ワルツ ~二十歳の頃~
ワルツ1
「私、日記をつけてるんだ」晴香が言った。
「へえー、毎日?」俺はそれほど気乗りせずにそう言う。
「ん、まあ出来事があった日とか」思わせぶりにも見える仕草で晴香は言った。
「それで、俺の名前なんて出てくる?」
当然、出てくるだろうと思ったが晴香の答えは「出てこない。」だった。
俺は不満そうに「どうして」と言う。
「自分でもよく分からない。書けないんだ」
思いほか、真剣な表情で晴香はつぶやくように言った。
俺は軽い失望と、特別な存在だから軽く書けないのかとも思いながら、ああ晴香も悩んでいるのだと感じた。かといって、特に自慢できるものがある訳でもなく、金も地位も名誉も何もない。愛情さえも二人でブレーキをかけあっているのかも知れない。
「俺も分からない」暗に晴香の行動を非難する意味も込めて言ってみるのだが、晴香は少し寂しそうな顔をしていた。
晴香が父親の記憶が無いということは聞いていたのだが、それはずうっと心の中で理想の父親像あるいは男性像を形づくっているのだろう。
ある日二人で遊園地に行った時、彼女はレストランのメニューから、お子様ランチを選んだ。あの旗の立っているやつである。それはずうっと憧れで、父と一緒に食べたかったという、叶えられない思いでもあったと思う。やがてお子様ランチが運ばれて来て、店員が間違えではないかという眼をして、伝票を確認しそれはテーブルに置かれた。晴香はパッと顔を輝かし、次の瞬間には旗が無くなっていた。晴香がてれた顔をして俺を見た。俺は(堂々と食べればいいのに)と思いながら見ていた。しかし、恥ずかしそうにしている晴香の顔は美しかった。そして二人で童心に戻って楽しんだメリーゴーランド。
漠然と晴香の求めるものが、リードしてくれる男と大きな愛で包んでくれるような男だろうと解ったような気もしたが、それは二十歳の俺には無理なような気もした。
晴香はほとんど化粧をしなかったのに、少しずつ化粧をするようになった。そしてだんだんと大人っぽくなって行く。その速さに俺は着いていけない。男の二十歳、女の二十歳。かなり意味が違っていたかもしれない。だんだんと二十一歳に近づいていた。その晴香の化粧は俺をさらに大人にはさせてくれず、俺は何かを失った感じがつきまとった。そのことには何も触れず、ただ半分惰性で付きあっていた。相手のことを思いやり、大きな愛情で包もうともせずに。大胆に見える晴香の繊細な部分を俺は見逃していたのだった。
作品名:ワルツ ~二十歳の頃~ 作家名:伊達梁川