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花は咲いたか

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第七章


緊急の軍議を終えると、土方は自室に戻った。
片手で目頭をぎゅっと押さえる。
もう夜半近くだ、ふとうめ花の部屋の扉に目をやる。
(もう寝ているか...)
相変わらず伝習隊の調練に出ていて一生懸命だという。
寝顔だけ、見たいと思った。
約束した土産も持ち帰れなかった。おまけに明日、出陣する。
負けるつもりは更々ないが、うめ花の顔を見ておきたいと心の底から思った。
宮古への同行を願った必死の顔、懐中時計にこめられたうめ花の想い、そんなものが俺を箱舘へと帰還させたのだと思う。だが、うめ花との時間はなく今日になってしまった。
扉を静かに開けると、うめ花の規則正しい寝息が聞こえて来た。
寝台で両手首をかけものの縁から覗かせて、静かに眠っている。
土方は後悔した、見るんじゃなかった。寝顔を見ただけではすまなくなっている。
一瞬、躊躇した後、うめ花に近づく。
軽く唇に指先で触れて、それだけで自室へ帰ろうとした。
Γん...」
うめ花が寝返りをうって、目を開けた。視点の定まらない目が土方を見ている。
Γ起こしたな、すまん」
Γ土方...さん」
かけものを払いのけ、上半身を起こし、寝間着の衿をかきあわせる。その仕草が土方の胸をわしづかみにした。
うめ花の寝台に腰をおろす。腰をおろすと同時に、うめ花を抱き寄せた。
Γ明日、台場山へ出陣する。伝習隊を連れて行く」
うめ花を抱き寄せて、こんな話をするはずではなかったのだ。うめ花の身体からふわりと乙女の匂いがして、土方の胸を甘酸っぱいものでいっぱいにした。
Γえ...?出陣ですか」
Γそうだ。乙部に新政府軍が上陸した」
土方の腕に力がこもる。どうしていいかわからないほどのやるせない気持ちが襲う。
Γ負けるつもりはない、お前が育てた伝習隊だ」
こんな固い話をしながら、土方はうめ花の髪に頬擦りし、背中に回した手でうめ花の背と腕を温めるようにさする。
(こんな時にこんな話か!)
と土方は情けなくなった。
京の島原、祇園、北野七軒町とその名を流した色男が、今はこの体たらくだ。たったひとりの女相手に戦の話しかできない。
Γ土方、さん」
うめ花は土方のどことなくいつもと違う感じに、身体を強ばらせた。
Γ許せ、うめ花...俺はお前を悲しませるかもしれない」
出陣前の気持ちの昂りなのか、心底うめ花を求めているのか、今の土方にはわからなかった。
Γ今、負けないって...」
Γそうだったな、自分で言ったばかりだ」
うめ花の頭に顎をのせると、自嘲するようにフッと息を吐いた。
(土方さん、もしもの時の事を考えている、このまま出陣させてはいけない)
うめ花は土方の腕の中で顔を上げると、喉元に唇を寄せた。胸は高鳴り寄せた唇が微かに震えているのが、自分でもわかった。
何をどうしていいかわからないけれど、もしもの事を考えながら戦地へ送り出してはいけない気がした。
土方の喉元に唇を押しあてると、ゆっくりとその喉が上下した。
Γうめ花...」
土方はうめ花の身体を離してその目を見つめた。
Γお前が、愛しい」
初めて言葉で、その想いを告げられた。
Γ私も、土方さんが...」
終いまで言わせてもらえず、言葉は土方に塞がれてしまった。

明るくなる少し前に、隣で眠っていた土方は寝台を抜け出し軍服を着けた。
うめ花は身体を起こすと寝台を降り、土方の側へ歩み寄る。
チョッキのボタンから下げた懐中時計の鎖のねじれを直す。
Γご武運を」
万感の想いをこめた。
白々と東の空から濃紺の闇は消え、馬上となった男の姿を見つめるうめ花に淡い光が届き始めた。

あたりが白々と明ける頃、土方は衝方隊と伝習歩兵隊合わせて300を率いて台場山へと出陣した。
乙部に上陸した新政府軍はおよそ3000。その兵を三手に分け、五稜郭へ向けた。箱舘に遠い乙部になぜわざわざ上陸させたのか、箱舘軍の守備が薄いところを突いた。ただそれだけのこと。
しかし、乙部や木古内に目を向けさせ、兵を割かせても尚、新政府軍には余力というものがある。

うめ花は五稜郭から出陣して行く大鳥率いる部隊を見送っていた。乙部に上陸した新政府軍は山越えの兵を2方面に分け、土方の向かった二股口と大鳥の出陣した木古内にあてた。大鳥は遊撃隊をはじめとした300の兵を率いている。
この状況では、戦には素人のうめ花が見ても、箱舘軍の勝てる要素はひとつもない。
榎本は降伏の条件として、旧幕府の禄を失った者達の為に蝦夷の土地がもらえるよう要望していたが、受け入れられる見込みは全くない。
もはや新政府軍は、幕府とか徳川とか武士とかそんな名を聞くだけで、虫酸が走るのだろう。そんなものは武力で根絶やしにして、自分達の思うままの世の中を作りたいのだ。そんな榎本の要望など誰が聞く耳を持ち、交渉に応じるのか。
大鳥の部隊を送り出した後、うめ花は写真館へ向かった。
写真館は戸締めにした。
武蔵野から下働きの男衆が来て、家財道具をまとめた。
うめ花に、叔母のお慶は一緒に来るように言ってくれたが断った。写真館も妓楼も元町の中心にあり、市街地が戦場になれば無事ではすまない。
うめ花の手元に残ったのは写真機が一台とスペンサー銃だけであった。
叔母のお慶は妓楼の妓達と共に青森行きの商船に乗るという。
Γあなたは榎本さんに頼まれて銃の調練をしただけなのよ。五稜郭にとどまる必要なんてないのよ。それとも戦に巻き込まれたいの?」
と言われたが、青森行きの船に乗る気はなかった。
それとうめ花にはもうひとつ行き場所があった。うめ花の父と母がいた猟師小屋である。箱舘から離れた東の方角に山があって、山麓の街道からは川汲へ通じていた。
それの存在がうめ花を強くさせていたのか。うめ花は猟師の娘だ、山があって銃があればどこでも生きて行く自信はあった。
しかし、今のうめ花にはそこへ行く気にもなれないのが土方の存在だった。
榎本もうめ花に早く避難しろと言うが、
Γせめて二股と木古内の戦況がはっきりするまでは...」と譲らない。

4月10日。
台場山の入り口に到着した土方率いる衝方隊、伝習歩兵隊は、その地に穴を堀り始めた。
全部で16個の胸壁を築いた。この場所は、宮古湾海戦前に野村利三郎を連れて毎日地形をみてまわり、考えに考えた場所だった。
完成した胸壁を見て土方が面白そうに声を挙げた。
Γ30人程でいいんだが、俺と新政府軍にちょっかいを出しに行く者はいるか?」
穴を堀り終えて足を投げ出したり、木に寄りかかっていた隊士達が、
Γ行きまーす!」
Γ俺もっ!」
と次々に立ち上がる。
Γよし、ここで作戦会議だ。集まれ!」
各小隊長だけ呼んで伝えればそれで済むというのに、この男はそれをしない。300の全隊士に作戦を告げる。
Γいいか?ここに残った者は完璧に準備しておくんだ。面白そうだろ?」
隊士達の目にキラキラしたものが宿ったのを土方は見た。それをなんというのかはわからない。だが、(戦は楽しくなけりゃいかん)と笑みを浮かべた。
この下二股口から少し先、2KMほど行ったところで土方は立ち止まった。
作品名:花は咲いたか 作家名:伽羅