花は咲いたか
この途方もない戦いに、小さな勝機を見つけてはただ真っ直ぐに生きる姿がうめ花には眩しく光輝いて見える。その光を消そうとする何かがあるなら、己の命を賭けてそれを阻止したいと思っている。
二股口で、自分の銃と、自分の腕で、それができることに胸が震えた。
土方からパッと身体を離すと、
Γ嬉しいっ!行きます、連れて行ってください」
と叫んでいた。
Γまったく...色気のない奴だ。何日かぶりに会ったというのに」
土方の考えていたことが、二股口に行く以外の事を言っていると気付きうめ花は顔を赤くした。
Γまあいい。弾薬の準備に何日か掛かる。二股口は大川正次郎に預けてきたからしばらくは心配ない。明日、弁天台場へ行く途中に写真館に寄る」
Γ写真館は戸締めにしました」
Γどこか開くだろう?写真を撮る機会は今だけだからな」
翌日、写真館の建物の裏へまわり、雨戸を外していると
Γこんなことをしていると夜這いに来たみたいだな」
Γ夜這いをしたことがあるんですか?」
Γそりゃあ、若い頃は色々とな、あったさ」
土方の顔を睨み付け、うめ花はふくれっ面をした。
Γ昔の話だ、怒るな」
Γ別に怒ってませんけど、何も今そんな事を思い出さなくても!」
Γ悪い悪い、しかしそのふくれっ面。海にそんな魚がいるぞ」
こんななんでもないやり取りが至福の時間であった。
写真館に一台だけ残された機械で、うめ花は土方を撮影した。初めの一枚は、じっと座っていることに飽きて不機嫌そうな顔だが、二枚目は上手く撮れた。
再び裏から出て雨戸を閉める時、土方は持っていた写真をちょいと口へ持っていき、歯に挟んで空いた両手で雨戸を閉めた。
Γあ、写真に歯形が残るのに...」
Γ俺の写真に俺の歯形だ、姉さんが泣くぞ」
そういってうめ花に写真を寄越した。
日野の佐藤彦五郎のところへ嫁いだ姉ののぶは、幼い時に母を亡くした歳三を育てた。その姉に贈る写真だと言う。
土方の覚悟だった。
うめ花は鼻の奥からこみ上げたツンとするものを何度もまばたきをして止めた。
この戦に、勝ち目がないことくらい誰でも知っている。
だが、そんなことは俺には関係ないというように、ただ真っ直ぐに生きていた土方。時には戦に少年のように目を輝かせ作戦を立て、何より隊士達を大事にした。
土方の心の奥に、武人としての覚悟が隠されていたのだとうめ花はようやく理解した。
理解できたと同時に、それがどうしようもなく悲しい覚悟なのだとうめ花は感じた。
この人は覚悟を決めている。
勝てるはずのない戦に己のすべてをかけて臨んで、心の最も奥で来るべき最後の時を感じている。
生きて新しい時代を迎えることなど、この人の頭の中に描かれることはないのだろう。
その時は確実に近づいている。
それが明日なのか明後日なのか、はたして二股口なのか五稜郭なのか、そう思うとうめ花の心は苦しかった。
失いたくないものが今はある。
失わずに済むなら、どんなことをしても止めて見せるのに。今はどうしていいかわからない。
その時、自分は土方の側にいるのだろうか。それとも知らずに...。
戦いで命を落とすことも、戦に負けて新政府軍に拘束されることも考えたくない。が、土方の覚悟を知ってしまった今は、その覚悟がうめ花を苦しめる。
弁天台場で守備につく新選組隊士らと過ごす土方の穏やかな横顔。
馬で市中を行く時、湾からの横風が揺らす土方の黒髪。
側に寄るといつも硝煙の匂いのする軍服。
それらが、その時、を境になくなってしまうのだ。
木古内から大鳥が戻ってきた。
戦況はますます悪くなっていた。
箱舘軍上層部の間で緊急軍議。
大鳥が五稜郭に戻っている間にも、木古内は新政府軍に攻めこまれているのだが、情報の伝達に時間がかかるこの時代に誰もそれを知る術はない。
確実なものなど何もないが、一軍の将が陣を離れる時、隊士達や各小隊長らとの間に確固たる信頼と布石が活きて来る。
再び大鳥は木古内へ。
土方もうめ花と鉄之助そして伝令の為に二股口から降りてきた隊士を連れて五稜郭を出た。
再び二股口に戻ってきた土方を見て隊士等は大喜びだった。
Γ伝習士官隊が到着したら、機会を見て斬り込みをかける」
しかし、新政府軍が再び攻撃を仕掛けて来る様子はなく、しばらくは穏やかな空気が二股陣内に漂っていた。
そして4月23日の午後4時。
西に傾いた太陽が深い森に横から日差しをかける頃、新政府軍は西日を背にして攻撃を仕掛けてきた。
西日の眩しさで命中率を下げるつもりか、一気に土方軍を壊滅させようと銃撃は絶え間なく続く。
うめ花も自分の銃を手に胸壁に降りた。
しかし、西日がそういつまでも続くものではないことを、新政府軍は知っていたか。
Γ桶に水を汲んで!銃身を冷やすのよ。でなきゃ撃てなくなる!」
うめ花は後方の穴にいる隊士らに水を汲んで来させた。
伝習隊の大半はスペンサー銃を備えているが、旧式のゲベール銃はすぐに熱を持つ。
新政府軍はスペンサー銃とそれに性能の近いミニエー銃を装備していて、絶え間なく撃ち続けて来るが、こちらはそんな弾の無駄遣いはできない。
一発一発を命中させるのだ。
やがてあたりは暗くなり、敵の銃口から出る火花を狙って撃てるようになった。
土方軍の銃の命中率に、新政府軍の攻撃は退いた。
陽がすっかり落ちた頃、両軍は攻撃をやめた。
Γ皆、良くこらえてくれた。我らの命中率に敵は恐れをなしたはずだ。そこで今日は俺からぷれぜんとがある!」
Γぷれぜんとってなんだ?」Γなんだ?」Γ何だ?」と口々に騒ぎ出す。
Γ贈り物って意味だ。うめ花先生が一杯づつ皆に酒を注いでくださる。飲んでくれっ」
Γわぁーっ!!」Γ酒かぁ」Γやったー!」
Γ但し、戦は終わったわけではない。次に備えて一杯だけだ」
隊士らは思い思いの器を手にうめ花の前に列を作った。
山の中の陣で飲む一杯の酒が、どれほど心を潤すことか。
しかも、若い女性の手で注がれる酒だ。
隊士らの嬉しそうな顔を見ながら、うめ花は思った。
土方は何気なく接しているが、言葉や行動のひとつひとつが、人を惹きつけて止まない。
それが土方の強さなのかもしれない。
Γ先生もどうぞ!」
と言って隊士の一人がお椀を差し出す。
Γありがとう。でも私は、あまりお酒は...」
Γこいつの分は俺が飲む。それでいいか?」
と土方が差し出されたお椀を手に、隊士の肩に手を置く。そして皆のくつろぐ場所を次々とまわって行っては、何気ない会話を楽しんでいる。
うめ花は大きな木の根元に腰を降ろして、夜がふけるまでそんな土方を見ていた。
第七章 終わり