帰れない森 神末家綺談5
終わりのはじまり
月が出ている。異常なくらい大きい。見たこともないくらいだ。不気味なのに、その美しさに引き込まれてしまう。伊吹(いぶき)は一人。それを見上げている。
ここは暗い森。月明かりに作られる木立の影が、足元に奇怪な模様のような影を落としていた。
風が、ない。虫の鳴き声もしない。静寂。
広大な森に立ち尽くし、伊吹はじっと立ち尽くす。足が竦んでいるのがわかった。怖くて怖くてたまらない。この先に進んではならないと、本能が警告している。にも関わらず、森の奥へいかなければと渇望している矛盾。それが、恐ろしい。
行ってはいけない。
この先にあるものを見てはいけない。
わかっているのに、足が草を踏んで先に進む。青白い月の光に誘われるように、命の存在を感じさせない森の奥へと。
「いけない」
呼び止められ、心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。恐る恐る振り返ると、白い装束に身を包んだ者が、唐突にそこに立っていた。髪が、異様なくらいに長い。腰元に届こうかという黒髪が、その人物の顔を覆い隠している。
「そのさきは、いけない。いってはならぬ」
声に、聞き覚えがあった。白い装束の裾から、すうっと手が上がる。枯れ木のように痩せこけた手首。その指先が、森の奥を指す。
「このさきにいってしまえば、」
俯いていた顔がこちらを見る。
「怖いものを、みるぞ」
それは瑞(みず)だった。能面のような無表情が伊吹を見つめている――
作品名:帰れない森 神末家綺談5 作家名:ひなた眞白