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「だっ!」
 金髪に浅黒い肌の青年クルガは悲鳴をあげた。体の細胞が一気に解け、身震いをしたような心地を受けたからだ。
「体が、おかしい。」
 クルガは、体のあらゆるところに重りがついたような感覚を覚えた。重さは感じないのだが、動作が自分の意図に反して緩慢になってしまう。
 一歩足を踏み出そうとしても、まるで宇宙空間にいるかのごとくゆっくりになってしまうのだ。
「な、なんなんだ、これ。」
 いったん立ち止まって自分の体を見てみる。
 視線を手から腕へ、腕から胸元へ、胸元から腹部へ、腹部から足元へ、ゆっくりと降ろしていくが、動作が緩慢になっていること以外は特に変化はなかった。
「ふふっ」
 ふとクルガは彼の背後で誰かが笑うのを聞いた。
 まるで妖精のように小さくて可愛らしい笑い声。
 クルガは瞬時に振り返った(外から見ればゆっくりと振り向いていた)。
「マナ!」
 彼の後ろでくすくす笑い声を立てていたのはマナという少女だった。
 おかっぱ頭で振袖を着たどことなく神秘的な雰囲気がする少女。見かけは少女だが、本当は齢300歳の不老長寿の女だ。一番年長ということで、アルトフールの皆をまとめるリーダーの職務についている。
 そして、クルガにとっては最も愛おしい女。
「・・・何してるんだよ。」
 クルガはマナが持っている銃に気付き、尋ねる。
 その銃は近未来を思わせる流線型のフォルムをした、一見おもちゃにも見えかねない変わった形をしていた。
「これ、ディレイッシュの部屋から持って来たの。」
「無断で?」
 マナは悪びれる様子もなく、無表情でこくりと頷く。そして、マナは何の予告もなしにクルガに銃口を向けた。
「マナ?何するの?」
 たじろぐクルガに、マナは口元に笑みを浮かべる。
「冗談だろ?」
 焦るクルガであったが、同時に心の中ではまさかマナが撃つわけないと思っていた。が、マナは表情を変えることなく、クルガに一歩歩み寄り、トリガーに指をかける。
(ああ、俺の人生もこれで終わりか。)
 クルガは抵抗することなくマナにその身を委ねる。実際に心の中では、好きな人になら殺されても良い、と思っていた。
 だがしかし、そこへ突然現れたのは白い珍獣ニタだった。ふわふわの白い体毛に包まれて、見た目は大きな白いぬいぐるみだ。ニタはわざわざマナとクルガの間に割って入ってきたのだ。
「ハロー、お二人さん。何してんの?」
 そういって、ニタは自分を通してクルガに向けられてる銃口に気付いて目を丸くさせた。
「ぎょっ。」
 ニタは驚きのあまり、変な声をあげることしかできなかった。が、無情にもマナはトリガーを引いていた。
「ニタ、危ない!」
 非常にゆっくりとした動きであったが、クルガはマナが銃のトリガーを引くよりも先にニタを横に突き飛ばした。マナはためらいなく撃つだろう、ということが予測できていたので、マナよりもすぐに体が動いたのだ。
 ニタの代わりに銃弾を受けるクルガ。
 好きな人に殺されるなら本望です、と心の中でこの世に別れを告げ、クルガはその場に崩れ落ちた。だが、実際に彼の体に当たったものは、銃弾ではなく波長の長い電波のような振動。痛さは全くないのだが、先ほども感じた、全身の細胞が解けて、身震いをするような奇妙な感覚を再び感じた。
「あら。」
 マナは、クルガのそばにしゃがみ込んでその様子を眺める。ライオンのような金の髪を少量引っ張ってみても、反応はない。マナは不思議そうに銃を見つめる。
「あ、それ。」
 突き飛ばされたニタが立ちあがり、マナが持っている銃を指さす。
「それ、ノロノロ銃だよね。ディッシュお手製で、用途不明の。」
 マナはこくりと頷いた。
「それなら、なぜこの若造は倒れているのだ?」
 ニタの問いにマナは表情を変えずに首をかしげる。ニタもクルガのそばにしゃがみ込み、ツンツンとクルガの体を突っつく。
「むぅ」
 クルガは突然唸り出し、ゆっくりと体を起こし、自分の体を見回す。
「あれ、俺、死んでない。」
 と、クルガは呟き、ゆっくりと周りを見回した。マナとニタがあきれた表情でいる。
「君、ばか?」
 ニタが質問する。
「多分、ばかだよ。」
 クルガが答える代りに、マナが答えてあげた。
 ニタはマナから銃を取り上げ、状況がつかめていないクルガに説明を始めた。
「これはね『のろのろ銃』。ディレィッシュが作った対象をのろまにさせるひたすら迷惑な発明品。Do you understand?」
 クルガはきょとんとした様子で、ニタを見つめていた。
 のろのろ銃のせいで脳の伝達能力も遅くなっているのか、そうでないかは甚だ疑問だが、クルガが状況を理解するのに、鳶が一鳴きする時間を要した。「あーそういうこと!」と、クルガが納得するそぶりを見せたころには、ニタはあきれ返った表情をしていた。
「それにしても、マナがこれを持ってるのは危ないよ。第2のクルガが増えるかもしれない。ニタが責任持ってしっかりディレィッシュに返してくるよ。」
 そういってニタはのろのろ銃を持って立ち去って行った。

***********

 ニタが去り、再びリビングはクルガとマナの二人きりになってしまった。縁側で日向ぼっこをするマナの背中を見やりながら、クルガは緩慢な動作でソファに座る。
「マナ、こののろのろ状態はいつまで続くの?」
日向ぼっこをするマナに尋ねるクルガ。少しの間の後に、マナはクルガに背を向けて縁側に座ったまま「…1時間くらい。」と答えた。
「1時間か…。」
 クルガは時計を見ながらため息をついた。こののろのろ状態でいると、時間の流れまでも遅くなっているように感じられた。この体で1時間は1時間よりもきっと長く感じられるであろう。
 と、そこへ、マナがとことこと近付いてきて、クルガの隣に腰を下ろした。
 予期せぬ幸せに彼はたじろいだ。好きな人が傍にいるのだ。なぜ隣に移動してきたのか分からなかったが、自分のそばにマナが自分から近付いてきてくれたことは嬉しかった。
 どんなにのろまな体になったとしても、ドキドキするこの胸の鼓動だけはいつもと変わらない。心臓は正常に血液を送り出しているであろうことが感じられた。
 クルガはそっと隣のマナを見る。マナは背筋をぴんと伸ばし、手は膝に重ねて凛とした様子でお行儀よく座っていた。まるで目の前に偉い人でもいるかのようだ。クルガも姿勢を正さねばならないような気がして、背筋を伸ばした。

「時間って…長いよな…。」
 クルガの口から零れ落ちた小さな言葉。のろのろになった彼は、時間経過の感覚の異変に思わずつぶやいてしまった。
 この言葉は白昼のまどろみの中に消えていくであろうと思われたが、マナが「そうだね」と相槌を入れた。…え?マナが?と思い、クルガは耳を疑った。
 マナは相変わらず姿勢をぴんと伸ばし微動だにしない。
 珍しくクルガの言葉に反応するマナに、彼自身は驚いていた。いつもならクルガに無関心で無視することも多いというのに。
 
作品名:スローモーション 作家名:藍澤 昴