夜行譚7-代償ー
「こ、こんなことになるなら、やっぱり、あのまま眠ってしまえば良かった…!!」
「橘花!」
悲痛な叫びを上げた橘花の頭をぺしりと叩いたのは声を上げた桜花ではなく、玉藻の手だった。
軽くではあったが、打たれた衝撃で橘花の涙は止み、驚いた顔で玉藻を見上げる。
「橘花、桜花の気持ちを少しは考えよ。
傷つくのは、主だけではないのじゃぞ」
「…桜花…おうか、おうか…ごめんなさい、ごめんなさい…」
ぺたりと座り込んで再び泣き出した橘花を、桜花は強く抱きしめた。
「ごめん、ごめん橘花…僕がいけないんだ。
失う痛みを、君に味わわせてしまった。
消えない傷を、つけてしまったから…ごめんね」
「桜花…」
「僕は、あの時一人で行くべきじゃ無かったのかもしれない。
どんなに難しくても二人で逃げる努力をするべきだったのかも。
今はすごく悔やんでる…
だけど、だからこそ君が与えてくれたこの機会を、存分に生かしたいんだ。
短い間でも、もう一度君と過ごせる、大切な時間だよ。
ねえ、泣かないで。短い時間だからこそ、笑っていよう?ね、橘花笑って見せて?」
抱きしめた腕を解いて、正面から互いの顔を見合わせる。
桜花が笑って見せると、橘花も、涙に汚れた頬をぐいと拭って無理やり笑みを刻んで見せた。
まだ涙を堪えているせいなのか、頬はふるふると小刻みに震え、眉根は顰められている。
笑顔と、呼べるかどうかもわからないその表情を、けれど桜花は愛しく思った。
「橘花、君を守れてよかった…」
「桜花のばかぁ…言ってる事滅茶苦茶なんだから…」
「ふふ、ごめんね。
さ、橘花。主さまにも謝って」
桜花に促されて、橘花は玉藻に向かって手をついた。
「ごめんなさい、主さま。もう、言いません」
ちょこんと下げられた小さな頭を、玉藻は今度は優しく撫でてやった。
柔らかい毛並み。暖かい体温。切ないほどに小さな命。けれど、懸命に生きている。
その美しさ。
(ああ、これだから、離れられぬのじゃ…)
命あるものたちとの交わり。
どれだけ愛しても、いつか必ずやってくる別れ。
別れが来ると分かっているからこそ、輝く日々。
長い年月をたゆたう様に生きていては、得ることの出来ない、それは思い出という宝物。
「橘花、桜花」
名を呼ばれて、二人はぴょこんと揃えて顔を上げた。
まだ怒っているのかと不安げな橘花に少し微笑んでやってから玉藻は口を開いた。
「幸せに、なるんじゃぞ」