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カラータイマーガール

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二十歳の誕生日の朝、東京は雪に覆われていた。二年ぶりの大雪という珍しいのか珍しくないのかよく分からない記録だった。JR、私鉄ともに乱れたダイヤは、お昼頃には復旧できそうだとテレビのニュースは伝えていた。
 ちょっと遅めの朝食をとってから、私は溶け出した雪でぐじゃぐじゃの道に悪戦苦闘しながら、行きつけの美容院へ行った。「グッバイ十代」と称して髪を思いっきり切ることに。ベリーショートで小悪魔に大変身さ。
「杏ちゃん、本当にいいの?本当にバサッと切っちゃっていいの?」
とテツさんはハサミを持っておろおろしていたけれど、これは儀式なのだ。私流の成人式。十代の匂いがするものは捨て去ってしまえ。
 ジョキッジョキッと軽快な音とともに床に落ちる髪の毛。今まで髪の毛として機能していたものが、落下したことでただのゴミに成り下がった。途端に髪の毛が愛おしくなったけれど、テツさんがその歴史のこもった愛しい髪の毛を汚いスニーカーで踏んづけているのを見て、結局そんなものかと思う。
 美容院を出てから、一路駅前商店街へ。さらに悪魔になるべく、真っ赤な縁の伊達眼鏡を買った。千八十円也。いい買い物だ。
 いったん家に戻り、NBAの試合を見て時間をつぶす。バスケは私ともっちんの共通の趣味だ。会うたびに試合について語るのだが、白熱しすぎて喧嘩になることもたまにあった。
 私の大のお気に入りは、レーカーズのコービー・ブライアントだ。一瞬に敵を置き去りにするスピード、どんな体勢でも決めてしまうシュート力、破壊力と美を兼ね備えたダンクと、長所をあげればきりがない天才なのだが、一番惹かれた理由はその名前にあった。
 父親がかつて日本で神戸牛を食べ、あまりのおいしさに感動して、生まれてきた息子に「kobe」と名付けてしまったのだそうだ。こんな名付けが流行していたら、私だって「じゃっぱ汁子」とか「つゆ焼きそば子」と名付けられていたかもしれない。なんて馬鹿な考えを知ってか知らずか、相変わらずコービーは素晴らしいプレーを披露していた。まさにゲームの支配者。なんと今回はチームメイトの髪の毛をむんずと掴み、叱咤激励しちゃうお姿も見ることができた。うむむ、勝利のためにはそこまでしちゃうものなのね。まさしく最高牛の名を冠した男である。ゲームはレーカーズが大差で勝利して終了。満足感をたっぷり胸にしまい、私はもっちんとのデートへ向かった。
 「二十歳の誕生日はおしゃれに過ごしたい。」という私の要望をちゃんと聞いてなかったのか、デートの待ち合わせに指定された場所は上野の西郷どんの前だった。
 上野の皆様、そうじゃありませんよ。別に上野がおしゃれじゃないと言っているのではありません。ただ、表参道や青山、自由が丘とは趣きがまるで違うと思うのです。
 小悪魔ファッションの私を上野全体が拒絶している気配がする。西郷どんは「俺の身体が動きさえすればおまえなんぞ……」と、相当怒ってそうで怖い。その眼力の強さにたじろぎ、私は千八十円の赤い伊達眼鏡をつい外してしまう。悪霊退散。
 二十分遅れでやってきたもっちんは、百八十センチの長身を誇示するかのように、胸を張って歩いて来た。予想通りのジャージ姿。
「おう、遅れた。雪のせいだ。」
「いや、私はちゃんと時間通り来れたけど。」
「そうかそうか、それはすまない、二十歳の乙女よ。では行こうか。」
 大またでどんどん進むもっちん。おい、今日の主賓を置いていくつもりか。いや、ここで愚痴は言わないでおこう。これからどんなおもてなしを……と思ったら、もっちんは駅ガード下へ向かい「冗武巣」という名の焼鳥屋に入った。慌てて続く私。もっちんは一番奥のテーブルについて既に注文していた。「生二つとガツ、ハツ塩で二人前」と聞こえたような。決して「神戸牛」という響きではなかった。座る前にちょっと睨んでみたが、悠々と煙草に火をつけ、うまそうにふかす。憎らしい。
「で、試合見た?」
「見た。レーカーズが勝った。コービーはゲームの支配者だった。」
「奴は異次元にいるからな。俺もいつかそこへ行く。俺のパスを奴が受けるんだ。」
 どうぞどうぞ。もっちんがバスケットを本格的にやりだしたのはつい五年前のことだ。学生時代にやっていたら良かった、と悔やんでいるが、元来、運動神経が鈍いので「いや、それでもあまり変わらないと思うよ。」と慰めてやったら、逆に怒られたことがあった。
 若いお兄ちゃんが生ビールを運んできて、さあ大人になるはじめの一歩。乾杯だー、の前にもっちんから一言。
「二十歳になるというのは、三十歳、四十歳になるのとはわけが違う。本当に美しい瞬間なんだ。一生に一度の区切り。わかるか?」
 三十歳、四十歳も一生に一度だと思うのだが、あえて突っ込まない私。
「だからな、この節目で目標を宣言して欲しい。自分はどういう女になりたいのか?何をしたいのか?誓いをたてろ。」
「もっちんの嫁になる。」
 私は即答した。それが私の二十歳の誓い。
 もっちんは煙草を灰皿に押しつぶした。その途端ふと生まれてしまった静寂。二人の挙動が止まった。それを嫌って、もっちんは生ビールを一気に飲み干し、再び胸ポケットから煙草の箱を取り出した。しわの刻まれた指で煙草を一本取り出すと、器用に回し始めた。しばらくの後、シュボッとライターの音を立て、紫煙を立ち上げた。
「また雪が降ってきやがったな。東京でこんなに雪が降ることは最近じゃ珍しい。」
 二年ぶりですよ、と小声な私。外を見ると、いつの間にか雪が静かに降っていた。
「雪と言えばこんな話を思い出した。昔聞いた話だ。」もっちんの顔の表情が硬い。「今から約五十年前、日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。国の仕組みそのものが新しく変化した時代で、誰もが血気盛んに動き回っていた。そんなころ、ある男女が結婚した。結婚と言えば聞こえはいいが身売りみたいなもんだ。女の親が多額の借金を抱えていて、借金を返す代わりに娘を売ったのさ。」
「偽りの結婚生活が始まった。いや、ただの同居生活だな。女は料理をし、洗濯をし、掃除をし、毎日を過ごした。男は家業を手伝い、仕事が終わると、家でご飯を食べ、お風呂に入って、寝る生活だった。会話と呼ばれるほど言葉を交わすこともなく、ただ日々は過ぎていった。そしてある日、雪が降った。今日のように静かにしんしんと。」
「その日の夜、家に帰ると女が泣いていた。窓越しに降り続く雪を眺め、『悲しい、悲しい。』と叫んでいた。男は言った。『悲しいなら、家に戻ればいいじゃないか。』と。女は両手で顔を覆いながら叫んだ。『私には帰るところがありません。』って。何度も叫んで泣いた。借金のせいで売られた女だから、確かに帰る家は無かった。男は女を慰めようと思ったが、どうすればいいか検討がつかず『今日は早く寝なさい。』と言うのが精一杯だった。翌朝、まだ雪は降っていた。昨日と同様にしんしんと降っていた。違うのは、女が消えてしまったことだ。帰る場所のない女がどこに行ったのかはついぞわからぬままだ。」
 もっちんが私を見た。
作品名:カラータイマーガール 作家名:青岳維鈴