無農薬ということ
6.幸運な出会いについて
熊本の菊池養生園に見学に行ったときの事です。無農薬栽培のやさい畑で私はやさいを管理している人に「品質はどうですか。」と聞きました。「そうですね、やはり市場に出ているもののようにはいきませんね。」
私は「あれっ」と思い、次の瞬間に自分の誤りに気が付きました。
私はやさいの味はどうか、腐りやすいことやとうの立ちやすい事はないか、そんなことを聞こうとしていたのです。しかし、生産者の間で「品質」という言葉はそのような意味では使われていないのです。「品質がよい」とは、見かけがよいこと、大きさが揃うこと、まっすぐなことなどを表しています。
でも、私達の作っているのは食べ物であり、すでに述べたように自然の流れの一部を受け持っているのですから、だとすれば正しい意味での「品質」はまず第一にそれを食べる人の命を支えられること、少なくとも「毒」を含まないことでしょう。第二には、食べる人が幸せになること、つまりおいしいことだと思います。(「おいしい」とはニンジンならニンジン、キャベツならキャベツの特有の味と香りの事でもあります。)しかし実際の流通では二点とも忘れ去られ、見かけの「品質」だけがやさいの価値を決めているのです。
このような誤った価値観に基づく消費行動が結果として私達の体も自然環境をも狂わせているということ、そのことに気が付く消費者はだんだん増えています。(全体から見ればまだまだ少数ですが。)
でも、気が付くだけでは足りません。最後は決断の問題です。
もうおわかりかと思いますが、生産者の「農薬を使わない」という決断に対応するのは消費者の「無農薬やさいを食べる」という決断ではなく、「農薬やさいを食べない」という決断です。
さて、「農薬を使わない」決断をした生産者と、「農薬やさいを食べない」決断をした消費者とが遅かれ早かれ出会うことは必然です。どちらも生きるためにお互いを必要としているのですから。
出会った両者はほっとするのも束の間、直ちに山のような難問に直面します。わかっているのは、生産者が安全な食べ物を提供することで消費者の健康を支え、消費者が代金を支払うことで生産者の生活を支える、ということだけです。誰がやさいを運ぶのか、価格はどう決めるのか、代金は誰がどう集めるのか、流通の費用は誰が負担するのか。全てが生産者も消費者も考えたこともない問題です。長い試行錯誤が始まります。出会いはゴールではなくスタートなのです。
この出会いから始まる関係を私達は「生産者と消費者の直接提携」略して「提携」と呼んでいます。「産直」とか「共同購入」と呼ばない理由はもうおわかりでしょう。