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スローモーション

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 でも、よく考えれば、彼女は『不老長寿のマナ』なのだ。誰よりも倍に生きて、おそらくアルトフールの中では時間がいかに長いかということを理解している。その楽しみ、喜び、苦しみ、悲しみもすべて感じてきたのだ。

 それにしても静かな昼下がりだ。アルトフールの皆はどこにいるのだろう。
 と、クルガが考え始めた時、肩のあたりにふわりと重みを感じた。
 彼はドキドキしながら視線を遣ると、マナが彼の肩に寄りかかっていた。目を閉じて規則正しい小さな寝息を立てている。どうやら眠っているらしい。不老長寿であるマナは寝る時間がやたら多い。
「マナ…」
 クルガは優しく微笑んで、彼女の髪に手を触れる。さらさらと流れる黒髪。そして、まるで赤ちゃんのような可愛らしい寝顔。

 と、その時、クルガの脳内に悪魔が現れた。
『よう、若造。お前、今が絶好のチャンスだよな。この女、ありえない程に無防備だぜ。』
 悪魔のささやきに、クルガはドキドキしながら。マナの寝顔を覗き込む。
『このままやっちまえよ。キスの一つや二つくらい、減るもんじゃないんだ。てゆーかよ、むしろ、この女はお前のこと誘ってるんじゃないか?据え膳食わぬは何とやらだ。やっちまえよ。』
 脳内に響く悪魔の声。クルガの視線は自然にマナの唇へと移る。ちょっと薄めの可愛らしい唇。
『誰もいねえんだ。キスしちまえよ。』
(確かに、だれもいない)と、悪魔のささやきに促されるまま、クルガは生唾をごくりと飲み込む。
 しかしながら、影あるところに光あり。天使が現れた。
『ちょっと君、君はこの子のなんなんですか?寝こみを襲っちゃうんですか?恋人でもあるまいし、卑怯ですよ!』
 天使の言葉にクルガははっとして正気を取り戻したが、続けざまに悪魔は語る。
『んだよ、やめるのか?お前そいつのこと好きなんだろ?漢たるもの強引さは必要だぜ。』
『何をいうのですか。やはりそれは卑怯ですよ。男なら、しっかり気持ちを伝えてからするべきです。この子に強引に口づけをしたところでその意味を理解すると思うのですか?』
 脳内の葛藤に苦しむ若造クルガ。
「・・・ん。」
 天使と悪魔の言い争う声が聞こえてしまったのだろうか。マナは色っぽく小さく声を漏らした。
 ところが、これが天使と悪魔の戦いに終止符を打つきっかけとなった。 
 クルガは脳内の来訪者2名のうち1名をものの見事に消し去ることに成功した。

『ケッケッケ。男だねえ。』
 青い若造クルガは天使ではなく悪魔に従った。
 クルガは再び生唾をごくりと飲み込み、マナの肩に手をかける。そして、相変わらず緩慢な動作で、ゆっくりとマナに顔を近づける。クルガ自身が感じる『ゆっくり』は、傍から見ればまるで植物の成長速度のようにゆっくりと漸進的であった。
 スローモーションでゆっくり、ゆっくり唇をマナの唇に近づける。
 ところが寸でのところで、ニタが再登場。
 ニタは基本的にユニコーンのような性質を持っている。女の味方であり、アルトフール内のセクハラに関しては非常に敏感だ。見かけたら即刻ペナルティーを下す。
「若造め!何をしている!お前も変態ディレィッシュと同じ変態かー!」
 そう叫んで、白い珍獣兼アルトフールのセクハラ対策委員会委員長のニタは、クルガの襟元を掴んでマナから引きはがして、投げ飛ばした。
 クルガは床に打ち付けられて「ぐへぇ」と声をあげて気を失った。
 その間にニタはマナを安全な場所へ避難させる。
 クルガは薄れゆく意識の中、天使の言うことを聞かなかった自分を責めた。もし、彼がちゃんとしたマナの恋人であったのならば、ニタも気を利かせてそっとしておいてくれただろうに。ニタは空気が読めない子ではない。
 しかし、もしも、クルガがのろのろ銃の被害を被っていなかったのならば、唇が触れ合うまでの時間はもっと短く済んで、ニタにばれる前にことを成し遂げることが出来たのではないだろうか。
 などと考えていたら、クルガの脳天に壁時計が落下。意識は瞬時になくなった。

『だから卑怯な手は使うなと言ったのに』
 悪魔はにやにやと薄ら笑みを浮かべ、天使は呆れたようにため息をついた。
作品名:スローモーション 作家名:藍澤 昴