アキちゃんまとめ
火種
物心がついたとき、既に記憶の中の兄は旅支度を始めていた。
自分よりも片手分は年齢の離れた兄は、父親によく似ていて、近くに住む大兄には「ンな所は似なくて良かったアル…」といつも苦い顔ををされていたのものだ。対する俺の顔は母親譲りらしい。
俺がそう言うと母親はよくくすぐったく笑った。子供が二人もいるのに、その笑顔はまるで十代の少女のようで、未だ若々しさを残している父親と相まって、まるで物語の中の天界人のように思えたものだ。
山の中に作られた小さな住処で、冬は火鉢で暖を取り、夏は小川で水浴びをして過ごした。もっと大きな町というもので暮らしたいという気持ちはずっとあったけれど、父親も母親も、時が来ればきっと俺を送り出してくれるだろう、とも確信していた。だって兄に許されて、俺に許されないことなんかあるものか。
父親からは武術の心得を、母親からは礼儀と知識を、大兄からは薬と真偽眼の知識を。それでうまく日常は回っていた。
秋の入口に差し掛かったその日も、俺は大兄の使いで薪を拾い、それを届けに行くッ予定だった。獣道を歩くのも慣れたものだったが、視界の奥に、見たことも無い影があった。
それは、人の形をしていた。
「――子供か」
その人影は逆行に表情を隠しながら、俺を見てそう言った。俺は何故か、その人のことばを聞き取れたことが嬉しかった。俺は、俺の家族たち以外とも話せるんだ、という歓喜が心を震わせた。
「お前の……親父さんは、いるか?」
俺はすぐさま応と答え、大兄から頼まれていた筈の薪を背中でガタガタと揺らしながら道を引き返した。後をついてくる人は、俺よりも年上で父親よりも年下に見えた。銀色の髪の毛が木々の間を縫って零れる陽の光を反射している。
「父さん!父さん!」
家に着くや否や昂奮冷めやらぬ様子で叫ぶ俺を訝しみながら顔を出した父親が、俺の連れてきた相手を見て顔色を変えた。
何事かと思うより早く、銀髪の人は父親の前に出て、これ以上ないくらいに頭を下げた。それこそ、白い装束も青い甲冑も汚れることを厭わないほど地に近い場所へと頭を垂れた。
「――単刀直入に申し上げます。ご助力ください。福富国王の元へと危機が迫っております。我らが箱根国の元へ非人道的な訓練を受けた軍が攻め込んでいるのは、きっと、あなたのことですから既にご存知の筈でしょう。あなたの力が必要です。福富王の右腕として、武勲を上げていた、アンタの、荒北さんの力が必要なんだ!」
俺はその人の言う言葉を、もしかしたら聞き流してしまうかもしれなかった。それくらい、その人の言葉は現実離れしていたのだ。
「……父さんは、武人だったの?」
父親は俺の言葉に何故だか傷付いたような複雑な顔をした後、「お前、使いはどうした」と言ってきた。俺は「行くよ。この人の話を聞いてから」と返したが、にべもなく追い出されてしまった。
俺はぶすくれたまま大兄のところへ行き、愚痴混じりに、父親が箱根国で武人をしていたなどとは知らなかった!と言った。そう言ったときの大兄の表情はやはり父親と似たもので、俺は益々機嫌を悪くして帰った。
「おかえり」
家に戻った俺は母親に温かく迎えられたけれど、ぶすくれたままに無言で夕食をとった。父親とあの人は、奥の部屋で何やら話し込んでいるようだった。俺がじっとその部屋の扉を見つめていると、母親が「今夜は早く寝ましょうネ」と微笑んだ。最近は、睡眠時間を削る様にして書庫の知識を詰め込んでいたのに。
その夜、俺は両親の目を盗み、客間に居たその人の所へと忍び込んだ。黒田という名前のその人は、俺の来訪を驚いたらしかったけれど、すぐに俺の疑問に答えてくれた。
「父さんは武人だった?」
「そうだ。お前の父親は、今の国王にこの人ありと言われたくらいの実力の持ち主だったよ」
「王は、今、困ってるの?」
「あぁ……優秀な人材が前線での裏切りによって何人か切り殺された。それに、今は若い兵士が少ない」
黒田はふぅ、と息を吐き、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「お前は母親似だな」
「大兄にもそう言われる」
「悪口じゃねぇよ、ぶすくれんな。俺の息子も嫁さんに似るといいなと思ってな」
「黒田、結婚してんの」
「呼び捨てすんじゃねえよ! ……元は許嫁だ。でも大事に思ってる。今は戦火に巻き込まれないように身を隠させてんだ」
そう言って黒田は手の平で両目を覆った。
「荒北さんが戻ってきてくれれば、技術の未熟な兵士たちへの指南役も兼任してもらえるかもしれない……この戦が終われば、俺はまた、塔子と……」
最後の呟きは自分自身に向けたものだったらしく、そのまま黒田は大きなため息を吐いて、「子供にこんなこと言うもんじゃねぇな」と力なく笑った。
その顔を見て、俺は拳を作る。
「俺が行く」
「は?」
「俺だって、父さんから武術の訓練を受けて育ったんだ。大兄からの薬の知識だってある。連れて行ってくれよ!」
お前みたいな子供、と言いよどむ黒田に、俺は言い募る。
「父さんも母さんも、俺をこっから出してくれない。言わなくたって分かるんだ。お前にはまだ早いって、目がそう言ってる。俺と同じ年にはもう兄貴は旅に出たっていうんだから、俺だっていいじゃないか!」
「荒北さんの許可が――」
「父さんの許可なんかいらない!俺が父さんの分まで活躍してやる!」
血気盛んに言い放った俺の言葉に、黒田は少し考えてから、「分かった。だが、お前はただの一兵士でしかないぞ」と言った。俺は喜びに思わず立ち上がり、拳を振り上げた。
翌朝、まだ日が昇らない内に俺は黒田を急かして住み慣れた家を出た。ぐっすりと眠っている母親の頬に一度だけ唇を寄せて。
俺はこのとき、まだ見ぬ都での生活と初めての戦場に気を昂ぶらせていて、俺の後ろ姿を見送る父親にも気付くことは無かった。
2015/10/11
※中華パロの次男くん