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アキちゃんまとめ

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それならわたしとけっこんしよう-幕引


久方ぶりに鳴ったインターフォンに、荒北は仕事を進めていた手を止めた。しばらく前にアキの誕生日を祝ってやってから、立て込んだ仕事ばかりを抱えてしまい職場と自宅の往復をする生活を送っていたのだ。固まった体をほぐしながら玄関へと向かう。鍵はかかっていたが、アキならば勝手知ったる場所として好きに入ってくるだろう。だから荒北は宅配か勧誘かという二択を脳内に思い浮かべた。
しかし、覗き込んだ小さい窓に見えた姿はどちらでもなかった。

「――こんにちは、お久しぶりです」

荒北が開いた扉の向こうで、少女はぺこりと綺麗なお辞儀をした。アキの姉である彼女が荒北の家を訪ねてくることなど珍しく、アキが居ない時に現れたのも初めてであった。

「アー、アキちゃんなら居ネェよ?」
「知っています」

すぱん。
音にしてみればそのような鋭さで少女の言葉が荒北の足元を切りつけた。実際に、荒北と彼女の間に何か鋭利な物が突き刺さったこともなく、それはただの錯覚であるはずだ。だが、荒北は彼女からしんしんと降り積もった雪のような匂いを嗅ぎ取った。例えるならばそれは全てを隠し通してしまうような深淵の秘密のようでもあり、一滴の穢れも許さぬ雪原のようでもあった。

「これを」

すい、と彼女の手が荒北の前まで伸びる。咄嗟に手の平を差し出した上に、小さな銀色の何かが落とされた。

「アキちゃんから預かってきました。お返しします」

ぴたり、と荒北の周囲に流れる時間が止まった。勿論それは錯覚であるはずだ。しかし荒北には彼女の言った言葉が理解できず、馬鹿みたいに瞬きを繰り返すしかなかった。

「…ハァ?」

ようやく零れ落ちた声は、言葉としての意味を成さなかった。
差し出した形で固まった手の上には、間違えようもない、荒北自身の家の鍵が乗っていた。アキに差し出したときと同じ、白い猫のストラップがついた、銀色の魔法。
中学生になったアキが何度も荒北の家のインターフォンを鳴らし、荒北の帰宅を待つようになり、渡したものだ。あれは寒くなり始めた秋口のことで、いくら帰宅時間が分かっていようとも、幼い少女を一人佇ませていることを許せそうには無かった。だから、荒北はアキに合鍵を渡した。スペアだ、と彼女には言ったが、大家に許可を得たうえで専門業者に頼んだのだ。小さなアパートではあったが、防犯意識がしっかりしている大家は許可なく合鍵を作ることをよしとはせず、また複製しにくい鍵を使用していたからだ。だから荒北は面倒くさい合鍵のための書類にサインをし、アキのための鍵を作った。白い猫のストラップは、肌の白いアキに似ていると思ったから。ただ、それだけ。
合鍵を渡した瞬間の、アキの花開くような笑顔を、荒北は今でも容易に思い出すことが出来る。
その彼女が、この鍵を返すなんて。
荒北の様子を見て、目の前の少女は少しだけ目を伏せ、しかしはっきりと言い放った。

「彼女、婚約したんです」

へ、とか、は、とか。単語でさえも荒北の口から子溺れることはなかった。ただ、手の平の上に乗ったそれが、本物であることを信じられなかった。

「彼女は貴方から卒業したの」

そう言うと少女は荒北を真っ直ぐに見る。それは見据えると表現するに正しい視線の強さだった。荒北の心を見透かすかのような大きな瞳。父親譲りだと胸を張れるだろうそれは、アキにも通じるものがあった。しかし少女の相貌はアキのものよりも無遠慮に、激情に満ち、磨かれた矢のような剣呑さを秘めている。

それだけです。
そう言い切った少女は来たときと同じような律儀なお辞儀をして踵を返した。
荒北は呆然とその背を見送ることに終始する。彼女が、卒業?だれから?どうして?荒北の脳内を占めるのは疑問ばかりだ。冷える体を無理矢理室内に引きつれて、再度、手のひらの鍵を眺めてみる。だが、それは決して無くなりもしない。ドッキリだと書かれたプレートも無い。正しく、荒北が、アキのためにあげたものだ。

「……は、ハハ……」

嘘だ、と言葉にならない台詞を飲み込んで、荒北は膝をつく。そうだ。彼女はここ最近確かに荒北の元を訪れていなかった。けれどもそれは忙しい荒北のことを気遣ったのではないかという、一種の願望によって意識の外に追いやられてしまっていた。
彼女の気持ちに胡坐をかいていたのは? と脳内に声が響く。誰の声かは分からない。だが、その声と言葉は的確に荒北の、これ以上傷付くことも無いだろうと高をくくっていた心を刺した。

携帯を取り出して、彼女に連絡しようとして気付く。荒北から連絡したことなど数えるほどしかなかったのだ。何を理由に話せば良いというのだろう。「鍵もらったヨ」?「最近来てなかったけどどうしたノ」?何を言っても、結局、荒北の手の中に鍵があることは変わらない。あの少女は、アキに内緒で鍵を持ってくることなどはしない。この鍵はいつもアキが肌身離さず持っている『大事なものポーチ』の中に仕舞われていたことを荒北は知っている。そこから、黙ってこれを持ってくることなどありえない。
だからこれは、アキが望んだことなのだ。
ひたり、と背中に押し付けられた事実の冷たさに荒北の指先が痺れを訴える。
彼女の笑顔も、当たり前のように振る舞われていた料理も、共に過ごす時間も、すべては彼女から与えられていたものだ。荒北が望まずとも、自動的に供給されていた、無垢であり無償の愛。
手の中に残る鍵は、その愛の終焉を表しているような気がした。
作品名:アキちゃんまとめ 作家名:こうじ