ワルツ ~二十歳の頃~
職場では、いつもどおりに仕事はこなしているが、何かと理由をつけて写植の部屋に行っていたのをやめて、自分の気持ちを確かめるように純とも顔を合わせていない。会いたい。会って今までのように、笑いあいたかった。
「やはり、会って結婚したいと告げればいいのではないか。若くてもやっていける。若いからこそ出来る」そう結論を出した朝だった。トントンと戸をたたく音に、誰だろうと思いながら戸を開けた。
純だった。少し思い詰めた表情を見て、黙って部屋を振り返り入るように促した。敷いたままの布団のそばに坐って純は言いにくそうに話を切りだした。
「父とお義姉さんが来てるの」と言って「ここじゃなくて、ホテルに泊まっているんだけど。帰って来いって。どうしても連れて帰るって」純は涙をこらえながら言う。
数分前に、結婚したいと告げようと思っていたのに、先にそんな話を聞いてしまって、情けないことに俺は黙ってしまった。純はそんな俺を失望の混じったような目で見ているのだろうか。俺は正直、純の父親とお義姉さんを説得できる自信が無かった。
「純は、どうしたいの」と言ってから、相手にゲタをあずける自分が情けなかった。
そんな俺を見透かしたように「私、田舎のほうが合っているかもしれない」とポツリと言った。それは俺を傷つけまいとしたことばなのか本心かはわからなかった。
「結婚しようか」俺はぼそっと言ってみたが、純はちょっとだけ表情を変えたが、無理に笑って言った。
「まだ早いって。私だって早いのに男の二十歳なんて」
俺は何も言わず、純を抱き寄せた。純は少しだけじっとしていたが、両腕で俺の胸を押すと「ありがとう」と言った。純はもう最初に会った頃の表情になっていたが、内面は俺よりずっと大人になっているように見えた。
帰ろうとする純に「送ろうか」と言ったが、純は少しうつむいて「いいよ。余計辛いから」と言った。もう一度「ありがとう。楽しかった」と言って戸を閉めた。俺は呆然と純の出ていった戸の方を向いたまま、「ありがとう」とつぶやいた。
一度だけ衝動にかられ、長野にある純の家に行こうかと思って、住所も電話も何も知らなかったことに愕然とした。俺はなんていい加減で間抜けで、思い上がっていたのだと今さらながら気づいた
銀杏の街路樹が黄色に染まって、舗道にも積もっている。画材店で絵の具を買ってアパートに帰った。描きかけの絵がこちらを見ている。純の顔を思いだしながら、描いているのだが、納得出来なかった。何度も描き直しているうちに純の顔の記憶があいまいになっているのに気づいた。どうにか完成した裸婦がこちらを見ている。
美術学校の仲間であった者数人がグループ展をやることになって、特別参加を呼びかけてきた。目標は二科展だったが、F15は小さい。俺は出来たばかりの裸婦を出品することにした。
【あおい春】と題した、グループ展に出品した絵は思いの他好評だった。購入の希望者もいたが、俺はそれをことわった。色々な思いのこもったそれを売るにしのびない。少し自信をもって描いて行っていいだろう。それは嬉しいことだった。
少しは大人になっただろうかと思いながら、買ってきたワインとグラスを卓袱台に置いた。サラダと鶏の空揚げも置いて、独りぼっちの二十一歳の誕生日を祝う席についた。絵の彼女が振り向いて「おめでとう」と言った気がした。
♪冬空を蹴散らして君
いざり来る春もまたある
春雷に 御身を君
遊ばせて きっと復讐するのだや君
生きても生きてもワルツ
死んでも死んでもワルツ
出会いも出会いもワルツ
別れも別れもワルツ
Fin.
作品名:ワルツ ~二十歳の頃~ 作家名:伊達梁川