオッサンになどに、声をかけるはずがない。今までの私の経験はそうである。
 彼女は、開口一番、放った言葉は「オニイサン、ヤスクシテオキマスヨ」であった。そのなまりから、察するにどう考えても、韓国人としか思えなかった。顔つきの引き締まった、その乙女の、その言葉をこのような忙しない繁華街で、耳にするとは、年は20歳すぎの色白の、顔つきの引き締まった、その乙女が発する言葉としては、その風貌から考えて、あまりにも突拍子もない。どう見ても、勉学では優秀であろうその風貌からは、およそ想像できない、言葉であった。この「オニイサン、ヤスクシテオキマスヨ」という言葉は、よく考えて、思い出してみると、私が20年前に読んだ漫画に出てくるセリフであることに、思い当たった。その漫画にはオカマバーの立ちんぼが、新宿歌舞伎町を舞台として登場してくる。そして実は、漫画の中でこのオカマが「オニイサン、ヤスクシテオキマスヨ」と言ったのであった。私が関東地方に居を構えていた間、新宿歌舞伎町といえば、オカマバーが立ち並ぶ繁華街としてひそかにささやかれていた。このオカマが発した、同じ言葉を、年は20歳すぎの色白の、顔つきの引き締まった、乙女が韓国語なまりの日本語で声をかけてきたのだから、私はぎょっとして無意識に避けたのであろう、と後になって思いいたったのであった。
 しかしこのうら若き乙女が「オニイサン、ヤスクシテオキマスヨ」なぞとは、果たして自らの意志から発した言葉であろうか。私はこの言葉が彼女の自発的意志からでた言葉とは、とうてい思えなかった。明らかに、誰かに、その言葉を言うように教唆されている、としか思えない。その誰かとは、お解りであると思う。ハデスの帝王の手下どもである。
 彼女の言葉に応じた男どもは、彼女のまたぐらにイチモツをぶち込むことになる。この年は20歳すぎの色白の、顔つきの引き締まった、乙女が、それに愉悦の声をあげていると、読者諸氏はお思いだろうか。彼女が、このようなことを、心から溢れてくる喜びに彼女たちが満たされていると、読者諸氏はそう思われるだろうか。私は違うと思う。夜ごと、うら若きこの乙女はどこの誰とも知らない男どもに、またを開く。その顔は、涙と苦悶で、ぐちゃぐちゃに歪んでいるにちがいない、と想像してしまう。どんなにひどい性病に感染させられても、どんなに股がかゆく、さらには痛くてたまらないにも関わらず、ハデスの帝王の手下どもが、病院などに連れていくことがあるだろうか。それとも乙女たちを「逃がさず、殺さず」というモットーでもって、瀕死の状態にまで、男どもの公衆便所になることを、強要されて、最後は夜半にまぎれて、海の沖合へと繰り出しこの乙女を、沈めるのであろうか。年は20歳すぎの色白の、顔つきの引き締まった乙女の、最後がこれなのか。
 そうしている間にも、乙女たちは、苦悶に苛まれ、顔は涙でぐちゃぐちゃであろう。今夜も多くの外国人女性がこの平和ボケした日本で、どこの誰とも知らない男を前に、またぐらを開いて、屈辱と苦悶に苛まれて、顔がぐちゃぐちゃで涙まみれになっているかと、思うと憂鬱になる。私は、神に祈った。
「神よ、なぜ彼女たちはこのような運命にもてあそばれることになっているのでしょうか。どう考えても、ハデスの帝王の手下どもが、彼女たちをだまして、私の住む町のほんのわずか二駅のところの繁華街で、売春を強要されているにちがいないではないでしょうか。彼女たちは、死ぬまで、どこの誰ともわからない、スケベどもに、またぐらにイチモツを、グイグイと突っ込まれて、足腰が立たないほど性病その他の病で、またを開くことすらできなくなれば、海の中へ捨てられてしまうのでしょうか。あるいはまだ、商品価値があると判断された場合は、アメリカへ転売されるのでしょうか。
 神よ、人間は神の子としての資格を与えられているのではないでしょうか。何人も、神の意志を実現し、隣人愛を実践すべく生まれた存在、人間として思考し判断し、善を行うべく作られた存在、唯一の存在として生まれてきた彼女たちのたった一度の人生が、無残にもハデスの帝王とその手下たちを肥え太らせるために、まるで鶏小屋で卵を毎日生むことだけに、専念させられているブロイラーのように、売春を毎日強要され、ただひたすら男の性欲のはけ口として、セックスする機械として、ドスケベ男専用快楽発生装置として、使役されている現実を神はどのように思われているのでしょうか。」
 神の顔は、年は20歳すぎの色白の、顔つきの引き締まった韓国の乙女と同じく、涙と苦悶でぐちゃぐちゃであった。神の怒りは頂点に達していた。
 神は怒るのにおそく、そのぎりぎりのところまで、放っておかれる。しかし、必ずその行為に報いられる。善には善を、悪には悪を、必ず報いられる。悪が善い結果を招いたり、善が悪い結果を招くことは決してない。
 現実は何も変わらないという考えは一つの信仰である。この物質世界がすべてであるという考えも一つの信仰である。そして不都合なことをもみ消しにすれば、何もなかったのと同じである、というのも一つの信仰である。そして動物界は適者生存の法則にしたがっており、人間もその動物でしかない、というのも一つの信仰である。人間はサルから進化し、神は人間が発明したものだというのも、一つの信仰である。いや、それはおかしい。人間がサルから進化したのは科学的事実であり、神を発明したのは明らかだ、という反論があるかも知れない。
 では、そう考える方におたずねしたい。物理学で考えられる、1次元2次元3次元4次元5次元という階層があることはご存知であろうか。もし人間が神を発明したのであれば、これらの多次元構造も人間の発明したものになるに違いない。ところでこの多次元階層は下位の階層が上位の階層の影にすぎないとは考えられないであろうか。例えば2次元の壁に投影される影が3次元物体の影であることは理解できようか。そう考えると物質世界である、この世はその上位次元の影にすぎないという考えにいたることはできないであろうか。さらに、3次元以上の階層が存在しないとは、物理学者は考えていない。彼らの言葉では、観測不能という言葉を使っている。つまりその存在は考えられるが、「見ること」ができない、という回答が与えられているにすぎない。
作品名:Korean Flower 作家名:ガガーリン