メドレーガールズ
「のんたん、本当にタイに行っちゃうの?」
「えっ?どういう意味?」
「だって、いつでもマイペースだからさ、今も実感ないんだ」
真由と帆那がいる逆の端で話しているのは律子と望だ。律子は、結果に関係なく今日の大会が最後である望にそう言った。望がタイに引っ越すと告白したのはおよそふた月前のこと、だけど今まで全然調子を変えずに今日、この日を喜びで終えた望の気の持ちようには律子は本当に脱帽していた。
「そうかな?」望は全く裏表のない笑顔を見せた。
「普通ならオロオロするよ、ましてや外国だし……」
「そうだね」望はコテを片手に話し続ける「ホントはね、いっぱいいっぱいだった。悩んで、迷って、考えて。最後は『みんなのため』に出した結論がこれだったんだ」
望は、いくつかあった選択肢の中から自分の意志でタイに行く事を選んだと律子に言った。転校慣れしている望も今回は辛かったと正直に答えた。
「ホントはみんなと一緒にいたかった。残りの学校生活、もっともっともーっと楽しみたかった」
望は両手をいっぱいに拡げて気持ちを表現して見せた。律子は、日頃はクールな望が多くを語っている様子を見て、今日の日が終わるまでずっと封じていたのがわかると、その強さに改めて感心した。
「でも、家族とは離れられなかった――、ごめんね」
律子は望が内面ではどれだけ揺らいでいたのかは表情でわかった。思い返せば実は前から揺らいでいて、今一つの仕切りを終えた余裕によって気付いたのではないか?そう考えると律子は必死にフォローの言葉を探した。
「――やっぱりすごいや、のんたん自分の事じゃなくて全体を考えて行動するんだもん」
律子は目の前のお好み焼きを切り分けると、半分を望の前に移した。
「全体のこと?」
「そうだよ」律子は笑いながらコテを伸ばした「自分本位な人ならのんたんだけ日本に残ってるよ」
「律っちゃん……」
望はうつむきかけた頭を上げた。
「わかってるわよ。あたしがのんたんだったら、やっぱり同じ選択を取ったと思う。真由も帆那も同じこと言うよ」
「ありがとう――」
望はそう言いながらお好み焼きを口に入れた。熱さのせいで何も言わないことにした、というよりもこの一言だけで律子には伝わっていると信じていた。
「タイでは水泳するの?」
言った直後に口をハフハフする律子の顔を見て、望は笑顔になるが首はどちらにも動かなかった。
「現地の生活にも慣れなきゃなんないし、部活動は――、考えてないなぁ。落ち着いたら何かスポーツはしようと思う」
律子はそれを聞いて顔が柔らかくなった。今まで頭から離れることのなかった水泳、これを期に距離を置いてみようと考えているのは自分だけでないとわかったからだ。今度は自分が話を切り出す番だと判断した。
「私ね、まだ帆那にしか言ってないけど、勝ったら辞めようと思ってたんだ」
律子の言葉に望は振り向いた。帆那から聞いて知っていたことだけど、直接聞くとやっぱり驚きを隠しきれなかった。
「その意思は変わらないの?」
「うん……」
望は律子の様子を見て、彼女が自分に合わせて言っていないのは容易に感じられた。
「理由、聞いていいかな?」
「好きなまま終わりにしたいんだ。水泳も……」
「水泳『も』?」
「うん」律子は立ち上がった「水泳と『浦中ガールズ』を」
「浦中ガールズ?」
「のんたんがいなくなったら私たちは解散だよ。1を4つ足したら10になるけど、3つだと3にしかならないもの。もちろんみんないいヤツなんだけどね」
「律っちゃん……」望が何か言う前に律子は喋り続けた「しかもその『1』は特別な1だから、特別な1が4つあって初めて10になる。これ以上の仲間はもう、現れないと思う」
律子はお好み焼きをもう一片口に入れて踊り出した。望はその姿を見てはふと店内を見回した。店の奥の方で両親と弟が帆那の両親と談笑しながら食事をしている。そういえば家でも同じだ。市田家でも望は特別な『1』である。四人が揃って初めて10になる。あの輪の中には自分が必要なんだ。自分の選択は間違ってなかった。そう思うと望の顔から安堵の笑みがこぼれた。理解のあるこの仲間に出会えてよかった、本当によかったと思えた。望はこの気持ちを伝えようとしたが、口に入れたお好み焼きの熱さに咎められ、律子の笑い声に変えられた。
「のんたんにはいい友達見つけて欲しいな。私たちを越えるくらいの」律子はコテで切り分けた最後のピースを望の前に送った「私は、転校したことないから、新しい友達見つけるの下手っぴだけど、のんたんならできるよ、カワイイし、頭もいいし」
望は目の前のピースをさらに半分にして律子に半分を差し出した。
「あたし、タイでいい友達見つける!そして律っちゃんに紹介するね」
「約束だよ」
二人は新しいこれからに乾杯した。そしてこの日の玖兎は遅くまで笑い声が絶えなかった――。