アキちゃんまとめ
出張帰りとまどろみの家
出張帰りとまどろみの家
仕事が二日に渡るとは思ってもみなかった。昔考えていた働く大人とはこんなものだっただろうか、だなんて少し感傷に浸ってみる。けれども自分の好きなものを仕事に選らんだのは自分で、それを嫌いにならないために努力するのも自分だ。くあ、と欠伸を一つ。
予定されていた会議は東京の端っこ。いつもの職場から『ここに出てきて。終わったらその足で帰宅して半休にしておくから』とお達しを受けていた。
ちょうど仮眠室のある支社だったため、昨日の仕事が終わったと同時に電車で向かった。会議は朝礼の前に行われると聞いていた。それが終わったらとっとと帰ろうと心に決めて。それからあとは自由に、惰眠を貪ったっていい。
退屈な会議は朝の九時にはすんなり終わり、議事録もデータで自社に飛ばしてもらうことも取り付けて電車へと飛び乗った。新宿までは一本の特別快速には今から出社だろうサラリーマンもこれから授業だろう大学生も居た。その中で、これから家に帰れるのは自分だけかもしれない、と思うと少しだけ優越感が湧く。
ただの泊まり込みだヨ、と説明はしておいたけれど、あの小さな奥さんは頬を膨らませていることだろう。決して仕事への口出しはせず、彼女の思うあり方で支えようとしてくれるのが分かる。
『仕事終わったヨ』
その一言だけの送信。数分もしないままにすぐさま返信が返ってきて、ポケットの中の携帯を揺らす。
『お疲れ様! 早く帰ってきてね』
文面からも伝わってくる彼女の明るさに安堵を覚える。いくら自分が遠くに行っても、彼女は必ず追いかけてきた。そしてそのあとは決まって自分の帰りを待つために家を整えに戻るのだ。律儀な性格は両親のどちらに似たのだう。母親譲りだとは思わない。
新宿駅での乗り換えで、最近彼女が雑誌で見かけていた動物のドーナツを買っていこうか。それとも東京駅まで出ていって、期間限定で出ているチョコレートを買おうか。ぼんやりと考えていると、電車の外から跳ね返る太陽光が目に入る。ちくりと瞼が痛む。眩しい。
マナーモードにしている携帯が震える。
『お布団干しておくからね!』
自宅のドアをくぐるまで、あと何時間あるのだろう。帰宅をせっつく彼女に内緒でお土産を買って、最寄駅からはタクシーを使おう。
『それより、おかえりのチュー用意しといてネ』
柄でもないことを言っている自覚はあった。けれどもこの車両の中で、これから一番幸せになるのは自分なのだと思うと口元がゆるむ。今から会社でひたすら圧力をかけられるだろう会社員も、退屈な授業を詰め込まれる学生も。きっと自分はここに居る誰より幸せな場所に帰るのだから。
彼女からの返信は無い。からかっていると思われたのか、はたまた悪い冗談だと怒っているのか。いつも自分からの言葉を強請るくせに、伝えるといつも慌てふためく彼女の真っ赤な頬が好きだと思う。
三時間もかけて自宅のドアを開けた自分を待っていたのは勢いよく飛びついてくる若い妻で、自分はお土産が床に落ちるのも構わず抱きとめた。小さい身体がぎゅっとすり寄ってきて、その髪の毛からは太陽の香りがしている。
「おかえりやすとも! お布団干しておいたよ! それともごはん食べる? 着替えてからにする?……?」
抱き合ったままの姿勢で、どんどんと彼女に体重をかけていく。ぐぐぐ、と背中がそっていくことに不審を抱いたのか、彼女の困惑が伝わってくる。
けれどもそれらを全て無視して、自分は玄関先だというのに彼女を抱えたままごろりと横になった。
「アキチャン」
思ったよりも眠たげで、甘ったるい声が出た。これが自分の声だと思うとぞっとする。けれどとうに理性は眠気に負けてしまっていたのだ。
「……おかえりのチューがまだだヨ」
その言葉を最後に、自分の意識はまどろみの中に沈んでいく。けれどその沼はとても温かくて、全く恐ろしくなどなかった。
※眠気が強くなると甘えたになる荒北さん/2014/07/24