フリーソウルズ
#1.ネコとカラスの夜
#1.ネコとカラスの夜
プロローグ
暗闇の中、椿谷裕司は目を閉じている。
イヤホンから聴こえる音楽に耳を澄ませている裕司。
聴こえているのは文語体を多用した和製ロック。
歪んだギターサウンドにシンクロして、爆撃機のエンジン音と焼夷弾の投下音が混じる。
エンジン音や投下音が次第に小さくなっていく。
やがて狂ったように人の名を呼ぶ男の声を耳にする裕司。
”キリエ・・・キリエ・・・キリエ・・・”
裕司の目が開く。
Free Souls
市街地
夜の飲食街を肩を組んでほろ酔いで歩くサラリーマンたち。
そのサラリーマンたちの革靴の足元をすり抜けて走る一匹の三毛ネコ。
歩道から車道に飛び出すネコ。
車のヘッドライトの光が急迫する。
ヘッドライトを浴びて、ネコの目の虹彩が細くなる。
反対車線に飛びのいて車をやり過ごすネコ。
再び走り出すネコ。
信号待ちで停車しているトラックやタクシーの間を縫って走るネコ。
オフィスビルや商業ビルが立ち並ぶ街角で立ち止まるネコ。
商業ビルのデジタルサインを探すネコ。
「生ビール1杯サービス」の電光掲示板に目を留めるネコ。
電光掲示板に「右折、右折、右折」の文字が流れる。
車を巧みに交わしながら交差点を右に曲がるネコ。
線路と並行した緩やかな坂道を駆けあがるネコ。
線路を跨ぐ橋が見えてくる。
跨線橋に差しかかると迷わず橋の欄干にジャンプするネコ。
橋上に身をかがめて深い闇が続く線路の奥を見つめるネコ。
その闇の奥で列車の前照灯ぼんやり光る。
滑るような走行音とともに前照灯が迫ってくる。
築40年の公団住宅
4階のベランダカーテン越しに部屋の灯りが漏れている。
その部屋で暮らしているのは高校生の椿谷裕司と姉の麻衣子。
玄関先でスポーツタオルを首に掛け、ランニングシューズの靴紐を結んでいる裕司。
風呂あがりでタオルを頭に巻いた麻衣子がジャージ姿で台所に現れる。
麻衣子 「(裕司を横目で見て)テスト期間中くらい、走るのやめて勉強したら?」
無言で受け流す裕司。
冷蔵庫から缶ビールを取り出しプルトップを開ける麻衣子。
麻衣子 「どうせ、補欠なんでしょ」
裕司 「補欠じゃない。控え」
麻衣子 「どっちでもいいわ(缶ビールをグラスに注ぐ)」
裕司 「補欠とかないの、駅伝には。当日選ばれるか、選ばれないか」
リモコンでテレビをつける麻衣子。
政治討論会の番組が放送されている。
司会者 「極東アジアに却って不安定要素を増す結果になりませんか?」
防衛相 「ならないでしょう。先に航空母艦を保有したのは中国だ」
党首A 「これは明らかに軍拡競争です。戦後70年わが国は・・・」
麻衣子 「ところで裕司、シズちゃん、どうだった?」
裕司 「ああ・・・。元気そうだった」
麻衣子 「元気そうって、他にないの?」
裕司 「あっ、看護師さんが紙おむつが残り少ないって」
麻衣子 「あっ、そう。で、あれ、言ってくれたよね?」
裕司 「あれって? (思い出す)ああ、あれ・・・」
麻衣子 「(呆れる)もう・・・」
裕司 「明日言っとくよ」
麻衣子 「いいわよ」
裕司 「言っとくって。週末、姉ちゃんお泊りデートで見舞いに来られないって」
麻衣子 「バカ、余計なこと言わないで。あんたね・・・」
裕司 「行ってきます(玄関ドアを開ける)」
麻衣子 「ちょっと!(呼びとめる)」
裕司 「何?」
麻衣子 「忘れもの」
冷蔵庫にマグネットで貼ったホワイトボード。
“今週のゴミ出し当番 ゆーじ”
流し台の横のゴミ箱が生ゴミでいっぱいに溢れている。
裕司 「(がっくり)帰ってからやるよ」
麻衣子 「今出しなさい」
裕司 「ひぇぇぇ・・・」
靴紐を解く裕司。
ビールを美味そうに飲む麻衣子。
テレビ討論会は続いている。
党首B 「政府が一方的に決めて済む問題じゃない。国会で徹底的に議論すべきだ」
防衛相 「東アジアの軍事的バランスの均衡が、この地域に平和と安定をもたらすものと我々は考えております」
党首A 「過去の過ちを繰り返す愚かな決定と言わざるを得ない。わが党は断固反対する」
防衛相 「平和とさえ唱えていれば平和でいられる。そんな時代ではないでしょう、今は・・・」
生ゴミの詰まったゴミ箱をふたつ手に提げて玄関先に立つ裕司。
玄関ドアを開けかけて麻衣子を見る裕司。
裕司 「姉ちゃん・・・」
麻衣子 「何?」
裕司 「ひとつ訊いていい?」
麻衣子 「??・・・」
裕司 「やっぱ、いいわ」
麻衣子 「何? 言いなさいよ」
裕司 「いい。行ってきます!」
怪訝な表情で柿ピーをつまむ麻衣子。
跨線橋
警笛音とともに橋の下を猛スピードで通過する列車の先頭車両。
欄干の上から身を乗り出して通過する列車を見下ろすネコ。
2両目、3両目を見送り、4両目が通りすぎたところで列車の屋根めがけて橋から飛び降りるネコ。
着地寸前、風圧で6両目の屋根まで飛ばされるネコ。
突起にしがみつくも、再び風圧で屋根の上を転がるネコ。
8両目の空調機械の出っ張りに両前足でしがみつくネコ。
風圧に耐えるネコ。
列車内の乗客は屋根の上の出来事にまったく気づいていない。
列車内、座席で寛ぎ談笑している女子大生の奈津と亜季。
旅行先で撮った写真を見せあって盛り上がっている奈津と亜季。
ネコの両目が対向して走ってくる列車の前照灯を映す。
ネコの目が光ったかと思うと、力なく瞳孔が開いていく。
風圧に耐えていたネコの爪が空調機械から離れる。
次の瞬間、9両目の屋根で一度跳ねて、さらに後方に飛ばされるネコ。
線路の枕木と敷石の上に数回バウンドして倒れるネコ。
公団住宅
不満な表情でゴミ袋をゴミ置き場に投げ入れる裕司。
汚れた手をジャージの裾で拭う裕司。
軽く柔軟体操をする裕司。
腕時計のストップウォッチ機能を確かめる裕司。
00:00を表示する腕時計のスタートボタンを押し、団地敷地内から一般歩道に走りだす裕司。
列車の車内
楽しげな会話が突然途切れ沈黙する奈津。
軽く握られていた奈津の手からスマホが床にすべり落ちる。
表情が失せ、すくっと立ち上がる奈津。
亜季 「どうしたの、なつ?」
列車の車内を見わたし、最後に亜季の手元を見る奈津。
奈津 「それ、4GLTE?」
亜季 「さぁ・・・?(戸惑う)」
奈津 「貸して」
うむを言わせず亜季からスマホを取り上げる奈津。
亜季 「ええっ・・何いぃ・・・(苦笑う)」
アプリをダウンロードする奈津。
”早く、早く”と呟きながらスマホを耳に当てる奈津。
足元に落ちているスマホに気づいて拾い上げる奈津。
そのスマホにもアプリをダウンロードする奈津。
通路に出て前方の車両のほうに駆けだす奈津。
奈津 「(スマホ送話)列車後方に侵入。送って」
亜季 「ちょっと、ナツぅ!」