アキちゃんまとめ
それならわたしとけっこんしよう-2
私が失恋しても、福チャンが私にプロポーズしても、朝はやってくるんだって。そんな当たり前のことを私は今、目の当たりにしている。
昨日は福チャンに送ってもらって家に帰ってきたけれど、真っ赤になった目を見られたくなくて、玄関をくぐってすぐに自室にこもった。福チャンとママが何か話をしていたみたいだけど、私はふかふかのベッドに、制服が皺になるのも恐れず突っ込んで頭から布団をかぶった。こうしていると世界に自分しか居ないみたいだって思ったけれど、やっぱり私は一人じゃ生きていけないんだと思う。
「アキ」
ママの静かな声が聞こえた。私は返事をせずにただのダンゴ虫になる。なんだかとても寂しくて悔しくて辛くて、訳もわからず涙が零れた。ぼろぼろ流れるそれはじわじわ布団に滲みて、ひやりとした感触で私を撫でる。ママはそれ以上何も言わず、カタン、と何かをサイドテーブルに乗せてからすぐに部屋を出て行った。ず、と鼻をすすって、ひとしきり泣いた後にようやっと武装を解いて上半身を起こす。サイドテーブルには、もう冷めてしまったハーブティーと角砂糖のポッド、ママのお気に入りのクッキーが三つ。なじみ深い真っ青なトレイに乗せられて私を見つめていた。四角のかわりのハート型の角砂糖は、お姉ちゃんのお気に入りだ。
私は十数秒もカップと見つめ合ってから、砂糖を一つ、投げ入れる。もうぬるくなってしまったティーカップの中では溶けにくく、いつまでもゆらゆらと揺れる水面の奥でハートの形が残っている。私はティースプーンで何度も何度も砂糖をつついて潰して崩してからぐるぐると掻き混ぜる。それから時間がたちすぎて渋くなったハーブティーを、ぐい、と一気に飲み下した。今まで飲んできたどの紅茶よりも渋くて苦くてしょっぱくて喉につっかえて、でも甘かった。
私はカップの中身を全部を飲み終えて、それから今日初めて大声を上げて泣いた。わぁん、わぁあん、とみっともないくらい、子供みたいに泣いた。いつもは悲しいことがあったらすぐにママやお姉ちゃんややすとものところにいって、抱きついて、慰めてってダダをこねていたのに、今は誰にも傍にいてほしくなかった。
私は本当にやすとものことが好きで、やすともが私をお嫁さんにしてくれる日をずっと待ってた。綺麗なお姉さんにやすともが取られちゃうんじゃないかってずっと怖かったし、やすともが私のことを好きじゃなかったらどうしようっていつも不安だった。でもそういう暗い気持ちに蓋をして、いつも笑顔でいようと決めていたのも私自身だった。明るくて可愛い女の子なら振り向いてくれるかなって思ってずっとやすともの傍に居た。手を引っ張ったり背中にひっついたり抱きついたりして、いつだってやすともの隣を占領していたかった。
でも、私がやすともの隣でウェディングドレスを着れる日は、この先永遠に来ないのだ。そう思うだけで、次から次へと涙が零れてきて、どうしたって止まりそうになかった。
すっかり泣き疲れて眠りについたのは何時ごろだったのだろう。気が付いたら窓の外が薄ら明るくて、両目の周りには乾燥してぱりぱりになった涙が張り付いていた。
私はごしごしと何度も目をこすって、ベッドから降りる。
手つかずのクッキーを三枚いっぺんに重ねて端っこから真ん中まで一思いにかじった。オレンジピールとラズベリージャムがとても甘いはずなのに、やっぱりどこかしょっぱい。ぱさぱさの喉でどうにかこうにか飲み込んで、乱暴に手を払った。
それからそっと音を立てないように一階のリビングに降りる。明かりがついたリビングには、ドアのガラス越しにお姉ちゃんの横顔とママの背中が見える。どうして二人とも起きているんだろう、と思ったところで私はその理由に気付いてしゃがみこんだ。きっとお姉ちゃんもママも、私のことを心配して起きていてくれたんだろう。お姉ちゃんは何をするわけでもなく、時折ママに話しかけている。ママはそれにゆっくりと答えながら時折スケッチブックにペンを走らせていた。
私は二人に気付かれないようにそっと二階の自室に戻る。それから鏡を覗き込んで、ぐしゃぐしゃになった顔を見て、情けないなって思った。だってずっと好きだった人に、今更だめだったよって言外に伝えられるのはとっても辛い。今からだって泣きわめきたいくらい悲しい。
でも昨日、そんな私だっていいっていう人が居た。そういう人に甘える女は、悪い女なんだろうか。
私は携帯電話を取り出して、生まれてから今まででかけたことなんか数回しかない番号を探し出す。機械の類いは苦手だとことあるごとに零すから、番号は変わっていいない筈だから。
ディスプレイに表示された時間は五時少し前。起きていないのが普通かもしれない。でもなんとなくコールを切れず、窓の外に視線を移して明るくなり始めた空を見つめた。もしかしたら、もしかしなくても。今、私が一緒に朝日を眺めて欲しいと思うのは、ずっと恋焦がれていた相手ではなかった。
『――もしもし!』
寝起きなのか、少し掠れた声で、でもとびきり緊張した声が聞こえる。福チャン、と呼ぼうとした声にクッキーがひっかかって上手く形にならなかった。沈黙だけになってしまった私に、福チャンは質問を重ねる。
どうした。何かあったのか。今どこなんだ。小野田は近くにいるのか。返事をしてくれ。アキ。
福チャンに名前を呼ばれた瞬間、私が考えたのは、やっぱりやすともと違うなっていう酷いことだった。でも、福チャンが心配してくれることは、心の中にぽっと明かりがつくように嬉しかった。
「ふくちゃん、あのね……」
再び歪んできた視界と、喉を鳴らし始めた私に、福チャンが緊張する。ごめんね、でもね、違うの、ううん、何が違うかなんて自分でもよくわかんないんだけどね、でもね、だってね、今一緒に居て欲しいって思うのは、パパでもママでもお姉ちゃんでも、やすともでもなくて、福チャンなんだよ。
「いますぐ、あいたいっていったら、おこる?」
ず、と鼻をすするより前に、福チャンの声が携帯電話越しに響く。
『三十分で迎えに行く』
その言葉に、やっぱり私はまたたくさん涙を流した。このまま干からびて、しわしわになっちゃうんじゃないかなってくらいの水分がサマーカーディガンの袖口に染み込んでいく。
福チャンがそう言ってくれて嬉しいと思う私はやっぱり悪い女なんだと思う。
※福アキちゃんルート?
2014/08/17