地平線の向こうのボランティア
僕達は週末バディを組んで、窒素の少ないタンクで潜りに行った。沖縄やフィリピン、サイパンでは見られない大きなサンゴ礁がいろいろみられた。何万年前からできたサンゴだろうか。
40mを超えると見たことのない大きなクマノミの様な魚がいた。
50mを指しかかった所で、洞窟の中の様な所を僕達は入っていった。
そこには空気があった。
僕達はその魔女の儀式で使うような空間の中に入り、マスクを外した。
「こんな深くにこんな場所があるなんて」
美優の声が鍾乳洞の中を瑠璃色に響き渡る様だった。
「ここの空気は危険だ。何千年前からある空気か分からない」
「そう。でも私将来の当てもないし、あなたとここでずっと話続けて死んでいくのも悪くないと思うわ」
僕も少し窒素中毒になりかけていたせいなのか、死ぬのが怖くなかった。美優の栗色の髪からぽたぽた水滴が滴った。どんな高級な化粧水より優しい水滴に思えた。
確かに存在する命と、命から来る衝動で、身を大きな海へ放り投げてしまう様な矛盾が僕達の中にあった。
僕達はレギュレーターを見て、時間もないので、ゆっくり浮上した。
陸に上がると少し頭がフラフラした。
そして僕達はその晩、オープンテラスのレストランでワインを飲みながら、スペアリブなどの食事をした。
美優が言った。
「私あなたと結婚してもいいかなって思う。苦労してもあなたとだったらって。仕事はあなただったら、なんとかなるわ」
「ごめん。僕は好きな人は日本に帰ってから作ろうと思っているんだ」
「そう。じゃあ、今日くらい私とキスをして」
そう言われ、僕は彼女とキスをした。
世の中の憐憫の対象にある何かとキスをした。
キスをしながらシーツの吐血や病人の除脈、ほとんど食事をしないため、骨と皮だけの病人を思い浮かべた。
長いキスだった。
美優は言った。
「悲しいキスなのね。それでいて優しい」
「そう。僕は本当は弱い人間じゃない。ただ大人たちといろいろ違うだけだ。理屈が嫌いだとか。一瞬、一瞬が大事だとか。優しいだけじゃ世の中生きていけない。強くなりたい」
「私は寂しい人間なの。お願い。もう一度キスして」
地平線の見えるテラスで、キスをしながら思った。
―――人が人であることの証明は自分の血に素直に生きているか―――
その真実こそが僕を支配した。 (了)
作品名:地平線の向こうのボランティア 作家名:松橋健一