アキちゃんまとめ
三千世界の刀を放り 君とダンスがしてみたい
その日、長谷部国重は頭痛に苛まれる身体を引きずるようにして退社した。既にオフィスの正面玄関は施錠されており、その横の守衛室を仲立ちにして外へ出る。守衛ももう慣れた様子で、お疲れ様です、というおざなりな挨拶を投げてくる。
長谷部はこのクレッセントムーンコーポレーションという馬鹿げた大会社で営業職についている。大学院への執拗な誘いを振り切ってここに就職したのは、他でもない、かつての主を探すためであった。
長谷部――へし切長谷部――には、刀としての記憶がある。
普通に話せば気が狂っているとしか思えない馬鹿げた内容だとしても、長谷部にはその記憶こそが自分の生きる全てであった。
織田家と黒田家に所持された過去を持つへし切長谷部は、今や福岡市博物館の名物とまで言われている。長谷部はかつて、刀としての記憶を持ちながら人間の姿を取った、刀剣男子という生き物であった。いや、あれが生き物であったかどうか、長谷部には断言できない。肉体を持ったとしても、刀剣男子のカテゴリーは「付喪神」であり、神仏に近しい場所へ位置づけられていた。それでいて人間の審神者に仕え、首を垂れ、そのために本体である刀を振るった。
『長谷部くんは、キレイな刀だね』
そう言って笑ってくれた審神者の顔立ちも、服装も、とうに鮮明な記憶ではなくなっている。おそらく人間に転生する際に、消されてしかるべきものだったからだろう。人間に前世の記憶はない。それと同じく、長谷部にも刀剣男子としての記憶は持たされない筈だった。
その長谷部が記憶を持っているのは、もはや執着と呼ぶには甘い程の感情故だったのだろう。
ただ、会いたい。
会って、あの言葉だけでどれだけ自分が救われたのかを伝えたい。
長谷部は唐突に記憶を取り戻した日の事を思い出す。それは中学三年生になったばかりの春の日だった。きっかけがどこにあったのかは分からない。だが、登校中に刀としての記憶と刀剣男子としての記憶が全て流れ込んできた。土石流に似た勢いの記憶は長谷部を混乱させ、道端で急に泣き出した中学生を演出した。だが、長谷部は全てに感謝した。これが、生まれてきた意味なのだ、これで生きていける、と。
それから長谷部は元々良かった成績を更に伸ばし、「多くの人間を見ることができる」という理由だけで超大手企業の営業職へと進んだ。
そのせいで、今日は休日出勤だったにも関わらず同部署の誰よりも残業することになった。こうして長谷部の口座には使われることのない残業代が懇々と振り込まれていくことだろう。弁明しておくが、長谷部は仕事ができないのではない。その逆だ。仕事が早く、正確であるが故に同僚から先輩から果ては他部署の尻拭いまでこなしてしまう。便利屋も真っ青な働きっぷりである。もしも長谷部が退職願を出したとしたら、上から下までの大騒動になってしまうことだろう。
しかし入社数年目にして、目的と手段がちぐはぐになっていることに長谷部も苛立ちを覚えて久しい。様々な場所へ行くためにこの職を選び、福岡やら沖縄やら宮城やらと数か月単位で跳びまわった。何処かで主の残り香を感じられないかと博物館へも足しげく通った。それでもまだ、微かな片鱗さえ掴めていない。
長谷部は睡眠不足で回らない頭をがしがしと掻き、駅の方向へと足を踏み出す。と、何処からか細い声が聞こえた気がして、わずかに顔を上げる。気のせいだろうか、と思ったが、それはどうやら路地裏から聞こえているらしい。深夜とまではいかないが、夜の入りはとっくに終わっている。長谷部は数秒ほど迷い、建物の間にある路地裏へと歩を進めた。数歩中に入ると街灯の光も届きにくくなり、勘違いかと思って踵を返そうかと思った瞬間にやはり声が聞こえた。今度は、もっとはっきりした音で。
「――嫌ぁッ!」
その声を聞いた瞬間、長谷部は持っていた通勤鞄をその場に放り出して走り出した。数メートルを行ったところで右に曲がれば、制服姿の女子の口をふさぎながら無理矢理連れて行こうとしている男の姿を見付ける。
長谷部は更に足に力を入れ、三歩目で勢いをつける。
「離れろ貴様ァ!」
体当たりをして男の体幹バランスを崩し、そのまま正面から相手の右腕を掴む。左手で相手の左腕を抑え込み、右手で胸倉を掴みながら足払いをかける。柔術は、高校の選択必修に何故かあったので、迷いなく習得しておいたのが幸を制した。
派手な音を立てて地面に打ち付けられた男の背を踏み、腕を捻り上げておけば下手な動きもできない。片手で携帯電話を取り出しながら女子を見たが、暗がりで顔はよく見えないが不安に震えているのが見て取れた。
恋人同士の変なプレイではないらしい。長谷部は警察に連絡し、簡単な状況と場所の説明をした。
それから、ぐす、と鼻を啜る音が聞こえ、長谷部は舌打ちしそうになりながら女子を改めて見やる。先程よりも高く登った月が、うっすらとその顔を照らしていく。
「あの……ありがとう、ございます……」
記憶よりも幼い顔立ち。まだ中学生だろうか。それでも大きな瞳と、空気をはらんで遊ぶ髪の毛には見覚えがある。
「――あ、るじ」
呆然と呟く。かくり、と少女は首を傾げたが、長谷部はそれどころではなかった。
主に会えたならば、話したいことも伝えたいことも聞きたいことも山ほどあった。それが怒涛の勢いで声帯を震わせようとするものだから、ごちゃごちゃとつっかえて出てこない。
それでも長谷部の目の前の少女は、かつて異世界でへし切長谷部を所持していた、小野田アキ――その人だった。
※現代に転生した長谷部くんのストーカー遍歴
2015/01/24