アキちゃんまとめ
『温かな愛の不滅』
花屋という商売をやっていると、ごくまれに不思議なお客様に出会うことがある。この日もちょっと不思議で温かなお客様がこの町の小さな花屋にやってきていた。
チェーン店でもない私のアルバイト先、つまりここでは馴染みのお客様がほとんどの売り上げを占めており、新規や飛び込みの方はとてもまれだ。
私が一人で店番をしていた時にやってきたのは飾り気のない、しかし使い込まれた渋い光沢を放つ黒いジャケットコートを着た男性だった。
不躾ではないほどに上から下までを眺めてみる。初老、とまではいかないだろうが、自分の父親ほどの年齢はあるだろうか。ガラスケースの中に入った花々をゆっくりと見回し、それから眉間に皺を寄せる。それがとても、何故かとても寂しそうに見えたものだから、私はつい声をかけてしまった。
「なにかお探しですか」
両方の手をコートのポケットに入れたまま、男性は右側から話しかけてきた私の方を向く。細い目の奥に鈍色の感情が乗せられていて、私はこの人が何をしに花屋にきたのか気になってしまう。いや、花を買いに来たのだろうけれど。
結婚記念日か、はたまた誰かの祝い事か。娘や孫のお稽古ごとにと買っていく男性も居る。
「……アノ」
「はい」
「花束を、見繕ってもらいたいんだけど」
どのようなものをお作りしましょう、と私は無難な言葉を返す。
「お贈りする相手にもよりますが……あとは、相手の方のイメージなど」
「イメージ?」
「はい、今は春先ですので花の種類も多いですが、冬などは花の種類も温室栽培用にやや少なくなります」
フーン、と男性は分かっているのかどうなのか、どっちつかずの反応をする。そうして、私が話しかけなかった方が良かったのかな、と思い始めたころにようやく男性は口を開いた。
「プロポーズを」
「え?」
「これから、プロポーズをしに」
静かに告げられた言葉に、私は内心の動揺を隠せなかった。プロポーズに!デートに!とはりきる若い青年たちは何度も見てきたが、こんなにも大事そうに言葉を紡ぐ人は初めてだった。それに、この人はまだ結婚していなかったのか、ということにも気付かされた。
「え、と、今の時期でしたら、大輪でしたら薔薇が好まれます。ローズピンクといわれのある鮮やかなピンク色はプロポーズの鉄板ですし、あとはスターチスなんかも一種類で様々な色のバリエーションが作れるのでお勧めです」
「へぇ」
男性は私の言葉を聞きながら、指で示した花をそれぞれ眺めた後、クン、と軽く香りを嗅いだ。
「大きな花束であれば……」
「いや、小さくてイイヨ」
私はつい、その人の丸まった背に質問をぶつけてみる。
「お相手は、どんな方でしょうか」
ンー……と気だるげな声をあげた男性は私に背を向けたまま、隣のチューリップに鼻を近づけていた。
「細っこくて小さくて、泣き虫なんだよネ。寂しがり屋だけど、すごォく我慢すんノ。でも、すぐ笑うし、その顔がカワイイんだ」
「……とても、愛していらっしゃるんですね」
「そーいうんじゃナイんだけどネェ」
なんていうか。
そう言いながら、男性はすらりと背を伸ばす。その際にコートの中に美しい空色のストールが巻かれていることに気付いた。
「俺の、最初で最後の女の子なんだヨ」
トン、と私の中にその言葉が落ちてくる。すんなりと、しっかりと。それは男性の、ここにはいない誰かを見つめる目がとても穏やかだったからかもしれない。そして、そうまでして想い、想われることができる人がこの世にいるのだということを、私は思い知ったのだ。
ふと、男性の視線が壁に吊るされたリースに向かう。私は咄嗟にその花の言葉を口にした。
「『ただ一つの恋』です」
「ア?」
「その花、サンザシの、花言葉です」
言うが早いか、私はリースに使われているのとは同じでも、鮮度の高いものをショーケース内から二本抜き取る。茎の部分が長く、オーナメントとしても使われることの多い硬めの花ではある。しかし私はそれを先端部分の小さく白い花と、その周囲を守る少しの葉を残して戸惑い無く切り落とした。それから赤とピンクの、花弁の小さめのカーネーションを選んでくるりと束ねる。私の作業をぽかんと眺めている男性のことを放っておいて。お客様に何をしているのか、と内心で私は私を叱る。けれども自分の手は止らなかった。
白いセロファンの上に更に透明のセロファンを重ね、くるりとまきつけてピンクと白のリボンで持ち手を飾る。ひとまとめにしたカーネーションの横からサンザシがくるりと首を傾げつつその花々を守るように半円を描いている。私は男性に向き直った。
「『ただ一つの恋と、愛を信じる』です」
男性は驚いたような仕草で目を少し大きくしたが、すぐに私が差し出した花束を取ってくれる。男性の手には小さく見えるそれも、けれども先ほど聞いた「細っこくて小さい」彼女の手に渡ったら、きっとしっかりとした存在になってくれるのだろう。
「……如何でしょうか」
「イイネ、貰うヨ」
ふ、と入店してから初めて笑顔を浮かべながら、男性は財布を出した。私はありがとうございます、とマニュアル通りの返答をしながら、レジカウンターへと移動する。
カチャン、と一年代昔のレジからつり銭を渡し、花束を手提げのビニール袋へと移動させる。どうしてだろう。今まで何度もこうした場面には立ち会ってきたはずなのに、私の指は少しだけ震えている。
男性は花束を受け取ると、大股で店の外へ出ようとする。
「あの、」
私は咄嗟に男性を呼び止める。不思議そうな顔で振り返った瞬間に、私は続けた。
「うまく、いくといいですね」
男性はちょっと驚いた様子ながら、アリガト、と笑い、今度こそ店を後にした。
私はその男性がプロポーズに成功したのか、確かめる術は持たない。なにしろプロポーズの結果を報告にくるお客様など居ないのだから。
けれども翌日、私が作ったブーケを持って来店した女性に動揺しなかった私を誰か褒めて欲しい。
「このブーケ、ブリザードフラワーにできませんか?」
そう言って、頬を染めながら私に問いかける女性を見て、私は昨日のプロポーズの結果を知ることが出来たのだ。だから私はそのひとの左手に光る真新しい指輪を横目で見ながら、勢いよく頷いたのだった。
「――ときに、そのブーケの花言葉は、ご存知でしょうか?」
※五十路荒北さん×三十路アキちゃんプロポーズ編