小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
長谷川廣秀
長谷川廣秀
novelistID. 52288
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

知ることについての緒言

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
知ることについての緒言

長谷川広泰



 「知る前と、知った後では世界が変わって見える。」このような経験をしたことはないだろうか。何かを学び知った後の新鮮な感動とは、まさにこのような体験を言うのだろう。   
論語には、同様な感動を「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と表現されている。道を知った後の感動があれば、死んでしまっても構わないとの意味であろうが、学び知る事で得られる感動が、実に人間らしい営みであるということが、孔子の生きていた時代より認識されていたのだろう。
 誰しもそのような体験はあると思うが、私も新しい科学を学び知った事で目から鱗が落ち、世界の見方が転換したという経験をした。その体験の幾つかを書き残して置きたくて、一筆執ってみたというのがこの散文を書いた動機である。 
 私はフレキシブルプリント基板エンジニアという職業であり、職業柄、幾つかの化学反応を取り扱っている。
 化学反応と言えば、二つ以上の化学種から新しい化学種を生成しようとする合成反応が一般に知られている化学反応のイメージであろうが、私が扱っている化学反応は、それとは毛色が違った、酸化還元反応という化学反応の一種である。(酸化還元反応とは、原子やイオン、化合物間で電子の受け渡しが行われる反応を指す。)
 特に、金、銀、銅、ニッケル、スズと言った金属のイオンを還元し、金属や高分子樹脂等の表面を金属の膜で被覆させる「めっき」(電気めっき、化学めっき)という技術を扱っている。
 対象を金属の膜で被覆させる理由は、装飾や防錆、表面の耐摩耗性を上げる、電子部品の実装を行わせる目的等様々である。近年では、プリント配線板の製造において、多層構造に上下に積み重なった基板を電気的に接合させる等、従来とは異なる用途にも用いられている。
 このようなめっき技術であるが、その原理を一言で説明するならば、金属イオンを金属に変化させる還元反応と、金属イオンを還元させる還元体の酸化反応を対とした酸化還元反応であると理解される。金属イオンを還元させる方法は、電気的回路を作って、電気的に還元させる方法、還元剤を使って還元させる等の種類がある。これらの反応の理論的な背景は電気化学的に説明され、電気化学的な理解を深めれば、めっきの反応は理解できる。
 くだけて言えば、めっきとはある方法で、金属イオンを還元し、金属化させて析出させる電気化学的反応と言えるだろう。
 ここで、逆転的に考えてみる。金属イオンを金属化して析出させる反応がめっきならば、金属を溶出させて、金属イオン化させる逆の反応はどうなるだろう。これらの溶解反応は一般に化学薬品による金属の腐食を利用したエッチング反応と呼ばれ、例えば、金属板のような一様な金属材料を溶解させて、配線形成を行うプリント基板の製造等に用いられる技術である。
 エッチングは金属の溶解、つまり金属の腐食反応であるが、この金属腐食もめっきと同様に電気化学的に説明されうる。
(専門的に言うならば、局部電池の反応と考えられる)
 このめっき反応とエッチング反応は、金属の析出、金属の溶解とが現象的に対をなしており、一方の反応の理解が進めば、もう一方の反応の理解も深まると言った具合に双子の様な関係にある。
 この二つの反応を表裏一体的にかつ、統一的な概念として捉えてみたことで、私の金属の析出や溶解反応に対する視野が新しく拓けてより理解が進んだように思う。大げさに言うならば、自然という世界の見方(一部分ではあるが)が変わったと言うことだろう。学生時代から自然科学を学び、実験に取り組んできたが、自然の見方が変わるというこのような体験を往々にして経験し、その度に、新しい事を知りえた興奮と感動を味わってきた 。人が学びたいという原動力は、この様な新しい世界を知ったという喜びと感動から生じるとても情緒的なものだと思う。
 次に、時間について考える。自然を流れる時間を認識する際は、時計を用い、時計が刻む時と照らし合わせた客観的な時空の流れを時間と認識するが、それに対し、人間世界に起こった事実の断片を繋げて、過去から現在までの連続した一連の物語を史実として認識し、時空の流れを捉える歴史という手段がある。
 各人がどういう歴史観を持つかは、個人の思想・信条と関係しているから、個人がどのような歴史観を持つかは自由である。しかし、歴史は多面的な観点から事実を認識するべきで、誤った事実に基づいて歴史観を構築したなら、それを認め正すべきであろう。
 私の歴史体験を思い返すと、義務教育で習った日本史および世界史、加えて、自分で学んだ歴史がそれに加わる。自分で歴史を学んでいた時、日本史の中で、教科書で避けられた空白の期間があることに気づいていた。特に、日露戦争後から、終戦、現在に至るまでの日本の近現代史である。私の時代、学校でこの時代を教える事がタブーだったのか、義務教育でそれを学んだという記憶がなく、この時代出来事については、自分で学び知っていった。その中で後に知ることになるが、終戦後、アメリカの占領軍による情報統制、WGP(ウォーギルトプログラム)が実行され、歴史も戦勝国であるアメリカの手により作られていった。戦後の教育環境で、日本の近現代史に関わる教育が教科書に載ることが禁止された。戦前、日本は軍国主義国家であり、アジア諸国に侵略を行い、自由と民主主義を標榜するアメリカにより、粛清され、戦後、自由と民主主義を手にしたのだと言うステレオタイプの自虐的な歴史観が生まれ刷り込まれていく。それは今もなお、政治家らにより宣言され、マスメディアにより流布されている。この現状をみると、WGPが戦後七十年を経ても、日本を呪縛している事に、敗戦した国の悲しい運命を感じる。敗戦を経た今、戦後の我々は、戦勝国により作られた歴史観を乗り越え、誇りある歴史を取り戻さなければならないだろう。ここで、歴史の事象について、細かくは書かないが、戦前の日本の歴史の潮流を考えると、それは帝国主義の時代にどうどのように、自存自衛していくかの模索、戦いの歴史であったのだと思う。帝国主義の時代、欧米列強は、世界中に植民地を作っていった。アジアも日本以外は、欧米列強の植民地であった。その中で、日本はどの様に自律国家として、存続していくか。その様な時代背景も捉え、多視覚的な観点から、歴史を考えていく必要があるだろう。
 この刷り込まれた自虐史観からの私の歴史観の転換は、自然に観して新しい事を学び知り、自然を捉える世界観が変化するのと同様に、また、それ以上に、私の世界観の大きな、パラダイムシフトであった。自分のルーツを知る興奮と感動がそこにあり、呪縛からの解放感もそこに存在した。