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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 剣を抜いたゼノとキーネスは、次々とティリーが捕らえた魔物を斬り捨てていった。魔物の素早さも、過重力の網に囚われれば無意味なものだ。退治屋二人は見事な連携で魔物を仕留め、障害を排除していく。邪魔物がいなくなった中心への道を、リゼは再び進み始めた。
 陣の中心へ近づくと、黒い渦の中に細長く蠢くものがあることが見て取れた。魔法陣から伸びるそれは幾本も絡まり合い、逆さにした籠のごとく半球を描いている。当然、材質は植物ではなく、魔法陣と同じ肉の触手だ。そして張り巡らされた触手の中心に、黒装束の小柄な人物が立っていた。まるで檻に閉じ込められているかのようにも、奴が肉の塊と触手を生み出しているようにも見える。その中で、黒衣の人物はぶつぶつと何かを呟いていた。おそらく悪魔召喚のための呪文だろう。速く阻止しなければならないが、何はともあれ奴に近付くにはあの邪魔な触手を排除しなければならない。
『――風よ。我が意志の下に』
 再び魔法陣の中央に向かって走りながら、リゼは魔術を唱えた。魔力が収束し、右手が風を纏い始める。悪魔に蝕まれたこの空間の中にもわずかに存在する自然の力、精霊の力を引き出し、魔力と織り合わせて一つの魔術を紡ぎあげる。力の高まりと共に、リゼは高らかに唱和した。
『彼の者を切り刻め!』
 その瞬間、掲げた右手から風の奔流が巻き起こった。風は真空波を生み、蠢く触手を巻き込んで空を駆け抜けていく。触手は真空波によってズタズタに斬り裂かれ、体液を撒き散らしながら倒れていった。黒く濁ったそれを風で弾き飛ばしながら、リゼは魔術で拓かれた道をひた走る。そして、魔法陣の中心で術を唱える黒衣の人物に向けて氷雪の魔術をぶつけようと、再び意識を集中させ――
 風でフードが外れ、露わになった黒衣の術者の顔を見て、リゼは反射的に術を紡ぐのを止めた。いや、止めざるを得なかった。目の前にいる人物に気を取られて、走る速度も徐々に落ちる。地底湖に辿り着いた時、探し人の姿が見えないと思っていたがそうではない。どうやら思ったよりもすぐそこに、彼女は存在していたようだった。ただ、
「シリル・・・・・・!?」
 表情の抜け落ちた少女の瞳は、血の色に染まっていた。



 黒い衝撃波が四方へと放たれた。
 避けることは出来なかった。至近距離で直撃を喰らって、リゼは後方へ吹き飛ばされた。なんとか受け身を取って体勢を立て直し、肉の上に着地する。だが、これでまた振り出しに戻ってしまった。少女の周りには黒い靄が中心にいる者を護るように飛び交い、渦を巻いている。これでは近づくのも容易ではなさそうだ。
「シリル・・・・・・!? なんで・・・・・・」
 悪魔教徒の黒ローブを身につけたシリルを見て、魔物の相手をしていたゼノは絶句した。悪魔教徒に攫われ、儀式の生贄にされたのではないかと危惧していたが、まさかこんなことになっているとは。魔法陣から立ち上る赤い光が、シリルの薄汚れた顔を照らしている。その瞳は、悪魔を表す血の色だ。
「聖印を持っていないと分かった時点でこうなる予想はついていたけど・・・・・・」
 まさかたった数日で自我を失うほど侵食が進むとは。“憑依体質(ヴァス)”であるおかげか、赤い瞳以外目立った肉体的変化はないが、虚ろな目で立ち尽くしているだけでこちらの声に答える様子はない。虚空を見つめたまま、ただぶつぶつと何かを唱えている。それに呼応するかのように、魔法陣は不気味に蠢いた。
 シリルが悪魔召喚の儀式を行っているのだ。儀式の生贄ではなく、発動のための術者に。シリルに悪魔召喚の心得があるはずもないのだから、おそらく彼女に取り憑いた悪魔がそうさせているのだろう。
「やっかいね」
 衝撃波を警戒しながら、リゼはシリルの様子を窺った。悪魔憑きが悪魔祓いを拒んで暴れるのはいつものことだが、シリルに憑いている悪魔はかなり強い。以前シリルに憑いていた悪魔と今回とでは一段違う。黒の衝撃波で焼かれた肩と右足がずきりと痛んだ。
「ど、どうなってんだ? どうればいい!?」
 気が動転しているのか、駆け寄ってきたゼノは中途半端に剣を構えたまま、シリルを凝視した。状態としてはただ悪魔に取り憑かれているだけなのだが。
「どうすればもなにも、あの子に取り憑いている悪魔を祓えばいいだけよ」
 リゼは冷静に言って、シリルの動向を注視する。別に、シリルはシリル自身の意志でこんなことをしているわけではない。彼女の意志による行為なら手の出しようがないが、悪魔に器として使われているだけなら問題ない。前回のように悪魔を祓えばいいだけだ。“憑依体質(ヴァス)”だろうとなんだろうと、リゼの悪魔祓いの術なら悪魔を取り除ける。そうすれば、自動的に召喚の儀式も中断される。
「そのためには、どうにかして近づかないとね。『――凍れ』」
 再び襲ってきた衝撃波を魔術で防ぐと、リゼは怪我の痛みを意に介さず再びシリルの元へ走った。疾走するリゼを阻むかのように、黒い衝撃波と新たに現れた魔物が襲い掛かる。身を守るように氷壁を発生させると衝撃波はそれに相殺されて、ちょうど良い通り道が出来た。だがそこを抜けると、衝撃波に続いて魔物が飛び出してくる。リゼは魔術で迎え撃とうとしたが、その前に、大剣が飛び掛かろうと魔物を斬り伏せた。
「リゼ! シリルを頼む!」
 魔物を牽制したゼノがそう叫ぶ。リゼは聞くが速いか身を翻し、魔法陣の中心を目指した。魔物は彼らが抑えてくれる。余計な邪魔が入る前に、シリルを魔法陣から引きはがさなければ。
 すると中心に近付くリゼを阻むかのように、魔法陣から黒い靄が噴き上がった。
それは雲のように掴み所がないのにリゼの身体に纏わり付き、身動きを封じてしまった。悪魔の邪気が身体に重くのしかかり、立っていられないほどの圧迫感と吐き気に襲われる。その重さに身動き一つ出来なくなるまで時間は掛からなかった。
『悪魔よ消え去れ!』
 黒い靄を抜け出そうと、浄化の術で周りの悪魔を消し飛ばす。だが消しても消しても悪魔は次々と沸いて来る。悪魔が湧きだす速度が速すぎて、浄化の術が追い付かない。その間にも悪魔はリゼに纏わり付き、その魂に手を伸ばそうとした。
 ――ネエ。ナンデコンナコトシテルノ?
 ――コンナコトシテモダレモホメテクレナイヨ?
 ――スベテノアクマヲホロボスナンテデキッコナイ
 ――ソンナユウキモナイクセニ。
 ――アキラメヨウヨ。アキラメテニゲダシチャエ。
「・・・・・・うるさい」
 ――アキラメヨウ。
「うるさい!」
 悪魔の声が頭の中にガンガン響く。振り払おうと浄化しても、消えずに付き纏って来る。まだ発動していないのに、マリークレージュの召喚魔法陣よりも強力だなんて。このままではキリがない。
「・・・・・・シリル!」
 重い身体に鞭打って、目の前の少女に手を伸ばす。この子を魔法陣の中心から引きはがせば召喚は止まる。噴き出す悪魔を掻き分けてシリルの腕を掴むと、少女は虚ろな目でリゼを見下ろした。
「――!」