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相談屋

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  ようやく部屋に帰ると、黒いものも白いものも近寄ってくることはありませんでした。しかし、まだ問題は次々とやってくるのです。左手が勝手に動いて、執拗に鉛筆やボールペンを取ろうとするのです。そのたびに、右手でおさえなければなりませんでした。書く物を取るのが無理だとわかると、今度は腕を振り回し始め、ものすごい力で右手を叩き潰そうとしてくる。あるときなどは、果物のそばにあった、小ぶりのナイフをとって攻撃してきました。
 ある朝起きると、左手がペンを握り締めています。白かったはずの壁が、書きなぐられた線で埋め尽くされ、汚くなっていました。まるで形をなしていない線をよく見てみると、拙いながらもいくつかの文字らしきものがなんとか判別できます。わたしは字をひとつひとつ拾いあげ、「え」、「お」、「は」、「だ」、「ま」、「れ」の文字を発見しました。重複して書かれている文字もあります。「だまれ」というくみあわせが妥当なのでしょうか?はたまた、「はまだ」という人か、「おれは」という並びなのか・・・あるいはただ字を書いただけで特に意味はないのか。
 わたしはだんだん寝るのが怖くなってきました。寝ている間に何が起きているのかわからない。なにものかがわたしの体に入り込み動かしているのかもしれない。そんなことを思いながらベッドの上で眠りに落ちないよう満月を眺めていました。満月は明るさを増し夜空の中で存在感を際立たせていきます。じっと見つめていると満月はじりじりと近づき、月の表面が鮮明に見えはじめました。月の地表は生物のように蠢き脈打ち目を開き血を流し舌を出し囁き誘い。空が青さを取り戻すまで。
 やっと、眠ってしまったわたしは体を内側に丸めました。ようやく安息を得、静かな寝息をたてているうちにわたしはどこかはるかとおくへはこばれていくようでした。
 覚醒した瞬間に見たのは鏡にうつる誰かの顔でした。二枚の鏡の境目が顔の真ん中を貫いているので左右のバランスがおかしくなっています。耳は離れ、口は左右に開き、左右の眼の間が大きくあいているのです。その同居人は自分勝手な人でした。わたしのいうことは黙殺され、いっさい耳を傾けてくれません。わたしは折り合いをつけながら日々を過ごすことになりました。
 そうして何年も経つうちに耐え切れなくなったわたしは同居人と意志の疎通を試みることになったのです。しかし、書く物を持つことさへ許してくれませんでしたから、しかたなく暴力に訴えたりたりもしました。ある時、眠っている隙をついてわたしはペンをにぎることに成功しました。震える手で文字を書いてやりました。
 わたしはからだの左側に誰か入っているのを感じます。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

完全に陽が落ちた室内はすっかり暗くなり、原稿を捲る頼子の細い手も、黒い文字の列といっしょに闇に溶けていった。
 

 新造 三

 集中してペンを走らせていると、寝食を忘れがちになって体重が減少していく。創造された世界に浸っていると現実を忘れ、妄想の中で生活せざるをえない。精神的にたいへんな疲労をもたらし、現実の自我から乖離していく。そうやって創作活動というものは体を削り取り、傷つけていく。
 だが、それは仕方のないことなのだ。そうでもしないと空想の中で定着できない。交換条件みたいなものなのだろう。
 幻覚を見て、離婚して、シュールになって、耳を削ぎ落として、自殺して、生き返って。そうして芸術は昇華していくことができるのだ。
 わたしは手を休めることなく書き続けていたので、目の前には原稿用紙が積み重なり、庭も、畳も、床の間も、障子も、紙の束の影に隠れていった。そうやって周囲の光景が消えて創作の世界に没頭した私は、時に冗談を交え、動物に喋らせて、登場人物に恋愛させて物語を展開させていった。
 「あなた、今日は田宮医院へ行く日だったでしょう」
 妻が和室の上がりぶちのところに立って聞いてきた。膨れた腹が目立つ。眼窩が落ち窪み眼球まで膨らんでいるかのように突出していた。
 膨れた腹が目立っているものの、瞳の奥から覗く眼光が鋭さを増しているせいか、逆に細くなっていくような印象を受けた。妻に付き添っていくのも悪くない。私はのろのろと立ち上がり、玄関に向かった。
 外に出ると、靄が立ち込めているせいか視界が悪かった。朝靄かもしれない。どこからか鳥の鳴く声がする。通りなれたはずの道がいつも以上に歩きづらい、歩く先が見えないし足がもつれる。それでも私は妻の手を引いて童話のように優しく先導していった。
 兄と妹は森を彷徨いお菓子の家にたどり着く。主である魔女に捕らえられた兄は地下に閉じ込められる。妹は兄のために食事を運んでいたが、それは兄を太らせるための策略であった。魔女は太った兄を食べてしまい、残された妹はいいました。「おばあさん、私を生かしておいたほうが使えるわよ・・・子供たちをわたしがこの家に誘い込んであげる」。うろ覚えだが、そんな話であっただろうか。
 田宮医院が見えてきた。扉を開けて中に入ると右手に小さい窓がついた受付口と診察室の扉が見える。廊下が正面にまっすぐのびていてその奥の暗がりには人影があった。
 老婆がにこやかな表情とともに出迎えてくれた。老婆の後ろには手術衣を着た大柄な男が控えている。懐かしい感じがするが、以前妻に聞いた田宮医師の特徴からはかけ離れていた。
 「今日はよろしくお願いします」
 私が挨拶すると、大柄な老人は「こちらへどうぞ」といった感じで機嫌よく手を広げて迎えてくれた。診察室とは反対側の、廊下の左手にある壁は鏡で埋め尽くされていて、いくつもの大小、色とりどりに縁取られた鏡が天井までびっしりと並べられている。簡素なデザインのもの、豪勢な飾りのついたもの。丸いのもあれば四角いものもある。鏡の中で体が分裂した人達の手に導かれ、廊下の一番奥にある重そうな鉄製の横開きのドアの内部へ入ると、また手術衣を着た男が待っていた。男は怯えている・・・いや当惑しているのか。明らかに尋常でない表情を作っていた。
 医療用機械と無機質で渇いた薬品の匂いが充満する部屋の中央には分娩台が据え置かれていて、その右に診療用のベッドがあるが、さらにその上には赤ん坊がピッタリと納まるぐらいの小ぶりなベッドが置かれていた。左にはなぜか手術台が置かれている。
 背後から覆いかぶさってきた影に押され、私は左にあるベッドに誘われた。体を横たえると太い管のついた吸入器が鼻と口を塞ぐようにかぶせられ、感覚は低下し、視界は薄れていく。
 まぶしいぐらいに明るさを増していく私のまわりでは、ざわざわバタバタとあわただしい雰囲気が渦巻きはじめたが、わたしの心中は薄まっているせいか穏やかなものだった。左のほうも騒がしくなってきているようだが、杳として状況を曖昧なものとしてしか把握できない。
 体からぬけていく。感覚は重力に逆らうこともなくドロドロと流れ出していき、床の上でとぐろを巻いて淀みを作って停滞していた。空になったあとは皮膚までダラりとさがり、弛緩した筋肉が下がっていく。真顔を保つのが難しい。笑い顔のままで硬直するしかない・・・。
作品名:相談屋 作家名:吾唯足知