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花は咲いたか

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        最終章

 明治2年5月までひきずった戊辰戦争が終わり、世の中は急速に西洋化し商業や工業が発達しはじめた。
 世の中は明治政府が治めている。
 むろん、すべての人間が満足しているわけではなくて、箱舘戦争から10年もたたぬうちに新政府への不満から西南戦争が起こり、西郷隆盛、桐野利秋らは賊軍となって自刃して果てている。
 男子はもちろん、断髪洋服化がすすみ、女性の服も東京あたりでは吊るしで売られている。
 食も欧米化し、牛乳やチーズ、パンも普通に売られている。と、これは東京などの大都市での話であるが。

 明治20年となり箱舘にも春の足音が聞こえる頃。
 京都から身体の大きな男が、青森から船に乗って函館港に降り立った。持ち物は使い古した風呂敷包みがひとつ。
 この男は、港に近づき始めた船の手すりを握りしめ、食い入るように景色を見つめていた。心なしか目の縁が赤く見える。
 そして右手で胸元を握ると、何かしきりと呟いている。が、風のひどい船の上では何を言っているのかもわからない。
 港に降り立った男は、懐かしげにあたりを見回していたが以外にしっかりとした足取りで歩き始めた。箱舘戦争の名残をとどめたままの弁天台場には目もくれず、称名寺という寺に入っていく。
 そこで小一時間ほど過ごして出てくると、足を速めて箱舘の街を出た。すでに陽は傾き始め、午後の弱い陽が男の背中に当たっていた。
 箱舘の戦いの舞台ともなった五稜郭は、もはやまともな建物は残っておらず土塁の内側の土があちこちほじくり返されていた。
 ふと、その光景に立ち止まり両手を合わせた。
 その場で経を唱えた後も、長いことその光景を見ながら佇んでいたが、やがて再び歩き出した。
 海岸に出て、湯川という町に入る。
 東京は西洋文化が発達し、誰もが西洋人のような格好で歩き、街並みもガス灯やアーク灯がともり夜でも明るく華やかだ。
 この男の住む京都は、相変わらず王都の面影をのこしたまま西洋化からは取り残されていた。
 しかし、この男は明治政府からの出仕の話を断り西本願寺の警備などというさえない仕事を、ある一念を持って務めてきた。
 その職も辞することを考えるようになって、今まで念願であった北海道の箱舘を訪れようと決心したのだった。
 そんな思いで訪れた箱舘の街は、18年経った今でもあまり変わっておらず心の中で何かほっとしていた。
 箱舘の港付近は戦争の後も修復され整備されているが、街並みは変わらない。
 いつまでも箱舘市中にとどまっていると、自分を呼ぶ声がしてきそうで慌てて湯川に向ったのだ。
 湯川に知り合いはいないが、あの箱舘総攻撃の直後に生き残った箱舘軍の兵士の多くがここから落ち延びて行ったのだ。
 ここで聞けば何かわかるかもしれないと、わずかな望みを抱いてやってきたのだ。
 何かわかるまで何日でもとどまっていたいのだが、男の身体を心配しながら待つものが京都にいる。あまり長居はできないと思っている。
 箱舘は総攻撃を受け、軍は降伏した。
 男も降伏した兵の一人であった。戦争後、男は名古屋藩に身柄を預けられ丸3年を拘束されてその後自由の身となった。
 京都で剣術道場をやったりしたが、戦争後はまるではやらず食うに困って西本願寺で警備として働かせてもらったのだ。
 西本願寺では男をよく覚えており、ひとりくらい雇うのは造作もないことであったが、
(あのころは随分と迷惑なことでした)と寺から言われた時には、男の大きな身体は急に縮まってしきりと恐縮したのであった。
 警備で西本願寺に入り、はじめの何年かは思い出すことばかりですぐに目を潤ませていた。そんな男の様子を見ていた寺の僧侶が、経を教えてくれ一通りの経が唱えられるようになった。
 経を唱えるとこで、いつの間にか男を支配していた後悔の念は違うものに変わっていた。
 思慕というような気持に近いだろう。
 自分にできることは少ないが、できることをしながら生きてみようと18年が経ったのだ。
 湯川の宿で聞いたところ、現在いる宿の者は誰も知らなかったが、隠居した宿の主人が覚えていた。
「ああ、その人なら・・・」
 今でも同じ場所に住んでいるはずだからと地図まで書いてくれた。
 朝、早めに礼を言って宿を出ると、もう一度地図を懐から出してながめてみた。
 地図を手元から少し離したが、宿のご隠居さんの字が達筆すぎて細かい字がわからない。なんとかなるだろうと地図をたたむと、箱舘に来て初めて男の顔に笑みが浮かんだ。

 地図通りに来ると、なるほど湯川からそう遠くない山の中腹に家はあった。
 なだらかな道を登っていくと深い木立の中に家が見えた。入口であろう場所からそっと足を入れるとまず井戸が見え、井戸を横目に少し先へ行くとよく手入れをされた慎ましい暮らしを感じさせる住居が、大きな木の端からのぞいている。
 家の戸口に立ち訪いを告げたが、中から返事はなかった。困ってあたりを見回していると、先ほど井戸のあった藪の向こうから人が枝を踏むようなかすかな音がした。
 木立の中から突然、姿をあらわしたのはその人だった。
「島田、さん・・・?」
 その人は18年前と変わらず清らかな梅の精のように見えた。
「ご無沙汰です、お元気でしたか?」
 それだけ言うのが精いっぱいで、言葉に詰まってしまった。
「よくここがおわかりになりましたね。世の中からは少し離れて暮らしていますのに・・・」
 と美しく微笑んでいる。

 島田魁は、あの時土方と行動を共にしておらず弁天台場にいたのである。
「副長が、俺たちを救おうとして出陣して・・・」
 島田の顔がくしゃくしゃになる。
「島田さん、それのことで苦しんで?18年長かったですね。こちらにどうぞ」
 そういってうめ花は島田を小高い斜面にある畑の縁へ連れていく。
「ここに土方がいます。島田さんを待っていたと思います」
 畑の縁に大きな梅の木があって、白い花をポツポツと咲かせはじめている。
 梅の木の傍らに、小さな自然石が立てられ(義)という文字が一字刻まれていた。墓標であった。
  島田は風呂敷包みを投げ出すと墓標に抱きついた。島田の大きな身体が石を包み込み、小刻みに震えている。
 
  土方の埋葬場所は五稜郭と言われていた。箱舘の称名寺にも墓があり、むろん故郷の石田寺にも墓があった。
 戦争が終結した後、厳しい残党狩りが新政府軍の手で行われた。
 戦死したと伝えられたが、新政府軍は半信半疑のまま土方歳三を探した。元新選組の隊士やあの日行動を共にしていたものは、埋葬場所を問い詰められ日記や記録の類も改められた。
 しかし、どこにも確かな記述はなく、一番信憑性のある話が五稜郭への埋葬話だった。だが、どんなに探しても遺骨も遺品もこの世から消えたように姿を消していた。
 遺品は故郷の遺族らがしっかりと隠しとおしたし、遺体も誰がどこへ運んだのかもわからずじまいだったのだ。
 
 あの日、うめ花は土方を夕霧に乗せ箱舘を出た。手伝ってくれたのは小芝だった。
作品名:花は咲いたか 作家名:伽羅