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足りない世界

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 部屋の隅には、私がいる。
 真四角で真っ白な部屋の中で、ちょうど私の対角線の位置にアクリルケースがある。磨きこまれたアクリル板は鏡のように、離れたところからでも私の眠たげな表情を映し返す。

 もうどのくらいの間ここにいるだろう。あの人――あの人は自分のことを名前で呼ばれるのをとても嫌う。ので、私はただそう呼んでいる――に連れられて、この部屋に住むようになってから、窓から差し込んだ朝日を何度感じたかわからない。
 最初は巡る昼夜の数を数えていた気もするけれど、いつ頃だったか、それはもう私には何の意味も持たないことなんだと知った。以来、私は毎日その日のことしか考えていない。昨日のことも明日のことも、思いを馳せることがなくなった。……どうせ、何も変わらないというのもあったけれど。

 あの人がいない間いつもそうしていたように、私はアクリルケースから視線をはずして、部屋をぼんやりと眺めやる。染み一つない天井、青白い昼光色のシーリングライト、のっぺりとした白い壁、病院から持ち出してきたような金属パイプのベッド。ベッドの脇にはパステル調のカラーボックスがあって、その上に真っ赤な目覚まし時計が乗っかっている。
 全然統一感のない組み合わせ。なのに、どれも当たり前のようにこの部屋で居場所をつくっている。もうすっかり見慣れてしまった風景。変わるものなんて、ほとんどない。

 強いて変化のあるものを挙げるなら、アクリルケースの中と、部屋の四隅に設えられた観葉植物くらいのものだ。ぼってりと厚ぼったい緑色の葉が、いくつも折り重なるように茂っている。部屋の奥の方のやつは全体的に少し色がくすんで見える。一方、窓際に置かれたやつは気持ち緑色が鮮やかだ。光の強さや天候によって趣が変わる。ただ、奥のやつも窓際のやつも、どちらも根元の方の枯れた葉っぱは変わらない。いつの間にか朽ち果てて、気がついた頃には鉢の土になっている。

 一つ、二つ、植物の鉢を数えながら首を動かしていくと、三つめでまたアクリルケースに映った私と目が合った。当たり前のことだった。
 アクリルケースの中は、熱帯の森のミニチュア版のような空間が出来上がっている。殺風景な部屋とは対照的に、緑をはじめとした鮮やかな色彩に彩られて、小さな生態系が息づいているのがわかる。

 そしてそこには一匹の、クモがいる。

 さながら森の主のように在している、手のひらほどの大きさのやつだ。太い足からぷっくりとした腹まで、全身がびっしりと毛に覆われている。八つの眼――私は直接判別できるほど近くで見たことはないが、あの人が言っていたからきっとそうなのだろう――で、いつも獲物を探している。狭いアクリルケースの熱帯林の中で。
 しかし、小さいながらも鬱蒼とした森ゆえか、滅多にクモの姿を目にすることはない。あいつはきっと自分の姿が気に入らないんだ、私は勝手にそう思っている。毛むくじゃらの肢も、ぶよぶよの腹も、いびつな牙が並んだ大きな口も。そんな姿で生きることを嫌悪しても、それでも卑しく餌を求めずにはいられない。誰にも見咎められずに生きていけるなら、それがいちばん。あのクモはきっとそう思っている。

作品名:足りない世界 作家名:しのにむ